メッセージ - くちびるに炭火を当てられて(イザヤ6章)
イザヤ書講解説教メッセージ音声(音声のみ)
くちびるに炭火を当てられて(イザヤ6章):右クリックで保存
【概要】
イザヤ書6章を中心に、預言者イザヤの霊的体験と唇の清めについて語られた説教。
【聖書箇所】
イザヤ書6章
【励ましの言葉】
神様の前に出て、自分の罪深さを知り、唇を清めていただくことで、主に用いられる者となれる。
【戒めの言葉】
私たちの唇は火であり、不義の世界である。言葉で多くのことを失敗するので、唇を制御することが大切。
【悔い改めの促しの言葉】
イザヤのように、自分こそが贖われる必要があると気づき、唇を清めていただく必要がある。
【***詳細***】
今日の聖書箇所は、イザヤ書6章です。この章では、預言者イザヤが神の御前で霊的な体験をし、自身の罪深さを悟り、唇が清められる出来事が描かれています。
イザヤは、それまでイスラエルに対する災いの予言をしてきましたが、この6章の経験を通して、自分こそが災いを受けるにふさわしいものであったと悟ります。「ああ、私はもうだめだ。私は唇の汚れた者で、唇の汚れた民の間に住んでいる。しかも、万軍の主である王をこの目で見たのだから。」(イザヤ6:5)
この体験は、主を見ること、主の聖なる有様を見てしまうこと、その圧倒的聖に触れるときに起こります。人は本当に絶望しかなくなってしまいます。イザヤは、自分が唇の汚れた者であることを認識し、神の前に立つことができないと感じたのです。
私たちの唇、言葉の力についても語られました。**「私たちは言葉で非常に多くのことを失敗するものですけれども、この唇を立派に制御できる人は、完全なものだ」**とヤコブの手紙にあるように、唇を制御することの重要性が強調されました。
また、唇は火であり不義の世界であるとも言われています。一言で人の人生を台無しにしたり、他人の人生を傷つけたりすることがあります。言葉の力の大きさを認識し、慎重に使う必要があります。
預言者イザヤの経験から、私たちも自分の罪深さを認識し、神の前に出て清めを求める必要があることが語られました。イザヤの唇が清められたように、私たちも清められる必要があります。
「すると、私のもとにセラフィムの一人が飛んできたが、その手には祭壇の上から火ばさみでとった燃え盛る炭があった。彼は私の口に触れて言った。『見よ、これがあなたの唇に触れたので、あなたの不義は取り去られ、あなたの罪も贖われた。』」(イザヤ6:6-7)
この箇所は、イエス・キリストの贖いの予型として解釈されました。祭壇の炭火は、私たちの罪の身代わりとなったイエス・キリストを表しています。イエス様は十字架上で私たちの罪を負い、私たちの身代わりとなって処罰を受けてくださいました。
そのため、イエス様を信じる人々は、肉体的な処罰を受けることなく、罪が取り除かれ、清められるのです。これは、連帯保証人の例えで説明されました。イエス様は私たちの罪の連帯保証人となり、私たちが返済できない罪の借金を支払ってくださったのです。
この恵みを知ることで、私たちはイエス様への感謝と、主に用いられたいという思いを持つようになります。イザヤのように、自分の罪深さを認識し、主に清めを求めることが大切です。
そして、清められた唇で主を賛美し、主の言葉を宣べ伝える者となることができるのです。説教者は聴衆に向けて、イザヤのように主の御前に出て、唇を清めていただくように促しました。
【結論】
私たちは皆、イザヤのように神の聖さの前に立ち、自分の罪深さを認識する必要があります。そして、イエス・キリストの贖いによって清められ、主に用いられる者となることができます。日々、自分の言葉に気をつけ、主を賛美し、人々を励ます言葉を語る者となりましょう。