メッセージ - 暗黒を照らすひとりのみどりご(イザヤ9:1-7)

暗黒を照らすひとりのみどりご(イザヤ9:1-7)

カテゴリ : 
礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » イザヤ書
執筆 : 
pastor 2015-5-30 18:22

イザヤ書講解説教メッセージ音声(音声のみ)
暗黒を照らすひとりのみどりご(イザヤ9:1-7)(韓国語通訳有한국어예배):右クリックで保存

【概要】

イザヤ書9章1-7節を基に、闇から光へ、苦しみから喜びへと導かれる救いについてのメッセージ。

【聖書箇所】

イザヤ書9:1-7

【慰めの言葉】

苦しみのあったところに闇がなくなり、光栄を受けるようになる。

【励ましの言葉】

神は沈黙の後も必ず語りかけ、光を与えてくださる。

【戒めの言葉】

罪を悔い改めず、立ち返らないと、長く苦しむことになる。

【勧めの言葉】

イエス・キリストという一人の男の子に頼り、その主権と平和のうちに生きよう。

【悔い改めの促しの言葉】

罪に染まった生活から速やかに立ち返り、光の中を歩もう。

【***詳細***】

今日、私たちが恵みをいただく御言葉は、イザヤ書9章1-7節です。ここでは、闇と苦しみの中にいた人々に光が照らされ、喜びが与えられるという希望に満ちたメッセージが語られています。

まず1節を見てみましょう。「しかし、苦しみのあったところに、闇がなくなる。先には、ゼブルンの地とナフタリの地は、恥ずかしめを受けたが、後には、海沿いの道、ヨルダン川の向こう、異邦人のガリラヤは、光栄を受けた。

ここで言及されているゼブルンとナフタリの地は、イスラエルの北部に位置し、異教の影響を最も受けやすい地域でした。彼らは最初に罪に染まり、また最初に敵の攻撃を受けるような場所だったのです。しかし、神は彼らに光を与えると約束されました。

これは私たちにとって大きな慰めとなります。たとえ私たちが罪に染まり、世の影響を強く受けていたとしても、神は私たちを見捨てず、光を与えてくださるのです。

2-3節では、「闇の中を歩んでいた民が、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に、光が照らした。あなたはその国民を増やし、その喜びを増し加えられました。」と続きます。

ここで注目すべきは、光が照らされた後の変化です。人々は増え、喜びが増し加えられたのです。これは、神の光が私たちの人生に入ってくると、それまでの苦しみや闇が一掃されるだけでなく、積極的な祝福と喜びがもたらされることを示しています。

4-5節では、「彼らの重くのしかかったくびきと、肩の杖と、彼らを虐げる者の杖を、あなたはミディアンの日のようにお破りになりました。戦場でとどろく靴、血にまみれた着物はみな、焼かれて火の燃料となります。」とあります。

ここでは、神の光がもたらす解放と勝利が描かれています。私たちを縛っていた罪のくびきが打ち砕かれ、私たちを虐げていた敵が打ち負かされるのです。そして、戦いの道具や血に染まった衣服が燃やされるという描写は、神がもたらす平和を象徴しています。

そして6-7節で、この救いと光をもたらす方について語られます。「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。

ここで預言されている「ひとりのみどりご」こそ、イエス・キリストです。イエスは、単なる人間ではなく、神の主権を持ち、不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君と呼ばれるお方なのです。

イエス・キリストの支配は増し加わり、その平和には限りがありません。彼は正義と公平によって国を治め、それは永遠に続くのです。

このメッセージから、私たちは二つの道を選ぶことができます。一つは、ゼブルンやナフタリの地のように、主に立ち返らず、自分の好むことをし続け、結果として奪われ、搾取され、奴隷化されていく道です。もう一つは、イエス・キリストを受け入れ、光の中を歩み、イエスの主権のうちに生きていく道です。

私たちは、イエス・キリストという一人の男の子により頼み、いつでもこの不思議な助言者に救いを求め、力を得るべきです。イエスの支配を永遠に受け入れ、幸いと祝福と栄えのうちに過ごしていくことができるのです。

