メッセージ - 言葉の種類と力(ヨハネ1:1−14)
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週報/メッセージ(説教)概要
人は言葉という種を入れる袋のようなもので、どの言葉によって満たすかで人格が決まり、どの種を自分の人生や環境に対して蒔くかによって、どんな実を刈り取るかが決まる。
神は言葉であり、世は言葉によって成り立ったと書かれてある程重要なのに、人はあまりに意識していない。
言葉の大切さを示すためにキリストは肉体という幕屋を張って、直接地上に来られたが、人はその大切な言葉を受け入れなかった程、思いが眩まされていた。(ヨハネ1章)
今日は、その眩まされている原因を突き止め、目のうろこを取って行きたい。
言葉には、3つの種類がある。
すなわち人間から出てくる「人の言葉」、サタンから出てくる「世の言葉」、そして神から出てくる「御言葉」。
「人の言葉」は生まれながらの人間から来る言葉で、喜怒哀楽があり、相手が好きであれば良い感情を込め、嫌いであれば嫌な感情を込めてぶつけるが、保障が無く、永遠の視点から見れば何も生み出さない。
イエス様の代表的な弟子であるヨハネの子シモンは、イエス様に死ぬまでご一緒すると力を込めて言ったが、それを言った夜が明けない内に3度、力を込めてイエスを知らないと言った。
後に「あなたは私を愛しますか」と3度聞かれた時、自分には完全な愛は無いと告白するしか無かった。
人の言葉には保障は無く、永遠の視点から見れば何も生み出さないのである。
「世の言葉」とは何であろうか。それは世代に流行っている風潮、時代の空気から流れてくるぼんやりとしたイメージであり、それは空中の権力を持つ支配者(エペソ2:2)すなわち、サタンから由来する。
この言葉には力があり、不安や絶望といったサタンの悪しき思いが込められている。
人の心がそれに付着すると、いのちから遠ざけられ、死、滅びへと導かれる。
「世にあるもの、肉の欲、目の欲、生活のおごりは御父から出ないで世から出るからです。」(1ヨハネ2:16)
その仕向けてくる言葉は、目にはカッコ良く、情欲をそそり、より良く安定した生活へと向かうかのように惹き付けるが、その実、いのちからより遠く遠く離れさせようとして欺く。
マイケル・ジャクソンはそれらを収めたかのように見えたが、逆にそれらに支配され、縛られ、犠牲となった。
クールでワルでセクシーな「良さ」は、本来のいのちから離れた所にあり、追求し過ぎると破滅をもたらす。
愛する妻子を、都心の高層のマンションに住ませ、無菌パックに入った食物や、最先端のデバイスを与え、恥ずかしくないブランドを身につけさせるために、夫婦揃って残業漬けになる生活は、健康的だろうか。
子供や妻に、モノしか与えていなければ、時間が経てば「何もしてくれなかった」という思いしか残らないが、信頼や希望、愛情はいつまでも残り、その思い出は時が経てば経つほど麗しくなっていくものである。
唯一有益な言葉が、「神の言葉」である。
それは一見、魅力的には写らず、地味で、忍耐が必要な事もあるが、力と保障があり、ふんだんに愛が込められ、そこに留まればいのちを豊かに生み出し、無から有を生み出す。
時には痛い事もあるが、その痛みは滅びに至るものではなく、余計な所に力を使わせないためであり、後にはいのちと有益をもたらす。(ヨハネ15章)
雨が降ると必ず地を潤し、実を結ばせ、空しく戻らないように、信仰を持って聞くと必ず良い実を結ばせる。
神様の言葉は、元来備わっているいのちが成長し、元来持っている美しさが豊かになって行く。
神の子なら神の子らしく、信仰の篭った御言葉である「いのち」を振り蒔き、いのちを刈り取るべきである。
神は世に向かって「なれ」と言って、その通り成った。
私達は神の子であるので、信仰を持って「なれ」と命じる事ができる。
御言葉をたっぷり蓄え、至る所、あらゆる機会で御言葉の種を蒔き、その唇の実であるいのちをたっぷり刈り取る皆さんでありますように。イエス様の名前によって祝福します!