メッセージ - 全ての高ぶりは低くされ、主が高められる(イザヤ2:1-22)
礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
全ての高ぶりは低くされ、主が高められる(イザヤ2:1-22)(韓国語通訳有한국어예배):右クリックで保存
【概要】
イザヤ書2章に基づき、終わりの日における主の山の高められることと、人間の高ぶりが低くされることについての説教。
【聖書箇所】
イザヤ書2章1-22節
【励ましの言葉】
主の光に歩み、主の道を求めることで、平和と祝福が与えられる。
【戒めの言葉】
金銀や武力、人間の力に頼るのではなく、主のみを高く仰ぐべきである。
【悔い改めの促しの言葉】
高ぶりを捨て、主の御顔の輝きを求めるよう促している。
【***詳細***】
イザヤ書2章は、ユダとエルサレムについての預言で始まります。「終わりの日」に起こることとして、主の家が山々の頂に堅く立てられ、すべての国々がそこに流れ来ると預言されています。
この「終わりの日」は、使徒ヨハネが「今は終わりの時である」(ヨハネの手紙第一2:18)と言ったように、既に私たちの時代にも適用されます。つまり、イザヤの預言は今日の私たちにも関係しているのです。
主の山に上り、主の道を学ぼうとする人々の姿が描かれていますが、これは今日の教会に集う私たちの姿でもあります。主の言葉を求めて集まる私たちは、まさにこの預言の成就の一部なのです。
さらに、主の言葉が広まるところには平和がもたらされると言われています。「彼らは、その剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直し。国は国に向かって剣を上げず、二度と戦いのことを習わない。」(イザヤ2:4)これは、福音によって人々の心が変えられ、争いをやめ平和を求めるようになることを示しています。
しかし、イスラエルの民に対しては厳しい言葉が続きます。彼らは主の道を捨て、世俗的な力や富に頼るようになったためです。「その国は、金や銀で満ち、その財宝は限りなく、その国は、馬で満ち、その戦車も数限りない。その国は、偽りの神々で満ち、彼らは自分の手で作ったもの、指で作ったものを拝んでいる。」(イザヤ2:7-8)
このような世俗的なものに頼る者たちは、主によって低くされると預言されています。「その日には高ぶる者の目も低くされ、高慢な者もかがめられ、主お一人だけが高められる。」(イザヤ2:11)
主が襲いかかるものとして、自然の偉大さを表す「レバノンの杉」や「バシャンの樫」、人工的な防御を表す「高い山々」や「そびえる峰々」、「そそり立つ塔」や「堅固な城壁」、そして商業の力を表す「タルシシュのすべての船」や「すべての美しい船」が挙げられています。これらは人間が誇りとするものの象徴です。
しかし、主が立ち上がって地を震わせられるとき、人々は恐れおののき、岩の洞穴や地の穴に隠れようとします。彼らは自分たちが作った偶像さえも捨て去ります。「その日、人は拝むために作った銀の偽りの神々と、金の偽りの神々を、もぐらやこうもりに投げやる。」(イザヤ2:20)
最後に、イザヤは「鼻で息をする人間を頼りにするな。そんなものに何の値打ちがあろうか。」(イザヤ2:22)と警告しています。これは人間の力の儚さを指摘し、ただ主のみを頼りとすべきことを強調しているのです。
この預言は、私たちに重要な教訓を与えています。私たちも時に、富や力、人間の知恵などに頼ろうとする誘惑に陥ります。しかし、それらは最終的には無力であり、むしろ主の御顔の輝きを避けさせる原因となります。
私たちは instead、主の光を慕い求めるべきです。「さあ、ヤコブの家よ。私たちも主の光に歩もう。」(イザヤ2:5)という呼びかけに応えましょう。主の御顔の輝きの中に留まり、主の言葉に聴き従う者となりましょう。そうすれば、かつて人を傷つける道具であった私たちの言動が、御霊の実を結ぶ道具へと変えられていくのです。
【結論】
高ぶる心を捨て、主の光の中を歩むことで、真の平和と祝福を得ることができる。人間や世俗的なものではなく、ただ主のみを頼りとすべきである。