メッセージ - 落ち穂を拾うルツと、ルツを拾うボアズ(ルツ記2:5-13)
礼拝説教メッセージ音声:落ち穂を拾うルツと、ルツを拾うボアズ(ルツ記2:5-13):右クリックで保存
ボアズとルツの出会いは、はからずも、意図せずして始まった。
ルツが落ち穂を拾うために畑に入ったのは、傷心のナオミを支え養いたかったからだったが、その畑に入った事が、彼女自身の人生を大きく動かし、そればかりでなくイスラエルを、ひいては、世界史を大きく動かす事となった。
『ボアズは刈る人たちを監督しているしもべに言った、「これはだれの娘ですか」。刈る人たちを監督しているしもべは答えた、「あれはモアブの女で、モアブの地からナオミと一緒に帰ってきたのですが、彼女は『どうぞ、わたしに、刈る人たちのあとについて、束のあいだで、落ち穂を拾い集めさせてください』と言いました。そして彼女は朝早くきて、今まで働いて、少しのあいだも休みませんでした」。』(ルツ記2:5-7)
ルツはその畑で落ち穂を拾い始める時、偽らず、自分はモアブの娘で、ナオミと一緒に帰ってきた事を自己紹介したのだろう。
彼女を見ていた人も、彼女は朝から立ち働いている事を、ボアズに証言した。
ボアズは、親戚のナオミと一緒に来たモアブの女が、ナオミに真実を尽くした事は、あらかじめ聞いており、その彼女が実際目の前で、朝から休まず働いて来たのを見て、声をかける。
『ボアズはルツに言った、「娘よ、お聞きなさい。ほかの畑に穂を拾いに行ってはいけません。またここを去ってはなりません。わたしのところで働く女たちを離れないで、ここにいなさい。人々が刈りとっている畑に目をとめて、そのあとについて行きなさい。わたしは若者たちに命じて、あなたのじゃまをしないようにと、言っておいたではありませんか。あなたがかわく時には水がめのところへ行って、若者たちのくんだのを飲みなさい」。』(ルツ記2:8-9)
落ち穂拾いと言えば、ミレーの絵画の中で、婦人たちが何か畑仕事をしている、のどかな田園風景を思い出すが、あまりのどかなものではない。
「じゃまをしないように」と命じなくてはならない程、人から意地悪をされやすく、また、いじめの対象にされやすい行為である。(22節)
ボアズは、そんな彼女の成り立ちを全て心に留め、じゃまされたり、いじめられたりしないよう、便宜を図ってやり、しかも、若者たちの汲んだ水を自由に飲んで良い、とまで言ってくれた。
私達の毎日も、落ち穂を拾いに出かけて行くような日々であり、いじめられたり、邪魔されたりしながらでも、将来の自分や家族を養うために、恥ずかしさを忍びつつ、落ちている恵みを拾って行くようなものである。
しかし、全てを支配しておられる主は見ておられ、全能者の御翼の影に助けを求めて入る人に対しては、まことのボアズの所へと引き合わせて下さり、恵みの落ち穂が豊かに落ちている畑へと導かれ、そして周りの者達には「じゃましてはならない」と、きつく命じて下さるのだ。
ルツは落ち穂を拾っていた時にボアズに声をかけられたが、同じように私達も、主の恵みを拾っている内に、主によって拾われるのである。
『彼女は地に伏して拝し、彼に言った、「どうしてあなたは、わたしのような外国人を顧みて、親切にしてくださるのですか」。』(ルツ記2:10)
彼女は別に、好き好んでモアブで生まれたくて生まれたわけでなかったが、自分は生まれながらにして恵みを受けるには相応しくない者とわきまえていた。
私達も、別に好き好んで、こんな罪や災いの性質を持って生まれたかった訳ではない。
しかし、主はそんな私達にも、一方的な恵みを注がせて下さったという感謝を、いつまでも忘れてはならない。
クリスチャンの親切さにいつまでもぶらさがり、恵みを施してくれて当然とばかりに、あれもこれも要求し続ける者はいるが、そのような、いつまでも悔い改めの実を結ばない者は、やがて切り落とされ、火の中に投げ込まれてしまう。私達はクリスチャンだから大丈夫だ、などと、心の中で思っていてはならない。神は、こんな石ころからでもアブラハムの子孫をお造りになる事ができるからだ。(マタイ3:7-10)
『ボアズは答えて彼女に言った、「あなたの夫が死んでこのかた、あなたがしゅうとめにつくしたこと、また自分の父母と生れた国を離れて、かつて知らなかった民のところにきたことは皆わたしに聞えました。どうぞ、主があなたのしたことに報いられるように。どうぞ、イスラエルの神、主、すなわちあなたがその翼の下に身を寄せようとしてきた主からじゅうぶんの報いを得られるように」。』(ルツ記2:11-12)
ボアズはすっかり聞いている。彼女が父母を離れ、偶像崇拝の国を離れて来た事を。
また、新しく入った神の家族に対し真実を尽くし、イスラエルの神を自分の神とした事を。
新しい家へと嫁ぐ条件は、まず、父母を離れる事であるが、私達も、神の国へと嫁いで行くために、古き父母を離れなくてはならない。
すなわち、今まで過ごして来た世から離れ、サタンに属する罪深い性質を、捨て去る決心をしなくてはならない。
『イエスは言われた、「よく聞いておくがよい。だれでも神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子を捨てた者は、必ずこの時代ではその幾倍もを受け、また、きたるべき世では永遠の生命を受けるのである」。』(ルカ18:29)
報いは、死んだ後に天国でようやく受けるものではなく、この世にあって、幾倍も受けるものである。
私達は、世とサタンから離れているだろうか。新しい神の家族に対し、真実を尽くしているだろうか。
主はすっかり見ておられ、聞いておられる。そして真実を尽くした人には、豊かに報いられるようにと祝福して下さるのだ。