メッセージ - 主は真実を、人は不真実を、尽くして来た(1サムエル記12:6-15)
主は真実を、人は不真実を、尽くして来た(1サムエル記12:6-15)
- カテゴリ :
- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » 1サムエル記
- 執筆 :
- pastor 2015-3-9 22:14
礼拝説教メッセージ音声:主は真実を、人は不真実を、尽くして来た(1サムエル記12:6-15):右クリックで保存
前回のところでは、サムエルが今までイスラエルをいかに真実に導いて来たかを証し、人々もそれに同意したが、今回の所では、主がイスラエルに対しいかに真実を尽くして導いてこられたかを、思い起こさせている。
『サムエルは民に言った、「モーセとアロンを立てて、あなたがたの先祖をエジプトの地から導き出された主が証人です。それゆえ、あなたがたは今、立ちなさい。わたしは主が、あなたがたとあなたがたの先祖のために行われたすべての救のわざについて、主の前に、あなたがたと論じよう。』(1サムエル記12:6-7)
私達も、主がいかに良くしてくださったかを、事あるごとに思い起こす必要がある。
主は、私達のために、いかに良い事をはからい、私達を愛され、贖いの御業を為してくださったか。
主はそれを為し遂げるために、十字架上でどれほど傷まれ、うめかれ、苦しまれたか。
主が私達に為して下さった事は、ことごとく真実であったと、私達も証するべきなのだ。
『ヤコブがエジプトに行って、エジプトびとが、彼らを、しえたげた時、あなたがたの先祖は主に呼ばわったので、主はモーセとアロンをつかわされた。そこで彼らは、あなたがたの先祖をエジプトから導き出して、この所に住まわせた。』(1サムエル記12:8)
主は、エジプトで苦しめられているイスラエルを助けられた。
彼らが主に向かって叫び、助けを求めたからだ。
主は当初からイスラエルにいつも真実を尽くして来られたが、そのイスラエルは、主に対して不真実で答えて来た。
『しかし、彼らがその神、主を忘れたので、主は彼らをハゾルの王ヤビンの軍の長シセラの手に渡し、またペリシテびとの手とモアブの王の手にわたされた。そこで彼らがイスラエルを攻めたので、民は主に呼ばわって言った、『われわれは主を捨て、バアルとアシタロテに仕えて、罪を犯しました。今、われわれを敵の手から救い出してください。われわれはあなたに仕えます』。主はエルバアルとバラクとエフタとサムエルをつかわして、あなたがたを周囲の敵の手から救い出されたので、あなたがたは安らかに住むことができた。』(1サムエル記12:9-11)
申命記においてモーセが口を酸っぱくして言った事は、主の御声に聞き従い、それを守り行いなさい、という事であり、もし聞き従わずに主を捨てるなら、必ず災いが起こるという事も、何度も言って来た。
しかし彼らは、「してはならない」と言われた事を敢えて「して」、「行ってはならない」と言われていたの所に敢えて「行った」ため、当然のごとく、災いが身に降り掛かった。
しかし彼らが『われわれは主を捨て、バアルとアシタロテに仕えて、罪を犯しました。今、われわれを敵の手から救い出してください。われわれはあなたに仕えます』と言った時、彼らが主に為して来た所業にも関わらず、主は豊かに赦し、主は士師を遣わしてイスラエルを助けられた。
御言葉はまさに、法則そのものである。
御言葉に従って歩むなら、主守りの内に幸いに栄えるが、主と主の御言葉に背き、してはならないと言われている事を敢えてするなら、必ず災いを受ける。
しかし、そこからさらに立ち返るなら、主は豊かに許してくださる。
主こそまさに、憐れみ深いお方である。
そして12節以降で、サムエルは、イスラエルがまさに「している」事について言っている。
『ところが、アンモンびとの王ナハシが攻めてくるのを見たとき、あなたがたの神、主があなたがたの王であるのに、あなたがたはわたしに、『いいえ、われわれを治める王がなければならない』と言った。それゆえ、今あなたがたの選んだ王、あなたがたが求めた王を見なさい。主はあなたがたの上に王を立てられた。』(1サムエル記12:12)
イスラエルはかつて、王を求めた事は無かった。主が王であったからだ。
しかしこの度、イスラエルは、今まで真実に導いて来られた主を無視し、人間の王を求めたのだ。
たとえるなら、心砕いて養って来てくれたお母さんを目の前にして、「いや、自分には養ってくれるお母さんが必要なのだ」などと言っているようなものである。
イスラエルは、主を無視して王を求める、という罪を犯した、にも関わらず、主は彼らを見捨てず、真実を尽くして下さる。
『もし、あなたがたが主を恐れ、主に仕えて、その声に聞き従い、主の戒めにそむかず、あなたがたも、あなたがたを治める王も共に、あなたがたの神、主に従うならば、それで良い。しかし、もしあなたがたが主の声に聞き従わず、主の戒めにそむくならば、主の手は、あなたがたとあなたがたの王を攻めるであろう。』(1サムエル記12:14-15)
イスラエルは、王が自分達を正当に守り導いてくれると夢見ていたが、王たる者や指導者たる者が必ずしも間違えずに正当に導くとは限らないし、彼らが主に真実に従うとは限らない。
牧師や教職者といえども、人は皆、間違った道へと人々を導いてしまう可能性を秘めているのだ。
確かに地上には、服すべき指導者や王がいる。
しかし、私達が最も優先して服すべきは、御言葉であられるキリストだ。