メッセージ - 敵国内でひとりでに栄光をあらわす神の箱(1サムエル記5:1-12)

敵国内でひとりでに栄光をあらわす神の箱(1サムエル記5:1-12)

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礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » 1サムエル記
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pastor 2015-2-16 23:30

礼拝説教メッセージ音声:敵国内でひとりでに栄光をあらわす神の箱(1サムエル記5:1-12):右クリックで保存

イスラエルから奪われてしまった契約の箱だが、その箱には、全能の神とイスラエルとの間に結ばれた契約が入っている。

人の手で担がれなくては何も出来ない偶像とは、全くわけが違う。

『ペリシテびとは神の箱をぶんどって、エベネゼルからアシドドに運んできた。そしてペリシテびとはその神の箱を取ってダゴンの宮に運びこみ、ダゴンのかたわらに置いた。』(1サムエル記5:1-2)
ダゴンとは、頭部が魚、体が人間の、ペリシテ人の偶像神である。
そのそばに安置したという事は、彼らは今回の戦勝に浮かれ、イスラエルの神は自分の神ダゴンよりも劣っていると考えたのかもしれない。

しかし聖書をみると、神の箱はあまりに聖であるため、ケハテ族のレビ人以外は運んではならず、ダビデの時代も、牛車で運ばせたら、その御者が主に打たれて死んでしまった程のものである。
それ程、取り扱いには気をつけなくてはならないものであるのに、なぜか今回、ペリシテ人が運んでも何の害も受けなかった。

この契約の箱は、イスラエル人が神の契約を畏れ敬う心をもって、イスラエルの中で正当に取り扱ってこそ、意味があるものである。
それなのに、本来安置されるべき聖所からお手軽に運び出され、縁起物か何かのように戦いの場へ持っていかれてしまう程に、軽んじられてしまったのであるから、主はそれを正すために、敢えてイスラエルから取り上げ、ペリシテ人の領地へと運ばせたのだ。
契約の箱がどこにあるかよりも、その契約の内容を守る事こそ、神の民としての意義があるように、私達も、何処どこの教会に通っているとか、キリスト教的なアイテムを持っているといった事より、むしろ、キリストそのものであられる御言葉を「わたし」の内に留め、それを守り行ってこそ、信仰者としての意義があるのだ。

『アシドドの人々が、次の日、早く起きて見ると、ダゴンが主の箱の前に、うつむきに地に倒れていたので、彼らはダゴンを起して、それをもとの所に置いた。その次の朝また早く起きて見ると、ダゴンはまた、主の箱の前に、うつむきに地に倒れていた。そしてダゴンの頭と両手とは切れて離れ、しきいの上にあり、ダゴンはただ胴体だけとなっていた。それゆえダゴンの祭司たちやダゴンの宮にはいる人々は、だれも今日にいたるまで、アシドドのダゴンのしきいを踏まない。』(1サムエル記5:3-5)
最初は地震か何かでたまたま倒れたのだろう、くらいに思っていたかも知れないが、翌日には、ダゴンの頭と手が胴体から切り離され、敷居の所にあり、しかも、神の箱の前に向かってひれ伏す形となっていた。
この事から、イスラエルの神のほうが優位で、ダゴンは無力である事を示しているのに、ペリシテ人は、イスラエルの神を敬うのでなく、ダゴンを敬い、今後、ダゴンが伏していた敷居を踏まない事にした。
しかし起きたことは、そればかりではない。

『そして主の手はアシドドびとの上にきびしく臨み、主は腫物をもってアシドドとその領域の人々を恐れさせ、また悩まされた。アシドドの人々は、このありさまを見て言った、「イスラエルの神の箱を、われわれの所に、とどめ置いてはならない。その神の手が、われわれと、われわれの神ダゴンの上にきびしく臨むからである」。
そこで彼らは人をつかわして、ペリシテびとの君たちを集めて言った、「イスラエルの神の箱をどうしましょう」。彼らは言った、「イスラエルの神の箱はガテに移そう」。人々はイスラエルの神の箱をそこに移した。』(1サムエル記5:6-8)
もはや明らかにイスラエルの神は力があり、ダゴンは無力である事は明らかなのに、ペリシテ人は、イスラエルの神を「恐れ」はしても、敬わず、神の箱を縁起の悪いものとして移動させる。

『彼らがそれを移すと、主の手がその町に臨み、非常な騒ぎが起った。そして老若を問わず町の人々を撃たれたので、彼らの身に腫物ができた。そこで人々は神の箱をエクロンに送ったが、神の箱がエクロンに着いた時、エクロンの人々は叫んで言った、「彼らがイスラエルの神の箱をわれわれの所に移したのは、われわれと民を滅ぼすためである」。そこで彼らは人をつかわして、ペリシテびとの君たちをみな集めて言った、
「イスラエルの神の箱を送り出して、もとの所に返し、われわれと民を滅ぼすことのないようにしよう」。恐ろしい騒ぎが町中に起っていたからである。そこには神の手が非常にきびしく臨んでいたので、死なない人は腫物をもって撃たれ、町の叫びは天に達した。』(1サムエル記5:9-12)

彼らは、明らかにこの箱が災いの元であると認めた。
それなのに彼らは、自分たちの力なき神ダゴンから離れてイスラエルの神に立ち返ろうという気にはならなかったし、イスラエルを虐げる事も止めなかった。
またイスラエル人も、こんなにも力ある神が自分たちにおられるのに、自分たちの内から別の神々を捨て去ろう、という気も起きなかったようである。(1サムエル記7:3)
人とは何と愚かで盲目な、そして、自分の好む事を捨てない頑なな者であろうか。

偶像の神は、自分で自分の世話をする事もできず、担がれなくては移動も出来ない、ただ人々の重荷となるばかりであるが、主は私達が罪に陥っている時でも、世話をし、義の道へと立ち返らせて下さり、そして私達が白髪頭となっても、主は私達を運んで下さる。
『ベルは伏し、ネボはかがみ、彼らの像は獣と家畜との上にある。あなたがたが持ち歩いたものは荷となり、疲れた獣の重荷となった。彼らはかがみ、彼らは共に伏し、重荷となった者を救うことができず/かえって、自分は捕われて行く。
「ヤコブの家よ、イスラエルの家の残ったすべての者よ、生れ出た時から、わたしに負われ、胎を出た時から、わたしに持ち運ばれた者よ、わたしに聞け。わたしはあなたがたの年老いるまで変らず、白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。わたしは造ったゆえ、必ず負い、持ち運び、かつ救う。』(イザヤ46:1-4)

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