メッセージ - 霊的指導者の引き際(1サムエル記12:1-5)

霊的指導者の引き際(1サムエル記12:1-5)

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礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » 1サムエル記
執筆 : 
pastor 2015-3-7 10:54

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モーセも、ヨシュアも、引退する時には全イスラエルを呼び集めて、最後のメッセージをしたが、サムエルもこの章で引退メッセージをしている。

とは言っても、サムエルはそれで引退してめでたく隠居生活に入ったわけではなかった。
サウルが主の道を正しく歩まないために、色々と世話しなくてはならない事がまだまだ起こってしまうからである。
なにしろサウルは、サムエルが死んだ後さえ、口寄せを呼び寄せてまでサムエルから助言を得ようとしたほどだった。

『サムエルはイスラエルの人々に言った、「見よ、わたしは、あなたがたの言葉に聞き従って、あなたがたの上に王を立てた。見よ王は今、あなたがたの前に歩む。わたしは年老いて髪は白くなった。わたしの子らもあなたがたと共にいる。わたしは若い時から、きょうまで、あなたがたの前に歩んだ。』(1サムエル記12:1-2)
サムエルは、子供の時から主の言葉を伝える者として働き、イスラエルを導いてきたが、今や、サウルが油注がれ、イスラエルを導く王となった。

この時、サムエルが後継者として立てた彼の子達は、指導者の座から降りて一般人のようになっていたようだ。
サムエルは、子がわいろを取り、指導者として相応しくない行動を取ったとあれば、彼らをその座から降ろして、主に油注がれたサウルへと支配権を渡したのだろう。
サムエルは確かに子を霊的に純潔に育てる事はできなかったかもしれないが、祭司エリとは違い、子をそのまま支配の座につかせて続けて、罪を犯させる事を、させなかった。
私達もそのような潔さが必要である。

『わたしはここにいる。主の前と、その油そそがれた者の前に、わたしを訴えよ。わたしが、だれの牛を取ったか。だれのろばを取ったか。だれを欺いたか。だれをしえたげたか。だれの手から、まいないを取って、自分の目をくらましたか。もしそのようなことがあれば、わたしはそれを、あなたがたに償おう」。彼らは言った、「あなたは、われわれを欺いたことも、しえたげたこともありません。また人の手から何も取ったことはありません」。』(1サムエル記12:3-4)
サムエルは、もし自分に何か不正や責められるべき所があるなら、言ってみなさいと、堂々と言えたし、民もまたそれを見出さなかった。。
パウロも、死を覚悟した時、エペソの長老たちを呼び寄せて最後のメッセージしたが、その内容はサムエルのメッセージと重なる所が多い。

『わたしはいま信じている、あなたがたの間を歩き回って御国を宣べ伝えたこのわたしの顔を、みんなが今後二度と見ることはあるまい。だから、きょう、この日にあなたがたに断言しておく。わたしは、すべての人の血について、なんら責任がない。神の御旨を皆あますところなく、あなたがたに伝えておいたからである。』(使徒20:25-27)
霊的指導者の責任は、主の御心をあます所なく伝えるまでである。
だから、キリスト者が為すべきは、慈善活動よりも、むしろ御言葉をあます所なく伝える事であり、その伝える中には当然、何が罪であり、罪を続ける結果の裁きや永遠の滅びなど、人が聞いて痛いような事も含まれ、そして、それからの救いは、主イエス・キリスト以外には誰もいない事を、はっきり伝えるべきである。

『だから、目をさましていなさい。そして、わたしが三年の間、夜も昼も涙をもって、あなたがたひとりびとりを絶えずさとしてきたことを、忘れないでほしい。今わたしは、主とその恵みの言とに、あなたがたをゆだねる。御言には、あなたがたの徳をたて、聖別されたすべての人々と共に、御国をつがせる力がある。』(使徒20:31-32)
主にある弟子訓練とは、一緒にいる時は御言葉をしっかり伝え、分かれるべき時が来たなら御言葉にその人をゆだねる事であり、決して自分色や教団色に染める事ではない。言ってみればキリスト色に染める事であり、それには御言葉への従順が不可欠である。

牧師や教職者など、霊的指導する立場にある人は、次のように断言出来るだろうか。
『わたしは、人の金や銀や衣服をほしがったことはない。あなたがた自身が知っているとおり、わたしのこの両手は、自分の生活のためにも、また一緒にいた人たちのためにも、働いてきたのだ。わたしは、あなたがたもこのように働いて、弱い者を助けなければならないこと、また『受けるよりは与える方が、さいわいである』と言われた主イエスの言葉を記憶しているべきことを、万事について教え示したのである」。』(使徒20:33-35)

私達はいつも主にあって走るべき道のりを熱心に走り、引くべき時には潔く引き、その時は、堂々と次のように言える者でありたい。
『サムエルは彼らに言った、「あなたがたが、わたしの手のうちに、なんの不正をも見いださないことを、主はあなたがたにあかしされる。その油そそがれた者も、きょうそれをあかしする」。彼らは言った、「あかしされます」。』(1サムエル記12:5)

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