メッセージ - エリの一族への警告(1サムエル記2:27-36)
礼拝説教メッセージ音声:エリの一族への警告(1サムエル記2:27-36):右クリックで保存
主の御前に不実だったエリとその子達に、いよいよ主から警告が通達される。
『イスラエルのすべての部族のうちからそれを選び出して、わたしの祭司とし、わたしの祭壇に上って、香をたかせ、わたしの前でエポデを着けさせ、また、イスラエルの人々の火祭をことごとくあなたの先祖の家に与えた。それにどうしてあなたがたは、わたしが命じた犠牲と供え物をむさぼりの目をもって見るのか。またなにゆえ、わたしよりも自分の子らを尊び、わたしの民イスラエルのささげるもろもろの供え物の、最も良き部分をもって自分を肥やすのか。』(1サムエル記2:27-29)
主の使いは、エリに対し「なぜ自分を肥やすのか」と言っている。
彼の子達がした事によって、自分が肥えた部分がやはりあったのだろう。
エリは、主と、主の民よりも、自分の子達を優先させた。
エリの子達は、戒められたのに、行状を改めなかった。
それなのにエリは、彼らを祭司職にそのまま留まらせ、そうして彼らは、全イスラエルに対し、そして主に対して罪を犯させ続けた。
『それゆえイスラエルの神、主は仰せられる、『わたしはかつて、「あなたの家とあなたの父の家とは、永久にわたしの前に歩むであろう」と言った』。しかし今、主は仰せられる、『決してそうはしない。わたしを尊ぶ者を、わたしは尊び、わたしを卑しめる者は、軽んぜられるであろう。』(1サムエル記2:30)
主は確かに、アロンの子孫に「あなたの家とあなたの父の家とは、永久にわたしの前に歩むであろう」と約束をされたが、エリの家は、忠実でなかった。
私達キリスト者も、自分は罪赦されたのだ、信仰によってアブラハムの子孫となったのだ、などと言って、キリスト者としての聖なる務めをないがしろにして、主を侮ってはならない。
主は、石ころからでもアブラハムの子孫を起こす事がおできになる方であり、悔い改めに相応しい実を結ばずに罪の苦い実ばかり結んでいるとするなら、もみがらのように投げ捨てられ、焼かれてしまうのだ。
ところで、エリは確かにアロンの子孫ではあるが、実は彼が大祭司職をするのは、正当ではない。
エリはアロンの四男・イタマルの子孫であるが、民数記25:10-13によると、アロンの三男エルアザルの子、ピネハスの子孫が、正当な大祭司の職を継ぐ子孫とされており、エリはそれではないのだ。
どういうわけでエリが大祭司になったのかは、定かではない。しかし主は、エルアザルの子ピネハスに与えられた約束を、ずっと後に、実現される。
『見よ、日が来るであろう。その日、わたしはあなたの力と、あなたの父の家の力を断ち、あなたの家に年老いた者をなくするであろう。そのとき、あなたは災のうちにあって、イスラエルに与えられるもろもろの繁栄を、ねたみ見るであろう。あなたの家には永久に年老いた者がいなくなるであろう。・・・そしてあなたの家で生き残っている人々はみなきて、彼に一枚の銀と一個のパンを請い求め、「どうぞ、わたしを祭司の職の一つに任じ、一口のパンでも食べることができるようにしてください」と言うであろう。』(1サムエル記2:31-36)
エリの家に、明確な警告が為された。
「その日が来る」、という内容なので、これはまだ確定ではなく、警告である。
彼らは警告を与えられたのに、この後、行状を改めなかったため、その警告の通りになってしまう。
『しかしあなたの一族のひとりを、わたしの祭壇から断たないであろう。彼は残されてその目を泣きはらし、心を痛めるであろう。またあなたの家に生れ出るものは、みなつるぎに死ぬであろう。あなたのふたりの子ホフニとピネハスの身に起ることが、あなたのためにそのしるしとなるであろう。すなわちそのふたりは共に同じ日に死ぬであろう。』(1サムエル記2:33-34)
この言葉の通り、エリも、彼の二人の息子ホフニとピネハスも、同じ日に死ぬ。(4章)
その死がピネハスの妻に知らされた時にちょうど生まれた子は、イカボデ(「栄光無し」の意)と名付けられ(4:19)、彼の兄であるアヒトブが、その後の祭司の務めを担う事になる。
しかし、アヒトブの子・アヒメレクは、サウル王に言いがかりをつけられ、エリの子孫達や祭司たち85人は、剣によって殺されてしまう事になる。(22章)
こうして、「あなたの家に生れ出るものは、みなつるぎに死ぬ」という預言は成就する。
その時、アヒメレクの子・アビアタルだけが剣を逃れ、ダビデの所に、命からがら逃げて来て、その後、彼はダビデ王によって大祭司に任じられるのだが(22:20、23:6、30:7、1列王記2:27)、結局彼もソロモン王によって罷免され、彼の代わりに、ツァドクの家(ピネハスの子孫)が、大祭司の家系とされる。(1列王記2:35)
こうして「あなたの一族のひとりを、わたしの祭壇から断たないであろう。彼は残されてその目を泣きはらし、心を痛めるであろう。」「そのとき、あなたは災のうちにあって、イスラエルに与えられるもろもろの繁栄を、ねたみ見るであろう。」という預言も、エリの家に成就する事となる。
『わたしは自分のために、ひとりの忠実な祭司を起す。その人はわたしの心と思いとに従って行うであろう。わたしはその家を確立しよう。その人はわたしが油そそいだ者の前につねに歩むであろう。』(1サムエル記2:35)
この、ひとりの忠実な祭司、その家を永遠に確立し、油注いだ者の前を歩むその祭司とは、キリストでなくして、誰だろう。
キリスト(油注がれた者の意)にあって、私達信じる者たちも、祭司職を得ているのだ。
今回のこの箇所は、祭司とされた私達に対しての、戒めである。
祭司職を軽んじているなら、それが取り上げられ、その職は、別の者へと移ってしまうのだ。(使徒1:20)