メッセージ - 圧倒的不利な状況下で、一人、信仰によって立ち向かうヨナタン(1サムエル記13:15-14:5)
圧倒的不利な状況下で、一人、信仰によって立ち向かうヨナタン(1サムエル記13:15-14:5)
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- 執筆 :
- pastor 2015-3-13 23:39
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『こうしてサムエルは立って、ギルガルからベニヤミンのギベアに上っていった。サウルは共にいる民を数えてみたが、おおよそ六百人あった。サウルとその子ヨナタン、ならびに、共にいる民は、ベニヤミンのゲバにおり、ペリシテびとはミクマシに陣を張っていた。』(1サムエル記13:15-16)
サムエルは、サウルを置いて行ってしまった。
サムエルが来ていけにえを捧げるまで待て、と言われていたのに待ちきれず、身勝手に自分でいけにえを捧げ、主にそむいてしまったためだ。
これから何を為すべきか、という示しを何も頂けないまま、サムエルに去られてしまったが、それでもペリシテ人は容赦なく迫ってくる。
ペリシテ人達は、三組に分かれて、イスラエル領土内を荒らしに来ていたが、サウルに付き従う人々は既に大勢逃げてしまい、今や、六百人ほどになってしまった。
しかも、武器を持っているのは、サウルとヨナタンだけだった。なぜなら、ペリシテ人はイスラエルに武器を作らせないようにと、鍛冶を禁じていたからだ。
イスラエルに敵するペリシテは、戦車3万に、騎兵6千、歩兵は海辺の砂粒のように多い。
誰がどう見ても、イスラエルに勝ち目が無い状況である。
この時、再びヨナタンが行動を起こす。
『ある日、サウルの子ヨナタンは、その武器を執る若者に「さあ、われわれは向こう側の、ペリシテびとの先陣へ渡って行こう」と言った。しかしヨナタンは父には告げなかった。』(1サムエル記14:1)
この戦いが始まったのも、そもそも彼がペリシテの守備隊長を打ったのが発端だった。
彼は、父サウルには黙ってペリシテ人の先陣へと行った。
なぜ父サウルに黙って行ったのだろう。
後の箇所を見るとわかるが、サウルは民に無意味な制約を科したり、いらぬ所で変な命令を出したり、あるいはそれを翻したりして、民を右往左往させる事をしきりに行うのだが、すでにその徴候があったのかもしれない。それでヨナタンは、父に何も知らせずに行ったのかもしれない。
『サウルはギベアのはずれで、ミグロンにある、ざくろの木の下にとどまっていたが、共にいた民はおおよそ六百人であった。またアヒヤはエポデを身に着けて共にいた。アヒヤはアヒトブの子、アヒトブはイカボデの兄弟、イカボデはピネハスの子、ピネハスはシロにおいて主の祭司であったエリの子である。民はヨナタンが出かけることを知らなかった。』(1サムエル記14:2-3)
アヒヤは、かの悪名高きエリの子ピネハス、聖徒の捧げ物をかすめ奪って聖所でみだらな事をした、あの祭司・ピネハスの孫で、ピネハスが死んだ日に生まれたイカボテ(栄光なしという意味)の兄・アヒトブの子であり、エリの「ひ孫」にあたる。
サウルは、神に伺いを立てる祭司を近くに呼び寄せていたが、それはサウルには、あまり意味をなしていない事が後に明らかになる。
サウルは、ざくろの木の下で、何の手立てもなくただじっとして、民がこっそり逃げて行くにも手をこまねいているだけの状況だったが、ヨナタンの心には、サウルとは別の思いがあった。
こんな時機に、父サウルと一緒に手をこまねいていても、主は何も働かれない、自分で信仰による行動した方がいい、そう思って、父に黙って出かけたのだろう。
不信仰の愚かな者が、支配権を握っている時、その配下の信仰者が、不信仰の者に黙って行動する、という事は、確かにある。ナバルに対してのアビガイルもそうだった。(1サムエル記25章)
ペリシテの略奪隊は、既に三組に分かれて、イスラエルをなぶり始めている。
ヨナタンは彼らを「割礼なき者ども」と見、主は神の民をなぶる者達を必ず滅ぼしてくださると、信頼して出て行った。
それは、信仰なき者が見るなら無謀以外の何者でも無い。父が聞くなら、当然止める事だろう。
だから、父に内緒で行ったのだ。
主を知らず、生まれながらの感性や価値観で生きている「生まれながらの人」は、「霊の人」の信仰の行動を、愚かと見なす。
『生れながらの人は、神の御霊の賜物を受けいれない。それは彼には愚かなものだからである。また、御霊によって判断されるべきであるから、彼はそれを理解することができない。しかし、霊の人は、すべてのものを判断するが、自分自身はだれからも判断されることはない。「だれが主の思いを知って、彼を教えることができようか」。』(1コリント2:14-16)
御霊にある人は、肉にある人には想像もできないような事業を為し、そしてそれは成功し、その全ての行程において、神が栄光をお受けになるのだ。
ヨナタンのその信仰の行動が、再び、イスラエルと敵とを、大いに揺り動かす。
世を支配しておられるのは主であるが、主はどういうわけか、主を畏れ敬う人達の、信仰にある行動を用いて、世界を動かして行く。
信仰によって御言葉に従順し、主の御胸を行い、いのちで満たしていく事に用いられていく皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!