メッセージ - 全てを共有に(使徒4:32-37)
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韓国語通訳有 한국어예배
使徒達の生活の様子が再び出て来るが、ここで強調されている事は、心と魂がひとつであり、一切を共有して生活し、何も自分の物とは言わない事である。
土地や家を持っているほどの者は、家や畑を売って、使徒達の足元に代金を置いた。
実に思い切った事をするものである。
なぜ彼らがそれだけの事をしたのか。
まず、イエスキリストを信じた者達はそれほど「兄弟姉妹」だったからであり、イエスキリストの通った兄弟姉妹のほうが血の通った兄弟よりも真実の兄弟姉妹なのである。
そればかりでなく、世の富が霞んで見えたからであり、売ったとしても収支が余りある大いなる恵みが彼ら一同の上にあった(33節)から、喜んでそれが出来たのだ。
さて、36節以降にバルナバが出てくる。
「訳せば慰めの子」と書いてあるが、言語的には慰めの子とは訳せない。
しかし彼の後の行動を見れば「慰めの子」の名前が相応しい事が分かる。
教会を迫害していたサウロ(後のパウロ)がイエスを受け入れた直後、教会は彼を非常に恐れていた。
そんな時、バルナバはサウロを受け入れ、使徒達の元に連れて行き、彼を仲間に加える仲介人となった。
また、後の伝道旅行の時、パウロは、以前伝道旅行を脱退して行ったようなマルコは連れて行けないと主張したが、バルナバは断固一緒に連れて行くように主張し、激しい意見衝突となり、結局二人は別のルートで行く事になったエピソードもある。
この箇所で二人は別れたが、分かれた後もパウロはバルナバを忠実な僕として認めていた様子である。
それが1コリント9:1-7 に書かれてある。
この箇所を見る限り、バルナバも独身を通していた節がある。
「私の働きの成果は、主にあるあなたがたではないか。」(1コリント9:2)
パウロもバルナバも、たとい妻や子供はいなくても、コリントの人達や世界中で伝道して得た主にある兄弟姉妹たちが子であり、父であり母であり、家族である。
主にあるいのちにつながった兄弟姉妹が増える事が大いなる喜びだったからこそ、バルナバは自分の畑も売って、主にある兄弟姉妹、父、子たちに喜んで捧げたわけである。
バルナバのように豊かに捧げ、豊かな実をたくさん得る皆さんであますように。イエス様の名前によって祝福します!