メッセージ - 愚か者や未熟者が指導者になる国の性質(イザヤ3章)
礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
愚か者や未熟者が指導者になる国の性質(イザヤ3章)(韓国語通訳有한국어예배):右クリックで保存
【概要】
イザヤ書3章を通して、主に逆らう者への裁きと、主に立ち返ることの重要性を説く説教。
【聖書箇所】
イザヤ書3:1-26、1:17-20
【戒めの言葉】
偶像礼拝や占いに頼るのではなく、主に立ち返るべきである。
【勧めの言葉】
主の御声を喜んで聞き、主と論じ合うことで、罪深い者も清められる。
【悔い改めの促しの言葉】
人や物事を頼りにするのではなく、主に聞き従うことを決心し、罪を告白すべきである。
【***詳細***】
今日恵みをいただく御言葉は、イザヤ書3章1節から26節までです。この箇所は、主がエルサレムとユダから誘いと頼りを取り除かれることを告げています。イスラエルがずっと主に逆らい続けてきたからです。
イザヤ書3:9には、**「彼らの顔つきが、そのことをあらわしている。彼らは罪をソドムのようにあらわして、隠そうともしなかった。」**とあります。罪を犯すことを躊躇せず、むしろ大っぴらに罪を犯している様子が描かれています。
罪には種類があります。自分の弱さゆえに犯してしまい、後悔する罪と、恥じることも恐れることもなく平然と犯す罪では、大きな違いがあります。後者の罪を主は厳しく裁かれます。
13節では、「主は論争するために立ち上がり、民を裁くために立つ。」とあります。ここでの「論争」は、主が一方的に叱責する意味です。その理由が14-15節に書かれています:「あなた方は葡萄畑を荒れ捨たらせ、貧しい者からかすめたものをあなた方の家に置いている。なぜあなた方は我が民を砕き、貧しい者の顔をすりつぶすのか。」
イザヤ書1:17では、**「善を成すことを習い、公正を求め、強いたげる者を正し、身なし子のために正しい裁きを成し、やもめのために弁護せよ。」**と命じられています。しかし、イスラエルの指導者たちはこれに反する行いをしていたのです。
そのような状況の中で、イスラエルの人々は主に立ち返るのではなく、単に着るものを持っている人に頼ろうとしました。これは非常に愚かな選択です。人を造られ、人の本質を最もよく知っておられる主に立ち返るべきなのに、単に外見や富に頼ろうとしたのです。
16-23節では、シオンの娘たちの高慢さと、彼女たちが身につけている様々な装飾品が列挙されています。これらは本来、主から与えられたものであり、愛する人から贈られたものであるはずです。しかし、彼女たちはそれらを用いて偶像や占い、頼りにならないものに色目を使っていました。
そのため、主は24-26節で厳しい裁きを宣告します:「良い香りは腐った匂いとなり、帯は荒縄、結い上げた髪はハゲ頭、腫れ着は荒布の腰巻きとなる。その美しさは焼け傷となる。」
しかし、希望がないわけではありません。イザヤ書1:18-20には、次のように書かれています:
「さあ、来たれ。共に論じ合おう。」と主は仰せられる。「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。もし、あなたがたが快く従うなら、地の良いものを食べることができる。しかし、もしあなたがたが拒み、そむくなら、剣にのまれる。」
ここで主は、たとえ罪深くても、主に立ち返り、主の声を喜んで聞くなら、赦しと祝福があることを約束しておられます。私たちは、人や物事を頼りにするのではなく、主に聞き従うことを決心し、罪を告白する必要があります。
【結論】
私たちは知らず知らずのうちに、また時には知っていながら罪を犯してしまいます。しかし、主は私たちが立ち返ることを待っておられます。主の御言葉を喜んで聞き、従順に歩むなら、この地上において主が用意された良いものを収穫することができます。今日の御言葉を心に留め、主に立ち返る決心をしましょう。