メッセージ - 確立されたサウル王朝(1サムエル記11:1-15)
礼拝説教メッセージ音声:確立されたサウル王朝(1サムエル記11:1-15):右クリックで保存
神と人との前で王の任命を受けたサウルだったが、王とはまだ名ばかりで、本人も民も、実体と心は全然伴なっていなかった。
そこで主は、彼を名実ともに王として整える出来事を起こされる。
それは、アモンという敵国の侵略だった。
イスラエル領内のヤベシュ・ギルアデに、アモンは大軍で攻め囲んで来たため、そこの人々は降伏を申し出るのだが、アモンの王ナハシュは言った。
『次の条件であなたがたと契約を結ぼう。すなわち、わたしが、あなたがたすべての右の目をえぐり取って、全イスラエルをはずかしめるということだ。』(1サムエル記11:2)
降伏を受け入れる条件に、人々の「右の目をえぐり出す」という残忍な事を要求し、その屈辱をさせて全イスラエルをはずかしめようとしたのだ。
『ヤベシの長老たちは彼に言った、「われわれに七日の猶予を与え、イスラエルの全領土に使者を送ることを許してください。そしてもしわれわれを救う者がない時は降伏します」。こうして使者が、サウルのギベアにきて、この事を民の耳に告げたので、民はみな声をあげて泣いた。』(1サムエル記11:3-4)
神の民イスラエル、随分となめられたものである。
アモン人は、イスラエルは自分達を恐れて、誰もヤベシュの人々を助けに来ないとたかをくくっていたのか、あるいは、たとえ助けが来たとしても、自分達はそれを圧倒できると思っていたのか、ともかくアモンは、ヤベシュの人々がイスラエル全土に使者を送るための七日の猶予を与えてやった。
近隣の敵国に、ここまで平然となめた行動を取られてしまう程に、イスラエルは、落ちぶれていたという事だ。
イスラエルは、自分達の一領土が異邦人に蹂躙されても何も出来ず、その知らせを受けても、ただ泣くしか無いほどに、無力、無能だったのだ。
この知らせをサウルが受けた時、彼は何をしていたか。
『その時サウルは畑から牛のあとについてきた。そしてサウルは言った、「民が泣いているのは、どうしたのか」。』(1サムエル記11:5)
サウルはなんと、王としての任職を受けたというのに、人々の先を進み行くのではなく、畑で牛のあとについて行っていたのだ。
何と情けない、と思うかもしれないが、私達もあながち、彼と同じような事をしているかもしれない。
ペテロとヨハネも、主が復活された後、宣教者として福音を届ける神の使者として任命され、聖霊の息を吹きこまれたはずなのに、一度手放した漁師の網を再び取って、元の生活に戻ろうとした。
私達も、せっかく任職を受けても、何をして良いのか分からない時は、以前の仕事に戻ってしまうような所があるかもしれない。
しかし主は、そんな私達に、聖なる任務を思い起こさせ、主の尊い働きへと導いて下さる。
『サウルがこの言葉を聞いた時、神の霊が激しく彼の上に臨んだので、彼の怒りははなはだしく燃えた。彼は一くびきの牛をとり、それを切り裂き、使者の手によってイスラエルの全領土に送って言わせた、「だれであってもサウルとサムエルとに従って出ない者は、その牛がこのようにされるであろう」。民は主を恐れて、ひとりのように出てきた。』(1サムエル記11:6-7)
ペテロやヨハネは、主に再び触れられた時、自ら網を捨て、宣教者として出て行ったが、サウルも同じように、それまで大事にして追っていた牛を、自らほふって切り刻んだばかりでなく、それを全イスラエルに送りつけて「だれであってもサウルとサムエルとに従って出ない者は、その牛がこのようにされるであろう」と、非常にシンプルかつ分かりやすいメッセージの道具とした。
サウルは、神の霊が激しく臨んだ時、怒りがはなはだしく燃えたが、聖なる神の集いが汚れた者にそしられ、なぶられている事に怒りを燃やすのは、正当である。
むしろ「忍耐します」「ゆるします」などとうそぶいて、聖なるものが蹂躙されてしまうのを許してしまう事こそ、不当である。
ダビデも、生ける神の陣がなぶられたのを見た時、また、なぶられ続けているイスラエルの情けない様を見た時、聖なる憤りに駆られ、じっとしていなかった。(17章)
サウルのこの知らせが届いた先では、「主」への恐れが生じ、彼らは「ひとりの人のように」サウルの元に出てきた。
『サウルはベゼクでそれを数えたが、イスラエルの人々は三十万、ユダの人々は三万であった。そして人々は、きた使者たちに言った、「ヤベシ・ギレアデの人にこう言いなさい、『あす、日の暑くなるころ、あなたがたは救を得るであろう』と」。使者が帰って、ヤベシの人々に告げたので、彼らは喜んだ。』(1サムエル記11:8)
彼らは、わずか七日以内に、全イスラエルから集まって来たのだ。
それまで、てんでバラバラだったのに、驚くべき一致の仕方である。
『そこでヤベシの人々は言った、「あす、われわれは降伏します。なんでも、あなたがたが良いと思うことを、われわれにしてください」。明くる日、サウルは民を三つの部隊に分け、あかつきに敵の陣営に攻め入り、日の暑くなるころまで、アンモンびとを殺した。生き残った者はちりぢりになって、ふたり一緒にいるものはなかった。』(1サムエル記11:10-11)
こうして、イスラエルは救いを得、サウルの見事な王としての導きに、全イスラエルが認めざるを得なくなった。
こうして皆、主が確かにサウルを王として立てられたと知ったのだ。
『その時、民はサムエルに言った、「さきに、『サウルがどうしてわれわれを治めることができようか』と言ったものはだれでしょうか。その人々を引き出してください。われわれはその人々を殺します」。しかしサウルは言った、「主はきょう、イスラエルに救を施されたのですから、きょうは人を殺してはなりません」。そこでサムエルは民に言った、「さあ、ギルガルへ行って、あそこで王国を一新しよう」。こうして民はみなギルガルへ行って、その所で主の前にサウルを王とし、酬恩祭を主の前にささげ、サウルとイスラエルの人々は皆、その所で大いに祝った。』(1サムエル記11:12-15)
このようにしてイスラエル最初の王朝、サウル王朝が成立されたが、その王朝はわずか一代で終わってしまった。
サウルはその後、主に従順してイスラエルを統治して行くのではなく、不従順となって主を退けたからだ。
私達も、従順して永遠の栄光を勝ち得るか、それとも不従順となってサウルの道を行くか、それは私達の「これから」にかかっている。