メッセージ - 人知れぬ呻きの祈りによって生み出されたサムエル(1サムエル記1:9-18)
人知れぬ呻きの祈りによって生み出されたサムエル(1サムエル記1:9-18)
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- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » 1サムエル記
- 執筆 :
- pastor 2015-1-29 23:50
礼拝説教メッセージ音声:人知れぬ呻きの祈りによって生み出されたサムエル(1サムエル記1:9-18):右クリックで保存
『シロで彼らが飲み食いしたのち、ハンナは立ちあがった。その時、祭司エリは主の神殿の柱のかたわらの座にすわっていた。ハンナは心に深く悲しみ、主に祈って、はげしく泣いた。』(1サムエル記1:9-10)
エルカナの一家が主の神殿で食事をした中で、ハンナだけは食べようともしなかったが、皆の食事が終わった時、彼女は一人、主の御前に出て激しく泣いた。
彼女は、礼拝中も食事中も心に苦しみがあったのだが、それは一切出さず、皆の飲食がひと通り終わった後、一人、御前にそれを持っていったのだ。
教会や交わりにおいて、兄弟姉妹に嫌味を言って、その言われた人が、礼拝や交わりが苦々しくなってしまうような事は、あってはならない事である。
苦々しくなってしまった人が、その思いを他の兄弟姉妹にぶつけてしまうなら、礼拝や愛餐の聖なる集いが汚されてしまうが、ハンナはそれをしなかった。
彼女のように、憂いや憤りを人にではなく、主へと持っていくならば、主がその問題を請け負って下さり、解決は主の仕事となる。
『そして誓いを立てて言った、「万軍の主よ、まことに、はしための悩みをかえりみ、わたしを覚え、はしためを忘れずに、はしために男の子を賜わりますなら、わたしはその子を一生のあいだ主にささげ、かみそりをその頭にあてません」。』(1サムエル記1:11)
彼女は今まで、幾度も、男の子が与えられるように祈って来ただろう。
しかし、この時の彼女の祈りは、特別だった。
もし、その子が与えられるなら、その子を神様に捧げます、という誓願をしたのだ。
主に捧げられた子、その子は神のものとされ、神の事を為し、神の御心を行い、そして彼が主にあって為す事は、人間の力や知恵、限界を遥かに超えたものである。
『彼女が主の前で長く祈っていたので、エリは彼女の口に目をとめた。ハンナは心のうちで物を言っていたので、くちびるが動くだけで、声は聞えなかった。それゆえエリは、酔っているのだと思って、彼女に言った、「いつまで酔っているのか。酔いをさましなさい」。』(1サムエル記1:12-14)
彼女は悩みと憂いに満ちていたため、眉間に皺が寄り、目を赤く腫らし、苦しみに震えつつ、唇だけが動いていたのだろう。
祭司は「酔っ払っている」と勘違いしたが、主はご存知だった。彼女の心の願いを、そして、彼女が声に出さずして誓った内容も。
そして、彼女が人知れず誓った内容を、彼女は果たす気でいる、という事も。
主は私達を探り、知っておられる。
座るのも立つのも、どこに行こうとしているのかも知っておられ、私達の思いを遠くから読み取られる。
言葉が私達の舌にのぼる前に、主はそれを、ことごとく知っておられる。(詩篇139編)
『しかしハンナは答えた、「いいえ、わが主よ。わたしは不幸な女です。ぶどう酒も濃い酒も飲んだのではありません。ただ主の前に心を注ぎ出していたのです。はしためを、悪い女と思わないでください。積る憂いと悩みのゆえに、わたしは今まで物を言っていたのです」。そこでエリは答えた、「安心して行きなさい。どうかイスラエルの神があなたの求める願いを聞きとどけられるように」。彼女は言った、「どうぞ、はしためにも、あなたの前に恵みを得させてください」。
こうして、その女は去って食事し、その顔は、もはや悲しげではなくなった。』(1サムエル記1:15-18)
祭司エリは、あまり良い祭司ではなかったが、そんな祭司であっても、彼女は彼の言葉を信仰によって受け止めた。
その瞬間から、彼女は変わった。
状況は変わっていない。しかし心は、あたかも目の前の問題は無くなったかのような、平安に満たされたのだ。
私達キリスト者にも、そのような「信仰の瞬間」がある。
悪い状況は、変わっていない。しかし、その悪い状況など、あたかも無くなったかのように、平安に満たされる、という瞬間が。
キリスト者の特権であるその「信仰の瞬間」は、心から主に祈った時や、信仰によって御言葉を受け止めた時に、起こる。
御言葉に記されている真理を、信仰によってその人の霊の中へと引き出す時、主が約束して下さった事は、もう成就した、という確信が沸き起こる。
その時、現実の状況とは全く関係なく、心は平安で満たされ、やがては現実世界のほうが、その人が信じた通りに成って行くのだ。
それはちょうど、預金通帳に記されている数字を、当たり前のように信じて疑わず、それを持って銀行へ行ってしかるべき手続きをするなら、現実に現金が手元へ引き出されるのと同じである。
こうして、時代の指導者・サムエルは、一人の不妊の女の、言葉にならない人知れぬ祈り、しかも、祭司さえ「酔っぱらい」と勘違いするような、呻きの祈りによって、生み出される。
私達も、主に捧げる心を持ち、信仰によって祈るなら、時の指導者さえ生み出す事が可能なのである。