メッセージ - 立て直しのチャンスをふいにしたサウル(1サムエル記15:1-11)
立て直しのチャンスをふいにしたサウル(1サムエル記15:1-11)
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- 執筆 :
- pastor 2015-3-23 15:55
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以前、サウルがサムエルを待ちきれずに勝手ないけにえを捧げた時、サムエルは怒りの内に別れたが、この時、再びサウルの所を訪れる。
『サムエルはサウルに言った、「主は、わたしをつかわし、あなたに油をそそいで、その民イスラエルの王とされました。それゆえ、今、主の言葉を聞きなさい。』(1サムエル記15:1)
前の失敗の時、彼は「今はあなたの王国は続かない」と言ったが(13:14)、主のサウルに対する憐れみは尽きておらず、今度こそ主の道に歩むようにと、立て直しのチャンスを与えられたのだ。
『万軍の主は、こう仰せられる、『わたしは、アマレクがイスラエルにした事、すなわちイスラエルがエジプトから上ってきた時、その途中で敵対したことについて彼らを罰するであろう。今、行ってアマレクを撃ち、そのすべての持ち物を滅ぼしつくせ。彼らをゆるすな。男も女も、幼な子も乳飲み子も、牛も羊も、らくだも、ろばも皆、殺せ』」。』(1サムエル記15:2-3)
アマレクは、イスラエルがエジプトを出て荒野を進んでいた時、イスラエルの中の、弱っている者を撃った。
それでヨシュアが戦い、モーセはアロンとフルに支えられて背後で祝福を祈り、そうして勝利した。(出エジプト記17章)
『あなたがエジプトから出てきた時、道でアマレクびとがあなたにしたことを記憶しなければならない。すなわち彼らは道であなたに出会い、あなたがうみ疲れている時、うしろについてきていたすべての弱っている者を攻め撃った。このように彼らは神を恐れなかった。それで、あなたの神、主が嗣業として賜わる地で、あなたの神、主があなたの周囲のすべての敵を征服して、あなたに安息を与えられる時、あなたはアマレクの名を天の下から消し去らなければならない。この事を忘れてはならない。』(申命記25:17-19)
昔、主がモーセを通して命じておられた事を、主はこの時、サウルに為すようにと命じられたのである。
しかしサウルは、その立て直しのチャンスを、ふいにしてしまった。
『サウルはアマレクびとを撃って、ハビラからエジプトの東にあるシュルにまで及んだ。そしてアマレクびとの王アガグをいけどり、つるぎをもってその民をことごとく滅ぼした。しかしサウルと民はアガグをゆるし、また羊と牛の最も良いもの、肥えたものならびに小羊と、すべての良いものを残し、それらを滅ぼし尽すことを好まず、ただ値うちのない、つまらない物を滅ぼし尽した。』(1サムエル記15:7-9)
サウルは、滅ぼし尽くすべきという事について、徹底しなかった。
その事が、サウルの王権剥奪の、決定的な原因となった。
どうしてそんな事で王権が剥奪されるのか、と、思うかもしれない。しかし、主が滅ぼし尽くせ、と言われたものは、滅ぼし尽くすべきなのだ。
主にあって新しく歩み出すべき時、以前の古い性質の痕跡は、残してはならないのだ。
例えば、偶像礼拝をしていた人がキリストに立ち返ったなら、今まで拝んでいた偶像が、いかに高価であろうとも、それを残してはならないし、また、それまで人を騙すテクニックだけで生きていたような人も、それをもう用いてはならない。
そうでないとそれが罠となり、自分自身ばかりでなく、多くの神の民をつまづかせてしまうのだ。
実際、サウルはアマレクを滅ぼさなかったために、イスラエル全体に後々続く災いの根を残してしまった。
アマレクの性質は、一言で言うなら「弱い者いじめ」であり、弱い者を狙い撃ちするのは、サタンの性質である。
『身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食いつくすべきものを求めて歩き回っている。この悪魔にむかい、信仰にかたく立って、抵抗しなさい。』(1ペテロ5:8-10)
ししは、動物の群れに向かって吠えたけり、恐れをなして群れの中からはみ出たものや、動けなくなったものに襲いかかって、食いつくす。
私達は、サタンがほえたける時こそ、信仰のスクラムをしっかりと組み、固く立って抵抗するのだ。
アマレクは、エジプトから出てきた会衆の後ろについて来ていた「弱っている人達」を狙い撃ちにしたし、後には、ダビデと部下達が戦争で留守中、天幕に留まっていた女子供を狙い撃ちにして、妻子もろとも財産を奪って行った。
さらに後の、エステルの時代には、ハマンが権力を利用して、イスラエル民族を皆殺しにしようと企んだが、このハマンはアマレクの子孫だと言われている。
未来も全て見通される主は、イスラエルや、また全て「弱い者」のために、このアマレクを必ず滅ぼし尽くさなければならない、と命じられたのだ。
『その時、主の言葉がサムエルに臨んだ、「わたしはサウルを王としたことを悔いる。彼がそむいて、わたしに従わず、わたしの言葉を行わなかったからである」。サムエルは怒って、夜通し、主に呼ばわった。』(1サムエル記15:10-11)
今回、主はサムエルにわざわざ現れ、サウルを王としたことを悔いる、と、直接伝えられた。
サムエルは夜通し主に叫んだが、老い先が短い彼が、イスラエルを導く王をようやく任命した、と思っていた矢先、その王が主にそむく者、主に従わない者だった、というのが、どんなに残念だっただろう。
そして、後のイスラエルをどんなに憂いた事だろう。
サウルがアマレクを滅ぼし尽くさなかった事の尻拭いは、ずっと後の時代、エステルとモルデカイがする事になる。
エステルは、ユダヤ人を滅ぼそうとしたアガグ人ハマンに対し、追及の手をゆるめず、ハマンの十人の子をも木にかけて晒し者にした。
その時、ユダヤ人達は、分捕り物には手をかけなかった。分捕る事を、許されていたのに。(エステル9:11-15)
しかしサウルはその真逆で、分捕る事は一切許されていなかったのに、分捕り物に手をかけてしまった。
私達の内の、滅ぼしつくすべきものは、滅ぼし尽くすべきであり、一切、物惜しみしてはならない。
『もし、肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬ外はないからである。しかし、霊によってからだの働きを殺すなら、あなたがたは生きるであろう。すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神の子である。』(ローマ8:13-14)
私達はサウルのように、主を悲しませてはならない。
主が「滅ぼし尽くすせ」と言われたものは、滅ぼし尽くすべきであり、待てと言われたなら待つべきであり、いつも主の御心を求めつつ、御言葉に従って歩むべきだ。