メッセージ - 足なえも踊る(使徒3:1-16)
礼拝説教メッセージ音声:足なえも踊る(使徒3:1-16):右クリックで保存
韓国語通訳有 한국어예배
生まれつき足の不自由な男がいた。
彼は産まれてこの方、自分の足で立った事は無く、神殿の美しの門へ毎日運びこまれ、施し物をいただきながら暮らしていた。
律法ではこのような者に施すよう言われているし、毎日運んでくれる者もいたため、結構「稼いで」いたと思われる。
彼は40歳を越えており、長い間そうして来たため、神殿に通っている人達にとって「ああ、あの男か」と分かるような、目印のような存在だったであろう。
ある日、ペテロとヨハネが神殿に入って行くと彼に出くわし、彼は何年も何千人にも繰り返してきたように施しを求めた。
普通であれば、双方あまり意に介さず、暗黙的にお金を落とし受け取る事が多い中、この二人は「私達を見なさい」と言った。
彼は当然、何かもらえるものと思って二人を見る。
ところが彼がまず聞いた言葉は「銀や金は、私達には無い」であった。
私達を見よ、と言っておきながら、お金は無い、というのだ。
しかし彼らが提供できるものは、金銀よりもはるかに優れていた。
「ナザレのイエスの名によって」「歩きなさい」
手を取って立たせてもらうと、
すると足とくるぶしは強くされ、完全な体となり、歩き始めた。
産まれてこの方40年、自分の足で立った事が無かった或る日突然、自分の足で立ち、飛び跳ねる事が出来るようになったので、どれほど驚き、どれほど嬉しかった事だろう。
足が萎えている者は神のパンを捧げる事は出来ず(レビ21:18)、美しの門までは運んでもらえても、中に入る事は出来なかった。(2サムエル5:8)
彼はの喜びは、どれほどのものだっただろうか。
ただ座っているだけで稼いでいたかもしれないが、ラクして多く稼げる人生が幸せなものではなく、自分の足でしっかり立って働き、自分の足で礼拝に行く人生こそ、より優れた生き方である。
大勢の人達は彼を長らく見て知っているので、彼が癒された時、大勢が詰め掛けて来て大騒ぎになり、ペテロ達をあたかも聖者であるかのような目で見つめていた。
ペテロは「なぜこの事について驚くのか?」と言った。
、、、いや、十分驚いて然るべきである。
生まれつき足の萎えている者で40歳過ぎた人が突然、完全な体になったからだ。
しかし、こんな事で驚くなかれ、これからもっと凄い事を語るぞ、という意味で言ったのである。
生まれつきの足の萎えている者が完全に癒されるよりも、遥かに凄い話とは、ナザレ人イエスの話である。
ペテロは言った。
私達の信仰深さや力がこの人を癒したのではない。
あなたたちが拒んだ、あのイエスの名前を信じる信仰が、この人の足を強くし、完全なからだにしたのである。
イエス様というお方こそ、この癒しの奇跡よりもはるかに重要である。
なぜならイエスこそ、癒しの源、必要の満たしの源だから。。。
ペテロとヨハネは「イエスの名によって歩きなさい」と言って手を取っただけで、この人が癒されたのは、彼にイエス様の名前を信じる信仰があったからであり、ペテロやヨハネの信心や力ではなく彼の信仰による。
ベテスダの池で38年寝込んでいた者が癒されたのも、イエスの「寝床を取って歩きなさい」という言葉に従い、その通り実行したからである。
病人にとって、38年や40年という年月は絶望的に長い。
生活も、価値観も、固まってしまっていたかもしれない。
しかしイエスの名は、人間の何十年という時間や価値観よりも、はるかに力強い。
どんなに固まってしまった価値観や、固まってしまった体が動かないようであっても、義の太陽なるイエスの名の故に行動を起こす者は、彼のいやしの羽の中で癒され、牛舎の子牛のように飛び跳ね喜ぶのである。
この力あるお方の名を信じ、固まってしまった価値観や、固まってしまった体を癒していただく皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!