【結論】

今日のメッセージを通して、私たちは神の驚くべき恵みと救いの計画を見ました。たとえ私たちが深い闇の中にいたとしても、神は光をもたらすことができるのです。その光は、イエス・キリストを通してもたらされます。私たちは、このイエス・キリストに頼り、その主権のもとに生きることで、真の平和と喜びを見出すことができます。今日から、私たちの人生の主権をイエス・キリストに委ね、その光の中を歩む決意をしましょう。

---

 

イザヤ8章ではイスラエルの王アハズのかたくなさによって、主が何度も立ち返りなさいと言っているのに、それでも全く立ち返らない「かたくなさ」を見た。
アハズは預言者イザヤによってしずかにして信頼しなさい、と言われていたのに、アッシリアの王に勝手に頼って、しかも、偶像の設計図まで取り寄せる余計な「走り回り」をしていた。
そんな中で、主はイザヤをはじめ主を畏れ敬う民に対して言われた事は、かたくなな世の者に見習うな、という事であり、おしえとあかしに尋ねなければならない、と勧めた。
主に対し徹底的にかたくなを貫き通し、あくまで主に聞かない、徹底して、御言葉を軽んじる、者に対し、備えられている事は、法則的に、8章の最後の通りである。
イザヤ8:21 彼らはしえたげられ、飢えて国の中を経あるく。その飢えるとき怒りを放ち、自分たちの王、自分たちの神をのろい、かつその顔を天に向ける。
8:22 また地を見ると、見よ、悩みと暗きと、苦しみのやみとがあり、彼らは暗黒に追いやられる。

神が人を罰する、という場合、必ず、次の順番である。それは、
人が神を無視して自分勝手なことをする → 神が人を罰する
という順番がある。だから私達は、罪が私達を打って、神に打たれる、という事を十分注意して、そうならないように未然に防がなくてはならない。

主に従わない人を、苦しい目に合わせる。主はあらかじめ、預言者イザヤを通して立ち返るように促したが、立ち返らない。それなら苦難が重くされる。それでも立ち返らないなら、さらに苦難が重くされる。しかし、主はいつまでも人を打っておられるお方ではない。

 9:1 しかし、苦しみにあった地にも、やみがなくなる。さきにはゼブルンの地、ナフタリの地にはずかしめを与えられたが、後には海に至る道、ヨルダンの向こうの地、異邦人のガリラヤに光栄を与えられる。

ゼブルンの地とナフタリの地、イスラエルの北であり、真っ先に異邦人と和合し、染まってしまった地である。
同時に、罪ゆえの災いも真っ先に受けてしまう地でもある。
世と和合し、罪と和合し、聖なるおもむきを失ってしまったイスラエルに対し、罪のゆえのとばっちり、悲しみ、闇、それを主は、無くしてくださる。

ゼブルンとナフタリ、主の宮からはなれていた。
主の御言葉から、遠くはなれていたら、真っ先に異邦の教え、異邦の拝むもの、異邦の価値観にすぐに感染して、染まってしまう。だから、宮から離れる事ないように気をつけるべき。

 9:2 暗やみの中に歩んでいた民は大いなる光を見た。暗黒の地に住んでいた人々の上に光が照った。

この箇所はマタイでも引用されている。イエス様がガリラヤで宣教を始めた時に。
闇が最も深い時に、光があらわれる。
アッシリア、バビロン、メディア、ペルシア、ギリシヤ、ローマ.
光が登ったのは、ローマの時、だから、罪にどっぷり浸かりきっているなら、何世代に渡っても光は上らない。
力ある者が来ては踏みにじられ、してきた。
私達には既にイエス様が来られ、何か起きた時、イエス様に助けを求めるなら、速やかにイエス様が助けに来てくださるが、しかし、立ち返らない、という事であれば、(主は確かにあわれんではくださるが)、しかし、その助けは、蹂躙され奪われ下敷きにされた、さらにその、ずっとずっと後に、である。だから、私達の側が悔い改めて立ち返るほうが、よほど立ち直りの近道である。

