メッセージ - 聖霊を受ける時(ヨハネ7:37-39)
聖霊を受ける時(ヨハネ7:37-39)
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本日は聖霊降誕日、約束の聖霊が弟子達に注がれ、大胆に造り替えられた事を記念する日である。
聖霊はイエス・キリストをあかしする霊であり、聖霊が私達に臨む時、力を受ける。
なぜならイエスキリストを受け入れた時、根本的な渇きは癒され、潤され、その「キリストをあかしする霊」は、泉のように腹の奥底からこんこんと湧き上がり、その溢れたものが、さらに周りへ流れだして行くからだ。
『イエスは立って叫んで言われた、「誰でもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。」』(ヨハネ7:37)
人は、世の何者も潤す事の出来ない渇きがある。イエス様抜きで生きていた時、何かおかしい、何かが不足している、今生きている現実より、もっと真実な世界があるのではないか、と求めていたのではなかろうか。
世の楽しみで暫く渇きを紛らわそうとしても、それは一夜限りの祭のように、終わりには、虚しさだけが残る。
イエス様抜きで生きていくなら、必ず渇く。人はなぜ死ぬ存在となったか。それはエデンの園において、御言葉なるお方、いのちの源なるお方に背き、離れ、自分の善悪判断で生きるようになったからだ。
以来、人は木から切り離された枝のように、そのまま放置するならやがて干からび死ぬ者となってしまった。
故に、人が生きるようになるためには、再び、このいのちの源なるお方に、接合される他は無い。
イエス様こそまことの葡萄の木であり、私達は枝である(ヨハネ15章)。このお方に繋がっていない人には、いのちの水は流れて来ず、実を結べないまま、やがて枯れ、永遠の火に投げ込まれてしまう。
イエス様は、祭りの終わりに、大声で叫んで言われる。「渇く者はわたしの所に来て飲むがよい」と。
「イエス様から飲む」とは、イエス様を信じる事。すなわち彼はいのちの君であり私達を死から救う事のできるお方であると信じ、彼に助けを求め、決して渇く事のない水を、わたしにも下さい、と、願う事である。
『わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」。これは、イエスを信じる人々が受けようとしている御霊をさして言われたのである。』(ヨハネ7:38-39)
イエス様を信じる人は、腹の奥底から、生ける水が湧き上がり、溢れ、イエス様を伝えずにおれなくなる。
その最たる例が、同じヨハネ4章に記されている、サマリヤの女だ。
彼女はかつて、5人の男と結婚してことごとく失敗し、6人目の男と同棲している”負の実績”故、人と出会う事を避けるため、わざわざ正午の最も暑い時間を選び、水を汲みに行き来する毎日を送っていた。
いつまで続くとも知れぬ日々の中、いつものように井戸に来ると、イエス様があの井戸のそばで待っていた。
イエス様は言われる。『わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」。』(ヨハネ4:14)
彼女も、ひどく渇いていた。過去、失敗して来た自分自身に、毎日人目を憚って暑い日差しの中、汲みに来なければならない毎日に。今一緒にいる男との将来への不安に。そこで彼女はイエスに言った。
「主よ、わたしがかわくことがなく、また、ここにくみにこなくてもよいように、その水をわたしに下さい。」
彼女のこの言葉が、彼女の永遠の転機となった。彼女はイエス様に助けを求め、イエス様から飲んだのだ。
イエス様は彼女の問題の本質に、直球を投げる。「あなたの夫を呼びに行って、ここに連れてきなさい」
私達の問題の本質も、真の夫・キリストがいない事。真の夫でない者を次から次へと取り替えつつ、恥と失敗の負けパターンを繰り返している事だ。異性、結婚、金銀、仕事など、「偽の夫」を求めれば求める程、渇いて行く。求めれば求める程、ますます渇き、その過程で失敗や恥という”負の実績”も積み上げて行く。
もはやそのような的外れの失敗パターンは、イエス様の足元に置き去り、真の夫・イエス様に求めるべきだ。
彼女がイエス様から飲んだ時、イエス様のいのちが、彼女の腹の奥底から溢れて来た。それは湧き上がって留め置けず、今までの水がめはイエス様の足元に置き捨て、人々にイエス様を伝えに走って行った。
それはキリストを証する霊、聖霊によってであり、彼女は内から湧いて来る水を周りへと流し出し、もはや渇く事がなくなった。人の祭りの虚しい盛り上がりや笑い、掛け声は渇くもので、今まで徹底的に渇かされた。
今、祭りを終えるこの時、イエス様の前に進み出て「あなたが与えて下さる水を飲ませてください」と願い求め、生ける水を得て、川々となって流れ出て、自分ばかりでなく、周りをも潤す皆さんでありますように!