メッセージ - サレプタのやもめ - 最後の粉と油による宴会(1列王17:8-15)
サレプタのやもめ - 最後の粉と油による宴会(1列王17:8-15)
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私達の王であられる主イエスのために宴会を設けるなら、主が私達に敵の前で宴を設けさせ、敵の前で油を注いで下さる事が、最近特に語られている。今回は、預言者エリヤを養ったやもめから学びたい。
時は北イスラエル最悪の王・アハブの時代、彼はシドン出身の妻・イゼベルに言われるままにイスラエルに偶像礼拝を導入し、主を怒らせていたため、主は人々をご自身に立ち返らせようと、預言者エリヤを遣わし、ここ数年、彼の言葉がなければ、2,3年は雨も露も降らない事を告げた。(1列王記17:1)
実際、エリヤが預言した通り、その後一切雨が降らず、厳しい飢饉となったが、アハブ王はこの力ある神・主に立ち返る事をせず、かえってエリヤを逆恨みし、彼を探し出して捕らえるよう人々に厳命した。
エリヤは主の導きによってケリテ川のほとりに住み、そこの水と、からすが朝夕運んでくるパンと肉によって養われていたが、いよいよ川の水も枯れた時、再び主の言葉が降る。 「立ってシドンに属するザレパテへ行って、そこに住みなさい。わたしはそのところのやもめ女に命じてあなたを養わせよう。」(1列王記17:9)
彼女はシドンの一地方に、幼い息子と二人で住んでいたが、飢饉はそこにも及び、もはや彼女の持ち物は、ひと握りの粉とわずかな油だけとなって、それをもって自分と息子のために最後の食卓を整えようと、薪を集めていた所を、預言者エリヤに呼び止められる。水を少し持って来て、飲ませてください、と。
彼女は、人生最後にも思えるその仕事の手を止め、彼のために水を持って来ようとした時、さらに言われる。
「手に一口のパンを持ってきてください。」 彼女は言った、「あなたの神、主は生きておられます。わたしにはパンはありません。ただ、かめに一握りの粉と、びんに少しの油があるだけです。今わたしはたきぎ二、三本を拾い、うちへ帰って、わたしと子供のためにそれを調理し、それを食べて死のうとしているのです」。
主の導きは不思議である。神がエリヤを養わせよ、と命じた女の全財産は、かめに一握りの粉と、びんに少しの油だけ。しかもこの女は、主から「預言者エリヤを養え」と命じられた記憶や自覚は、どうやら無さそうである。しかし彼女には、「あなたの神、主(エホバ)は生きておられます」と告白する信仰は、あった。
イエス様は「預言者は自分の郷里では敬われない」事の例として、このエリヤとやもめの箇所を引用されたが(ルカ4:26)、つまり、当時のイスラエルには主の預言者を敬う者は何処にもいなかった、という事なのだ。
主はあまねく全地を見渡し、心が主と一つとなっている人を探され、用いられる。(2歴代誌16:9)
また、イエス様は何度も「わたしはあなたを知っている」と言っている。(黙示録2-3章だけで7回)
彼女は自覚していようといまいと、普段から主を敬う心を主から認められており、預言者を養う素地も出来ていたため、彼女が意識している・いないに関わらず、エリヤを養うよう主から「命じられていた」のだ。
主は言われる。わたしはあなたを知っている、あなたの心も、行いも、そしてこれから為すべき働きも、と。
エリヤは「まず、それでわたしのために小さいパンを、一つ作って持ってきなさい。その後、あなたと、あなたの子供のために作りなさい。」と言った。粉はもう一握りしか無いので、3人分のパンは作れないはず。
しかし、「主が雨を降らす日まで、かめの粉は尽きず、びんの油は絶えない」という御言葉の約束は、ある。
人の計算ではあり得ない事であり、人情的に見ても非道い話だが、しかし彼女は主が言われた言葉に従い、自分と息子の分の粉をエリヤのため、いや、御言葉なる主に従うために調理し、非常にささやかな「宴会」を設けたのだ。最後の、一握りの粉とわずかな油。しかしそれは主の目には尊い宴会である。
「彼女と彼および彼女の家族は久しく食べた。主がエリヤによって言われた言葉のように、かめの粉は尽きず、びんの油は絶えなかった。」 御言葉の根拠なく非常識で過酷な要求をする「預言者」には要注意だが、十字架の死を要求する御言葉に従って従順するなら、決して尽きる事の無い祝福が与えられるのだ。
世に吹き荒れている不況という飢饉の中でも、世界に訪れる苦難の時でも、主に守られ養われる者とは、主の御名を否まず、主の言葉を守った者である。力は僅かしか無くても全く関係ない。(黙示録3:8)
天声では2010年最後にこの箇所からメッセージをし、かの一年、このやもめのように主と主の働き人に捧げた聖徒達の粉と油は尽きず、さらに祝福されている様を、主に感謝したが、その粉と油は5年目の今も尽きないどころか、さらに祝福が増し加わり、さらに清められ、豊かにされている。主はまことに真実である。
油も粉も尽きる事なく、更に主の祝福を頂く皆さんでありますように、イエス様の名前によって祝福します!