メッセージ - エステル - 王の喜びのために宴会を整えよ(エステル5:1-5)
エステル - 王の喜びのために宴会を整えよ(エステル5:1-5)
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週報/メッセージ(説教)概要:右クリックで保存
イスラエル民族が訴えられ、民族が皆殺しにされてしまうかもしれない危機の時、王妃エステルは、王に直訴するために、イスラエル全民族から断食して祈られ、そして彼女自身も、三日三晩の断食と祈りをして整えて、王妃の衣装を身に帯びて、王の御前に出た。通常なら、王の許し無く御前に出るなら、死刑であるのに、彼女は王の好意を受けて、笏が差し伸べられた。
多くの人々に祈られ、命がけで王の前に出たのは、イスラエルの救いを訴えるためだった筈なのに、彼女が王の好意を得、「何でも願い求めよ」とまで言われて、真っ先に願った事は、王のために宴会を設けるので来て下さい、という事だった。しかも、あのイスラエルを訴える者・ハマンも一緒に。(エステル5:3-4)
彼女が最も優先させた事は、願いをくどくど訴える事ではなく、イスラエルの救いという大義名分でもなく、まして、自分達を訴える者を訴え返す事でもなかった。ただ、王の喜びとなる事だった。
今年最初の主日にあたり、どのように歩むべきかを求めた所、エステルのように、王なるキリストの御前に出るに相応しく、まずはキリストの花嫁としての衣装をしっかり身にまとい、そして、王なるキリストの喜びとなる宴会を彼のために設けよ、という事だった。
昨年は、一人ひとりの御言葉の領域が格段に広がった一年であり、ノアにオリーブの若枝を届けたの鳩のように、色々な地域へと御言葉というオリーブを届けるべく、羽ばたいて行った一年であった。
御言葉(ロゴス)に信仰を混ぜ、宣言したことばは「いのち」となり、そのいのちが進み入る所では、死がいのちへと塗りつぶされて行く事を多く見たが、今年は、それをさらに成熟させて行く年であろう。
主は、御言葉に留まるなら何でも欲しいものを求めなさい、と、確かに言われた。(ヨハネ15:7)
私達は欲しいものを求めなさいと言われたなら、何かと、あれを下さい、敵を退けて下さい、などと求めがちだが、ここはエステルに習い、まずは私達の側が、王なるキリストの喜びとなる事を求めるべきである。
エステルは最初、王妃の衣装を身に帯びたように、私達も「キリストの花嫁」という正確なアイデンティティをまず身に帯びる所から始めるのである。その花嫁衣装とは、聖徒たちの正しい行ないである。(黙19:8)
私達は日々、キリストと共に歩んで行く事によってのみ、「正しい行い」を積み立てる事が出来、その一歩一歩が「花嫁衣装」を、一織り一織り紡いで行くことになる。
エステルが王の好意を得、王妃とされたのは、女達の監督官・ヘガイのアドバイスに従い、彼が勧めたものの他は、何一つ求めなかったからであり、それによって彼女は全ての人から好意を受けた。(エス2:15)
私達も日々、聖霊の導きとアドバイスに従い、ただキリストの好まれる飾りを身に帯びるのだ。
その飾りとは、「柔和で穏やかな霊という隠れた人柄」であり、これこそ御前に価値あるものだ。(1ペテ3:4)
エステルは三十日間、王に呼び出されていなかった所を行ったが、私達も、主から忘れられてしまっているように感じる時、正しい行いを身にまとい、柔和で穏やかな霊を飾りとして身に帯びる所から始めるのだ。
そうして王の喜びとなる宴席を用意するのだが、主の喜ばれるごちそうは、御父の御心を行いその御業を成し遂げる事である。(ヨハ4:34)主は、主の御声に聞き従う事ほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれない。御声に聞き従う事、耳を傾ける事こそ、何にも勝る主のごちそうである。(1サム15:22)
主はベタニアの家に好んで行かれたが、主が好まれたのは、マリヤの「御元に座って話に聞き入る事」であって、マルタの忙しい給仕ではなかった(ルカ10:41)。また、主がザアカイの宴席で最も喜ばれたのは、彼が悔い改め、財産の半分を貧しい人達に施し、だまし取った物を四倍にして返す告白をした時だった。
私達という教会を、主をお招きするための「宴会場」とするためには、「主の御声に聞く」という食物を用意し、「悔い改め」、「主の御心を行う」というごちそうを用意する事である。そのようにするなら、主がベタニアの家を好まれ、ザアカイの家に泊まる事に決められたように、主は好んでその教会の「宴会」に来て下さる。
エステルがハマンも宴会に招いたように、その宴会には、私達を訴える者も、同席しているかもしれない。
しかしそのようなハマンを気にしてはならず、ただ王なるキリストに喜んでいただく事を求めるなら、主は荒野に、そして、敵の前で宴を設けて下さる。(イザヤ25:6、詩篇23:5)
主の好まれる宴を設け、そうして主から、荒野で、そして敵の前で宴を設けられる一年でありますように!