メッセージ - アマレクではなく祭司たちを滅ぼし尽くしたサウル(1サムエル記22:17-23)
アマレクではなく祭司たちを滅ぼし尽くしたサウル(1サムエル記22:17-23)
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- 執筆 :
- pastor 2015-5-13 23:53
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私達は常時、何かしらを「思っている」ものだが、その「思い」の出所元には、いつも気をつけるべきだ。
なぜなら私達は、常日頃浸っている「思い」の「出処」に似てくるからである。
サウルは、健全な主の言葉から思いをそむけ、かえって、「妬み」や「怒り」「殺意」といった、サタンを出処とする悪しき思いを、いつも巡らしていたため、彼はどんどん、サタンの性質を帯びるようになって行ってしまった。
人は、ねたみや好色、汚れた思いに委ねているのは、肉的にはラクである。
人にはそうした罪の性質が「刺さって」いるため、ねたみや好色などをネタにする雑誌が、国を問わず、売れているのだ。
しかし私達のように、キリストにあって聖徒とされた者が、聖なる言葉に馴染もうとせず、肉的にラクな道ばかりを選び、汚れた思いに浸り続けているなら、どんどん聖なる感覚は鈍って行き、ついには、恐るべき悪行をも、無感覚的に平気で実行するようになってしまうのだ。
近衛兵たちは、誰も、このサウルの命令、「主(エホバ)の祭司たちを殺せ」には、従えなかった。(1サムエル記22:17)
主エホバをおそれる民であるなら、主の祭司を殺すなど、決してできないものだ。
「主の祭司たちを殺す」という”望み”を果たしてくれる人は、神の民イスラエルの中には誰もいない、というのを見て取ったサウルは、神を恐れぬ邪悪な者をもって、その”望み”を果たさせようとする。
『そこで王はドエグに言った、「あなたが身をひるがえして、祭司たちを殺しなさい」。エドムびとドエグは身をひるがえして祭司たちを撃ち、その日亜麻布のエポデを身につけている者八十五人を殺した。彼はまた、つるぎをもって祭司の町ノブを撃ち、つるぎをもって男、女、幼な子、乳飲み子、牛、ろば、羊を殺した。』(1サムエル記22:18-19)
剣で殺したのだから、返り血も浴びただろう。
エポデを着た祭司達の、血まみれの死体八十五体が累々と横たわる様を見ても、サウルの心は全く動かず、かえってドエグに、そこ(ギブア)からわざわざ祭司の町・ノブまで出向かせ、祭司たちの女、子供、乳飲み子ばかりでなく、家畜までも、殺させ尽くしたのだ。
この祭司たちは、エポデを着ていた。
エポデとは、祭司が務めを為す時の服であり、その両肩部分には、イスラエル十二部族の名が刻まれた宝石が結び付けられ、また、胸の所には、イスラエル十二部族の名が彫り込まれた十二種の宝石がはめ込まれている「さばきの胸当て」を結びつけられる。
祭司たちはエポデを着る事によって、イスラエルの名を両肩に背負い、またイスラエルの名を胸に収めつつ、聖所を出入りして、イスラエルの罪の贖いをしているのだ。(出エジプト記28章)
サウルは、神と人との間に立って罪を身代わりに背負ってくれる祭司たちを、自分から抹殺したのだ。
一体誰が、サウルの身代わりに罪の贖いをしてくれるというのだろうか。
それは彼には、もはや無い。
だから、サウルがこれから危機に陥った時、彼を救ってくれるものは、何もなくなってしまったのだ。
私達ももし、私達の罪を身代わりに背負って罪を購ってくださった主イエス・キリストをあなどり、拒否し、抹殺するとするなら、もはや罪の贖いは何も残っておらず、ただ恐ろしいさばきを待っている他ないのだ。
『しかしアヒトブの子アヒメレクの子たちのひとりで、名をアビヤタルという人は、のがれてダビデの所に走った。そしてアビヤタルは、サウルが主の祭司たちを殺したことをダビデに告げたので、ダビデはアビヤタルに言った、「あの日、エドムびとドエグがあそこにいたので、わたしは彼がきっとサウルに告げるであろうと思った。わたしがあなたの父の家の人々の命を失わせるもととなったのです。』(1サムエル記22:20-22)
ダビデも、まさかサウルがそこまでするとは思っていなかった事だろう。
しかし実をいうと、このエリの子孫達が剣で絶たれてしまう事は、主によってあらかじめ警告されていた事だった。(1サムエル記2:31-36)
『イスラエルの神、主は仰せられる、『わたしはかつて、「あなたの家とあなたの父の家とは、永久にわたしの前に歩むであろう」と言った』。しかし今、主は仰せられる、『決してそうはしない。わたしを尊ぶ者を、わたしは尊び、わたしを卑しめる者は、軽んぜられるであろう。見よ、日が来るであろう。その日、わたしはあなたの力と、あなたの父の家の力を断ち、あなたの家に年老いた者をなくするであろう。』(1サムエル記2:30-31)
エリとその息子達は、この警告を受たが、軽んじ、行状を改めなかった。
『しかしあなたの一族のひとりを、わたしの祭壇から断たないであろう。彼は残されてその目を泣きはらし、心を痛めるであろう。またあなたの家に生れ出るものは、みなつるぎに死ぬであろう。あなたのふたりの子ホフニとピネハスの身に起ることが、あなたのためにそのしるしとなるであろう。すなわちそのふたりは共に同じ日に死ぬであろう。』(1サムエル記2:33-34)
エリも、彼の息子ホフニとピネハスも、この警告の通り、同じ日に死んだ。
そしてこの度、その一族郎党の祭司たち八十五人も、女子供も、乳飲み子までも、剣によって絶やされてしまった。
こうして、「あなたの家に生れ出るものは、みなつるぎに死ぬ」という預言は、成就した。
ここで、アヒメレクの子・アビアタルだけが逃れて来たのだが、結局彼も、ソロモン王の時代、ダビデに敵する側についたゆえに、祭司職から罷免され、彼の代わりに、ツァドクの家(ピネハスの子孫)が大祭司の家系となっていく。(1列王記2:35)
こうして「あなたの一族のひとりを、わたしの祭壇から断たないであろう。彼は残されてその目を泣きはらし、心を痛めるであろう。」「そのとき、あなたは災のうちにあって、イスラエルに与えられるもろもろの繁栄を、ねたみ見るであろう。」という預言も、エリの家に成就する事となった。
『あなたはわたしの所にとどまってください。恐れることはありません。あなたの命を求める者は、わたしの命をも求めているのです。わたしの所におられるならば、あなたは安全でしょう」。』(1サムエル記22:23)
このようにしてサウルは、主に伺う事のできる祭司を自ら抹殺し、彼自身、みずから主に伺う事を断絶してしまった。
しかしお陰で、ダビデは、祭司を得る事になった。
滅ぼし尽くすべきアマレクは滅ぼす事を惜しみ、代わりに、神と自分との間に立って執り成してくれる祭司を滅ぼし尽くしたサウル。
サウルのように、罪の性質を滅ぼす事を惜しみ、健全な御言葉を踏みにじり続けるなら、その内、手をかけてはならない恩人をあやめるようになり、ついには、まことの大祭司であるイエスキリストを殺してしまうようになってしまうのだ。