イエス様が現れる時、全ての闇は光へ、全ての死は、いのちへと飲み込まれていく。
イエス様が来られる前までは、本当に暗闇だった。人は絶望し、マラキから預言が絶えて400年、ずっと空白の期間を過ごし、人々がメシヤを求める声、その呼び声をかける人々の上に、大きな光が照った。

 9:3 あなたが国民を増し、その喜びを大きくされたので、彼らは刈入れ時に喜ぶように、獲物を分かつ時に楽しむように、あなたの前に喜んだ。

死を待ち望む以外にないような人々n上に、光を照らしてくださる。
主が与えてくださった豊かな実り、主が育てて下さったもの、、、主が光を照らしてくださると、いのちが育って、多くの実りがもたらされる。
このような祝福お受けた人は、やることなす事、全て健やかに祝福されてしまう。あまりに利益が、あまりに収穫が多くされ、あたかも、戦争して勝ってぶんどりができるかのようになる。
この「ぶんどり」、戦争で勝利した側がする事であるが、この箇所の「敵」は悪魔サタンである。
つまり、悪魔サタンにとらわれていた人達、悪魔サタンが不当に占拠していた数多の良いもの、それを、私達が分捕ったという喜び楽しみ。主が与えてくださる実りと、主が勝ち取らせてくださるこのぶんどりに、私達は喜び楽しむのである。

 9:4 これはあなたが彼らの負っているくびきと、その肩のつえと、しえたげる者のむちとを、ミデアンの日になされたように折られたからだ。
 9:5 すべて戦場で、歩兵のはいたくつと、血にまみれた衣とは、火の燃えくさとなって焼かれる。

まことの光なるイエス様が、太陽としてのぼり、死の陰の地に住んでいた彼らの重荷、また、彼らを打っていた鞭や杖、それらは、ミデヤンの日になされたように、粉々に砕かれる。
御言葉に背く事には、ひたいの汗と労苦があり、罪の刑罰、すなわち鞭とつえが、必ずともなう。

 9:5 すべて戦場で、歩兵のはいたくつと、血にまみれた衣とは、火の燃えくさとなって焼かれる。
罪の飲み食いや取引をする内に、人の血を流したり、返り値をあびたり、あるいは、自分が、より強い者から血を流されたりする。そうした血に汚れたふくやくつ、義の太陽なるキリストが昇る時、火のえじきとなり、もやは罪穢れは焼かれて清められる。
自分も相手も傷を与え、傷つけ合い、罪を犯しあい、血を流したり流させたり、、、神の目から見れば私達の姿は、みんな、血を流しているように見える。その様を、「すべて戦場で、歩兵のはいたくつと、血にまみれた衣」、それを、わらのように燃やす。わらに火がつけられると、たちまち一瞬にして燃えて灰になるように。

主はどのようにして、死の影の地に住んでいた人達に、光を照らしてくださるのか。。。
それは、ひとりのみどりごによって、である。

 9:6 ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」ととなえられる。

このイエス様が来て、1-5節の全てを解消する!
全世界を覆っていた、ながらく覆っていた分厚い、しつこい闇、死、その中へと投じられたひとつの光。
その光によって救われる「光」とは、ひとりのみどりご。
主イエス様は、ひとりのみどりごとして私達のために生まれて下さった。
主の御名を呼ぶ個人にも生まれ、主の御名を呼ぶ集団に生まれ、また、主の御名を呼ぶ国にも生まれてくださる。
どういう方か。

 9:6 ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」ととなえられる。
Isa 9:6 For unto us a child is born, unto us a son is given: and the government shall be upon his shoulder: and his name shall be called Wonderful, Counsellor, The mighty God, The everlasting Father, The Prince of Peace.

