メッセージ - ハンナとペニンナ(1サムエル記1:1-8)
礼拝説教メッセージ音声:ハンナとペニンナ(1サムエル記1:1-8):右クリックで保存
歴代誌によると、サムエルの父エルカナは、ケハテ族のレビ人であり、コラの子孫である。(1歴代誌6:33-43)
「エフライムびと」とは記されているが、それはエフライムの血筋の子孫という事ではなく、エフライムの地域に住む人という事である。(ルツ1:2 1サムエル17:12)
ちなみに、サムエルの孫にあたるヘマンは、詩篇88編の作者であり、神の宮で賛美する代表的な者の一人となった。
『エフライムの山地のラマタイム・ゾピムに、エルカナという名の人があった。エフライムびとで、エロハムの子であった。エロハムはエリウの子、エリウはトフの子、トフはツフの子である。エルカナには、ふたりの妻があって、ひとりの名はハンナといい、ひとりの名はペニンナといった。ペニンナには子どもがあったが、ハンナには子どもがなかった。』(1サムエル記1:1-2)
エルカナの二人の妻のうち、不妊の女・ハンナの名の意味は「自発的に与えられる賜物」、子があるほうのペニンナの名の意味は「真珠」である。
真珠は、貝に傷をつける事で徐々に醸成されていく尊い宝石であるが、ペニンナ自身が真珠を生み出すのではなく、ペニンナがハンナを傷つける事によって、ハンナを通して、サムエルという尊い真珠が生み出されていく事になる。
『この人は年ごとに、その町からシロに上っていって、万軍の主を拝し、主に犠牲をささげるのを常とした。・・・エルカナは、犠牲をささげる日、妻ペニンナとそのむすこ娘にはみな、その分け前を与えた。エルカナはハンナを愛していたが、彼女には、ただ一つの分け前を与えるだけであった。主がその胎を閉ざされたからである。また彼女を憎んでいる他の妻は、ひどく彼女を悩まして、主がその胎を閉ざされたことを恨ませようとした。』(1サムエル記1:3-6)
この時代は、士師記の荒んだ時代ではあったものの、ルツ記のように神を恐れ敬う民は確かにおり、エルカナの一家もそれに含まれていた。
彼らが捧げた犠牲は、神と人と祭司が共に食す「和解のいけにえ」と思われるが、この礼拝の日は、ハンナにとって心痛い日だった。
ペニンナには息子たちや娘たちがいたため、彼女自身の分と、さらに息子娘達の分も犠牲が与えられた。
それに対しハンナは、捧げる犠牲は自身ひとり分しか与えられず、そして”主がハンナの胎を閉じていた”事をもって、ペニンナはハンナをいじめていたのだ。
一人の夫に二人の妻がおり、一方が他方から憎まれる。
どことなく、創世記に出てくるヤコブの妻たち、ラケルとレアに似ているが、そのケースと逆なの点は、いじめる側のほうが子沢山で、いじめられる側には、子がいない、という点である。
また、ハンナはペニンナに何かで仕返しをする事も、言い返したりする事なく、そして、夫にぶちまける事もしなかったようである。
『ハンナが主の宮に上るごとに、ペニンナは彼女を悩ましたので、ハンナは泣いて食べることもしなかった。夫エルカナは彼女に言った、「ハンナよ、なぜ泣くのか。なぜ食べないのか。どうして心に悲しむのか。わたしはあなたにとって十人の子どもよりもまさっているではないか」。』(1サムエル記1:7)
ハンナは、夫から慰めの言葉をもらうのだが、それは何の功も奏さない。
彼女はただ、やられったなしで、それを仕返ししたり、夫にぶちまける事もせず、ただ自分の中で押さえ、泣き、食事も取らずにいた。
そうして彼女は、この事を主に持っていく事になる。
礼拝を”ねた”に、誰かを悩ませたり、また、「主が与えてくださらない」点を突いて悩ませるのは、良くない事である。
私達も、礼拝という場、クリスチャンの集いという場から、そういった類の悩みやいじめを受ける事があるが、それでも主に向かうのであるなら、主が顧みて下さり、幸いを得させてくださる。
事実、ハンナは真剣に主に求めるようになって、ついには、彼女はペニンナよりも幸いを得る事となって行く。