メッセージ - 遂行されたベニヤミンに対する主の裁き(士師記20:29-48)
礼拝説教メッセージ音声:遂行されたベニヤミンに対する主の裁き(士師記20:29-48):右クリックで保存
重なる敗北の末、真剣に主の前に立とうと努力したイスラエルに、主は、勝利の約束を与えて下さった。
すぐに勝利が与えられなかった事は、実は恵みである。
もし、彼らがすぐに勝利していたとしたなら、真剣に主を呼び求める努力もせず、悔い改めも無いまま、さらに悪くなって行っただろう。
『そこでイスラエルはギベアの周囲に伏兵を置き、そしてイスラエルの人々は三日目にまたベニヤミンの人々のところに攻めのぼり、前のようにギベアに対して備えをした。』(士師記20:29-30)
伏兵と言えば、ヨシュア記を思い出す。
ヨシュアの時代も、エリコでの勝利に慢心し、主に伺いも立てずにアイの町を攻めて行った結果、敗北し、36人が打たれてしまったが、その時ヨシュアは対応が早かった。
彼はすぐにへりくだって主に伺い、自分達の中に聖絶のものがある事が示され、それを除き去った結果、すぐに主の守りが戻った。
その際、主は伏兵を用いて戦うように示され、ヨシュア達はその通りに戦って、勝利を得た。
今回の戦いでは、伏兵を置くように特に指示はされていないが、きっとイスラエルは信仰の先祖達の歴史をひもとき、彼らの信仰に倣ったのだろう。
『ベニヤミンの人々は出て、民を迎えたが、ついに町からおびき出されたので、彼らは前のように大路で民を撃ちはじめ、また野でイスラエルの人を三十人ばかり殺した。その大路は、一つはベテルに至り、一つはギベアに至るものであった。ベニヤミンの人々は言った、「彼らは初めのように、われわれの前に撃ち破られる」。しかしイスラエルの人々は言った、「われわれは逃げて、彼らを町から大路におびき出そう」。
そしてイスラエルの人々は皆その所から立ってバアル・タマルに備えをした。その間に待ち伏せていたイスラエルの人々がその所から、すなわちゲバの西から現れ出た。すなわちイスラエルの全軍のうちから精兵一万人がきて、ギベアを襲い、その戦いは激しかった。しかしベニヤミンの人々は災の自分たちに迫っているのを知らなかった。主がイスラエルの前にベニヤミンを撃ち敗られたので、イスラエルの人々は、その日ベニヤミンびと二万五千一百人を殺した。これらは皆つるぎを帯びている者であった。』(士師記20:31-35)
この戦いは、主(エホバ)が戦われた、と記されている。
主は侮られるような方ではない。いつまでも悪が罰せられないまま生き残って栄えるわけではない。
最初と、2回目の戦いでは、ベニヤミン族が勝利したが、それによって彼らがますます驕り高ぶり、その者達をいちどきに滅ぼすために、敢えて泳がされていたのだ。
『まことにあなたは彼らをなめらかな所に置き、彼らを滅びに陥らせられる。なんと彼らはまたたくまに滅ぼされ、恐れをもって全く一掃されたことであろう。』(詩篇73:18-19)
主は、ソドム以下の罪を犯すような者がいつまでも勝ち誇る事を、許されない。
その者の奢りが誰の目にも明確となり、「滅ぼされるに相応しい」というリミットに達したある時、滅びが適用されてしまうのだ。
ゆえに、悪者がますます栄えるのを見た時、その者の終わりが近づいていると思って良い。
『その時イスラエルの人々が向きを変えたので、ベニヤミンの人々は災が自分たちに迫ったのを見て、うろたえ、イスラエルの人々の前から身をめぐらして荒野の方に向かったが、戦いが彼らに追い迫り、町から出てきた者どもは、彼らを中にはさんで殺した。』(士師記20:41-42)
このようにして、主による、ベニヤミンへの正当な裁きが為された。
ソドムは、地獄の炎で焼きつくされたが、神の民と呼ばれる者の、主をも恐れぬ横暴さへのさばきは、神の民の剣と、火による。
『すると、獣は捕えられた。また、獣の前でしるしを行ない、それによって獣の刻印を受けた人々と獣の像を拝む人々とを惑わしたあのにせ預言者も、彼といっしょに捕えられた。そして、このふたりは、硫黄の燃えている”火の池”に、生きたままで投げ込まれた。残りの者たちも、馬に乗った方の口から出る”剣”によって殺され、すべての鳥が、彼らの肉を飽きるほどに食べた。』(黙示録19:20-21)
『しかし六百人の者は身をめぐらして荒野の方、リンモンの岩まで逃げて、四か月の間リンモンの岩に住んだ。そこでイスラエルの人々はまた身をかえしてベニヤミンの人々を攻め、つるぎをもって人も獣もすべて見つけたものを撃ち殺し、また見つけたすべての町に火をかけた。』(士師記20:47)
イスラエルの民も、ベニヤミン族にも勝るとも劣らない野蛮さがある。
律法では、町ぐるみで偶像礼拝が行われていたなら、その町を聖絶し尽くすべき事は確かに記されているものの(申命記13章)、実際に罪が行われたギブアのみならず、周辺のベニヤミンの町々までも、見つけ次第、女子供や家畜さえ虐殺し、滅ぼし尽くしたのだ。
(もっとも、その律法に照らすなら、偶像礼拝はイスラエル全体ではびこっているわけであるから、イスラエルは誰も彼も、滅ぼし尽される対象となるはずだが)
兄弟姉妹が悪い事を犯した時、それを大上段に振りかざして、何をしても良いとばかりに仕返しするのは、横暴である。
当時のイスラエルは、その過度の横暴の故に、神が育まれたイスラエル12部族から、一つが欠けてしまう危機に陥った。
イスラエルは、御言葉が無い故に暴走し、自分達の罪という壁のあちこちにぶつかって、傷を受け、とても痛々しく悲しい所を通らされている。
主は、待っておられる。
彼らが自分達の罪に懲りて、主に立ち返る事を。
私達は、この士師記から戒めを得て、決して御言葉から離れる事なく、主の道を外さずに歩む者でありたい。