主権は、英語でガバメント、すなわち政府。つまりイエス様の肩に政府が置かれる。
日本の政府は国会議事堂や内閣府に置かれているが、神の国の支配権は、イエス様の肩に置かれている。
国に申請する時は、いつも役所に行ってしなくてはならないが、神の国においてはそんな面倒は無い。イエス様の御名によっていつでもどんな時でも、まどろむ事なく、眠ることのないイエス様に申し上げる事ができる。
全ての権威、点においても地においても、イエス様の肩にあるから、どこかに行ってやる事もない。したい事を、したい時間に、移動する事なく、全部できてしまう。
なぜなら、大祭司の肩には、イスラエルの名を負って記念としている。大祭司は、イスラエル十二部族の名を肩に負いつつ主の御前に出て執り成しのつとめを為すのだ。(出エジプト記28:9-12)

「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」 英語では、「Wonderful, Counsellor, The mighty God, The everlasting Father, The Prince of Peace.」
主は、どんな悩み、問題、しつこい解決不能な事さえ、解決へと導いてくださる Wonderful, Counsellorであり、力ある神。仕事で忙しくてなかなか助言を求められなくても、私達の主イエス様は、いつでも、求めて、いつでも助言を求める事ができる。この、神の国のガバメントは、月曜から金曜の9時から17時まで、などという限定は無いし、なになにの書類を整えなければ受理しません、も無い。いつでも、永遠の父の求め、不思議な助言が与えられ、力ある神の力が行使され、平和の君、そのあらゆる善き事を、いつでも、求める事ができるのだ。

イエス様はまた、平和の君、プリンス・オブ・ピースである。あらゆる不和、あらゆる争いごと、それはイエス様の元に行けば、平和へとつくりかえられる。

 9:7 そのまつりごとと平和とは、増し加わって限りなく、ダビデの位に座して、その国を治め、今より後、とこしえに公平と正義とをもって/これを立て、これを保たれる。万軍の主の熱心がこれをなされるのである。
Isa 9:7  Of the increase of his government and peace there shall be no end, upon the throne of David, and upon his kingdom, to order it, and to establish it with judgment and with justice from henceforth even for ever. The zeal of the LORD of hosts will perform this.

これを行うのは、私達の努力ではなく、主の熱心が、この事を行ってくださる。
イエス様の主権、ガバメントは、どんどん増し加わって、そしてそれは、平和であり、限りなく、ダビデの王座につき、その王国を、とこしえまで。エバーラスティング。終わりが無い。それが、闇の中に住んでいる人達の上に照り渡る光。それが、彼の威光であり、力であり、ご性質である。

私達には、2つの道がある。
ゼブルンやナフタリ、のように、ずっと立ち返らないで、自分の好むことをやり続けて、ひたすら、ほかの強い人から奪われ、搾取され、奴隷化され、ずっと続けるか。その一つの道を選ぶか。
それとも。もう一つの道、イエス様を受け入れて、イエス様の主権の内に歩んでいくか。
イエス様すなわち、ひとりのみどりごに依り頼んで、いつでも不思議な助言を得て、力を得て、支配を得て、幸いへと祝福へと栄の内にとこしえまで生きる皆さんでありますように。

トラックバック

トラックバックpingアドレス トラックバックpin送信先urlを取得する
メインメニュー
礼拝ライブ中継

礼拝ライブ中継!

礼拝ライブ中継!

過去の礼拝映像も視聴できます

メッセージ
このページを紹介!

 
 
 
礼拝週報
メッセージ音声
携帯メールで毎日メッセージを購読!無料!

以下コードを読み込み、空メールを送信すれば登録できます。

パソコン/ウィルコム/スマートフォンで受信:以下にメールアドレスを入力下さい。

メルマガ購読・解除
日々のバイブルメッセージ
   
バックナンバー
powered by まぐまぐトップページへ
Podcast

以下画像をitunesへドラッグすれば、更新が自動的にPodcast配信されるようになります。

※2020/1/1より以前に登録された方は、再度、以下Podcast画像をitunesへドラッグする必要があります。

 主日礼拝ポッドキャスト

定期祈祷会ポッドキャスト

その他音声 ポッドキャスト

検索
Copyright ©Yokohama Voice of Christ Church 横浜天声キリスト教会
All Rights Reserved.
 〒231-0058 神奈川県横浜市中区弥生町2-17 ストークタワー大通公園?-201
TEL/FAX:045-326-6211

ephes_03-tensei@ yahoo.co.jp
© 2022 Powered by XOOPS Cube 2.1
Welcome Guest