メッセージ - 立てた約束を簡単に破ってしまう人の性質(1サムエル記19:1-10)
立てた約束を簡単に破ってしまう人の性質(1サムエル記19:1-10)
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- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » 1サムエル記
- 執筆 :
- pastor 2015-4-16 23:50
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『サウルはその子ヨナタンおよびすべての家来たちにダビデを殺すようにと言った。しかしサウルの子ヨナタンは深くダビデを愛していた。』(1サムエル記19:1)
サウルは今まで、ダビデを殺したいという思いを内密にしていたが、おおっぴらにするようになった。
このままダビデを生かし、彼の活躍をゆるしていたら、サウル家の存続にかかわる、と、息子ヨナタンや家来たちに煽ったのだろう。
サウルには、主がダビデを通してイスラエルを御旨を為そうとしておられる事より、自分の王座、自分の名声が保たれる事のほうが大事だったのだ。
ヨナタンは、ダビデを主にある信仰の兄弟として愛していたので、父をなだめるための和解の行動に出る。
『ヨナタンは父サウルにダビデのことをほめて言った、「王よ、どうか家来ダビデに対して罪を犯さないでください。彼は、あなたに罪を犯さず、また彼のしたことは、あなたのためになることでした。』(1サムエル記19:4)
ヨナタンは、何の罪も犯していないダビデを殺すという「罪」を犯さないで下さい、と、サウルの霊的自尊心を突いた。
このような、霊的自尊心を突く言葉は、「どうかダビデを殺さないで」という嘆願を何十回するより、あるいは「どうしてそんな事するのか」、と責めなじる言葉よりも、はるかに効果がある。
『彼は命をかけて、あのペリシテびとを殺し、主はイスラエルの人々に大いなる勝利を与えられたのです。あなたはそれを見て喜ばれました。それであるのに、どうしてゆえなくダビデを殺し、罪なき者の血を流して罪を犯そうとされるのですか」。』(1サムエル記19:5)
続いて、ダビデがイスラエルに対して為した明白な良き実績と、そしてサウルがそれを喜んだ、という事実を思い出させた。
そう、ダビデは命がけで戦ったのだ。千人隊の長になった時も、千人の部下の誰より先陣を切って敵陣へ切り込んでいったから、多くの「年上の部下」も喜んで彼についていったのだ。
実に素晴らしい「執り成し」である。
『サウルはヨナタンの言葉を聞きいれた。そしてサウルは誓った、「主は生きておられる。わたしは決して彼を殺さない」。ヨナタンはダビデを呼んでこれらのことをみなダビデに告げた。そしてヨナタンがダビデをサウルのもとに連れてきたので、ダビデは、もとのようにサウルの前にいた。』(1サムエル記19:6-7)
こうしてヨナタンは、サウルから、「ダビデを決して殺さない」という誓いを引き出し、和解のつとめは大成功に終わった。
それなのにサウルは、主(エホバ)の名によって自分で立てた誓いを、早速破ってしまう。
『ところがまた戦争がおこって、ダビデは出てペリシテびとと戦い、大いに彼らを殺したので、彼らはその前から逃げ去った。さてサウルが家にいて手にやりを持ってすわっていた時、主から来る悪霊がサウルに臨んだので、ダビデは琴をひいていたが、サウルはそのやりをもってダビデを壁に刺し通そうとした。しかし彼はサウルの前に身をかわしたので、やりは壁につきささった。そしてダビデは逃げ去った。』(1サムエル記19:8-10)
せっかくヨナタンが建て上げた尊い和解のわざを、サウルはいとも簡単にひっくり返してしまった。
神と人との前で誓った誓いを、いともあっさり破ってしまう。めちゃくちゃだ、と思うかもしれないが、悪霊に憑かれている者の行動は、そのように、支離滅裂なものである。
主に属する人は、和解のつとめを無し、いのちを建て上げるが、サタンに属する者はそれを破壊し、尊いものを踏みにじるのが、仕事である。
『聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。恐らく彼らはそれらを足で踏みつけ、向きなおってあなたがたにかみついてくるであろう。』(マタイ7:6)
サウルは、どのタイミングで、主からの悪い霊が入ったか。それは、ダビデがペリシテとの戦いで、大活躍したタイミングだ。
つまり、サウルに再び「嫉妬」「恐れ」「怒り」が沸き起こり、それを「エサ」として悪霊がおびき寄せられ、その侵入をゆるしてしまったのだろう。
私達も、心に空隙を残したまま悪霊の好むエサを取り扱わずにいるなら、もっとたちの悪いもの七つが連れて来られ、以前よりもさらに悪い状態になってしまう。(マタイ12:45)
ダビデははっきりとサウルの元にはいれないと認識し、これ以来、ダビデのサウルからの逃亡生活が始まる。
私達もサウルのようにならないように、悪霊の好む汚れた性質は放置しておかず、それをイエスキリストの名によって支配して追い出し、追い出されて出来たその空隙は、御言葉と感謝と賛美で満たしていきたい。