メッセージ - 人をとる漁師とは(ヨハネ21:1-14)
人をとる漁師とは(ヨハネ21:1-14)
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主が復活された日、主は弟子達に「あなたがたに平和があるように(シャローム)」と言われ、ほふられたその手とわき腹とを示された。その時いなかったトマスにも現れ、刺し貫かれた手と脇腹、赤く裂け骨まで見えているその傷跡を示され、「あなたの指を、ここに差し入れてみなさい」と御声をかけられた。
復活の主は、私達が見たり触ったりできる訳ではないが、いつも共におられ、私達の事を、いつも見て、聞いて、知っておられ、そして、私達が生活を送るあらゆる場面において、そのご性質を現される。
主がその後、弟子達にご自身を現されたのは、テベリヤの湖畔で、弟子達が漁に行った時だった。
この時、彼らは単に食べ物がなくなったから漁に出たのか、それとも、イエス様があまりにも現れないので、以前の世の仕事である「漁」に戻ったのかは分からない。ともかく彼らは、夜通し働いて、何もとれなかった。
魚を水の中から引き上げる「漁」は、福音宣教に似ている。死という水の中でうごめいている人のいのちを、御言葉の網によって捕らえ、死の中から引き上げる。イエス様を伝える事は、まさに「人間をとる漁」である。
しかし、いかに神の子達が首を揃えて集っても、イエス様抜きで、闇の中を一晩中もがいて「世の漁」をしても、何もとれない。しかし、義の太陽であるイエス様が現れ、その御言葉に従う時、そんな闇雲の虚しい努力は終わりを告げ、安息と喜びの内に、大漁を得る事ができる。
『夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。しかし弟子たちはそれがイエスだとは知らなかった。イエスは彼らに言われた、「子たちよ、何か食べるものがあるか」。彼らは「ありません」と答えた。すると、イエスは彼らに言われた、「舟の右の方に網をおろして見なさい。そうすれば、何かとれるだろう」。彼らは網をおろすと、魚が多くとれたので、それを引き上げることができなかった。』(ヨハネ21:4-6)
彼らは、イエス様だとは分からない時に、お言葉に従順し、従順した時、圧倒的な結果が待っていた。
ゆえに大事な事は、イエス様を「知識で知る」以前に、主の言葉を「聞いて実行する」事である。
自然界は、イエス様に服従する。天地は主の御言葉に服すのだが、どういう訳か、人だけが従順でない。
しかし、私達がイエス様の言葉に服従し、その圧倒的な結果を見る時、はじめてイエス様を知るのである。
人間をとる漁師とは、イエス様の言葉に従順し、イエス様が「ここ」と言われた所に、イエス様が示された御言葉の網をおろすだけであって、一晩中「闇雲」に運任せで網を降ろすものではない。パウロも、およそ千キロ以上、霊的収穫も特に無いまま、さまよった末、ようやく御心はアジアではなくマケドニアにある事が分かり、それに従順した結果、ヨーロッパで最初のキリスト教会がピリピに建てられた。(使徒16:6-15)
御胸に従順しないで、ただ自分の好む「大漁」を目指して闇雲に走るなら、網に雑魚が入ってきても、毒魚が入ってきても両手放しで喜んでしまうという、恐ろしい事になってしまう。私達がイエス様のお言葉に従うなら、良質の魚が、自ら御言葉の網の中に入ってくる。だから、人間をとる漁師とは、自分のやりたい事を降ろし、「あなたのお言葉ですから、網を下ろしてみましょう」の連続なのだ。
実際ペテロは、この言葉のゆえに、人間をとる漁師となった。
『イエスの愛しておられた弟子が、ペテロに「あれは主だ」と言った。』(7節) 御言葉に従順し、圧倒的な御業を見る時、それは「主であった」と知る。そればかりでなく、主は、闇雲に苦労した末に従順した私達に、ごちそうを用意して待っておられる。『彼らが陸に上って見ると、炭火がおこしてあって、その上に魚がのせてあり、またそこにパンがあった。イエスは彼らに言われた、「今とった魚を少し持ってきなさい」。』(8-9節)
こうしてイエス様が用意して下さった魚に、主に示されて私達のとった魚も加えられ、宴会が始まるのだ。
『シモン・ペテロが行って、網を陸へ引き上げると、百五十三びきの大きな魚でいっぱいになっていた。そんなに多かったが、網はさけないでいた。』(11節) かつてペテロが召命される時に彼が降ろした網は、破れてしまった(ルカ5:6 KJV)。しかし今回、こんなにも大漁であったのに、網は破れなかった。
イエス様が十字架で勝利し、復活以降の網は、決して破れない。イエス様に一度捕らえられたなら、決して離れる事なく、見捨てられる事なく、世の終わりまでいつも共にあるのだ。
この主の御言葉の網、愛の網に捕らえられ、さらに多くのいのち達を、死という水の中から引き上げ、救い出し、主の働き人として働く皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!