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メッセージ - サウルからことごとく逃げて行った「主の守りと導き」(1サムエル記28:3-10)

サウルからことごとく逃げて行った「主の守りと導き」(1サムエル記28:3-10)

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礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » 1サムエル記
執筆 : 
pastor 2015-6-15 16:54

礼拝説教メッセージ音声:サウルからことごとく逃げて行った「主の守りと導き」(1サムエル記28:3-10):右クリックで保存

『さてサムエルはすでに死んで、イスラエルのすべての人は彼のために悲しみ、その町ラマに葬った。また先にサウルは口寄せや占い師をその地から追放した。』(1サムエル28:3)

主は、サムエルが生きている間、ペリシテを防いでおられた。(1サムエル記7:13)
ペリシテはちょくちょく攻め寄せて来る事はあっても、サウルがそれを退ける事が出来たのは、サウルの力でも信仰でもなく、サムエルが年ごとに各所を巡回し霊的指導を続けたからであり(7:16-17)、ダビデが信仰をもって戦ったからだ。
しかし、そのサムエルが死に、ダビデもサウルから逃げてイスラエルを離れた今、イスラエルを守る者は、サウルしかいなくなった。
そのとたんに、ペリシテが攻めて来た。

『ペリシテびとが集まってきてシュネムに陣を取ったので、サウルはイスラエルのすべての人を集めて、ギルボアに陣を取った。サウルはペリシテびとの軍勢を見て恐れ、その心はいたくおののいた。』(1サムエル記28:4-5)
サウルは、ようやく気づいたかもしれない。
今までいかにサムエルやダビデに守られて来たのかを。
しかしサウルは、彼らに、何をして来ただろう。

サウルは、サムエルからの主の言葉を軽んじて欲しいままに振るまい、自分の気に入らないなら、サムエルさえも殺しかねない者となったため(1サムエル記16:2)、サムエルは二度とサウルに会おうとしなくなった。(1サムエル記15:35)
ダビデに対しては、サウル家の王位を脅かす者として追い回し、殺そうとしたため、ダビデも彼から逃げて国外逃亡した。

サウルは、自分に王としての分が無いと分かった時、ダビデこそ王となるべき者だと悟った時、自分から王座を降りて、新しく油注がれたダビデにゆずるべきだったのだ。
そうしたなら、もっと平和な余生を送って、安らかに人生を全うしたであろう。
しかし彼は、自分が座していてはならなぬ王座にしがみついたが故、とても悲惨な死に方をする。

『そこでサウルは主に伺いをたてたが、主は夢によっても、ウリムによっても、預言者によっても彼に答えられなかった。』(1サムエル記28:6)
ウリムとは、祭司が御心を伺うためにエポデの中に納められている祭具だが、彼はエポデを着た祭司たちを、どうしただろうか。
『王はドエグに言った。「おまえが近寄って祭司たちに撃ちかかれ。」そこでエドム人ドエグが近寄って、祭司たちに撃ちかかった。その日、彼は八十五人を殺した。それぞれ亜麻布のエポデを着ていた人であった。』(1サムエル記22:18)
またサウルは、預言者をどうしただろう。
実行こそしなかったが、彼は預言者サムエルさえ殺そうとする勢いだった。
それ故、祭司も、預言者も、油注がれた者・ダビデも、ことごとくサウルを拒否し、サウルの周りから逃げられてしまったのだ。

自分が王でありたいが故に、預言者を退け、祭司を除き、油注がれた王を殺そうとする。
そのような者が行く先は、サウルと同じである。
キリストこそ、真の大祭司であり、まことの預言者であり、油注がれた王だ。
この御方を退け、自分が王座に座り続けようとするなら、やがては、自分がしがみつこうとした「王座」が、自分を滅ぼすものとなってしまうのだ。
だから私達は、さっさと自分が「王」である事を降り、自分に関する全ての支配権はダビデの子孫・イエスキリストへとゆずるべきなのだ。

『サウルはしもべたちに言った、「わたしのために、口寄せの女を捜し出しなさい。わたしは行ってその女に尋ねよう」。しもべたちは彼に言った、「見よ、エンドルにひとりの口寄せがいます」。』(1サムエル記28:7)
主に御心を求めても、何も返ってこないのを見て取ったサウルは、いとも簡単に、主が忌み嫌われる「口寄せ」はいないかと部下に尋ねた。
もしこの時、サウルが、かつてイスラエルの民がミツパでしたように、心を主に注いで断食し、「私たちは主に対して罪を犯しました。」(1サムエル記7:6)と悔い改め、主に求めていたらどうだっただろうか。
主は助けて下さった、と私は思う。なぜなら主は、どんなに邪悪な者達(アハブ王、ニネベの住人、十字架上の強盗など)であれ、悔い改めたら赦し、災いを思い直されたからだ。
しかし結局、サウルの心には主は無かったのだ。彼はいとも簡単に、主に忌み嫌われる者に尋ねようとし、部下たちも「王様、主に忌み嫌われる事はやめてください」とは言わず、すぐに「エンドルにいます」とサウルに教えた。
結局、サウルを戒めずに、イエスマンで通して来た彼らが滅ぶとしても、サウルとの共同責任なのである。

『サウルは姿を変えてほかの着物をまとい、ふたりの従者を伴って行き、夜の間に、その女の所にきた。そしてサウルは言った、「わたしのために口寄せの術を行って、わたしがあなたに告げる人を呼び起してください」。』(1サムエル記28:8)
口寄せの女がいるエンドルは、サウル達が陣営を張っているギルボアから20キロほど北にあるが、ペリシテが陣営を張っているシュネムは、エンドルの南西わずか5キロほどの所にある。
彼は夜、変装し、敵に見つかりそうな危険を犯しても、口寄せを求めて20キロの旅をしたのだ。
その労を主に捧げる心があったなら、彼はどんなに変わっていただろう。

『女は彼に言った、「あなたはサウルがしたことをごぞんじでしょう。彼は口寄せや占い師をその国から断ち滅ぼしました。どうしてあなたは、わたしの命にわなをかけて、わたしを死なせようとするのですか」。サウルは主(エホバ)をさして彼女に誓って言った、「主(エホバ)は生きておられる。この事のためにあなたが罰を受けることはないでしょう」。』(1サムエル記28:9-10)
サウルは、主の忌み嫌われる口寄せに対し、主エホバの名によって、彼女の安全を誓った。
彼は完全に、主の御名を軽んじ、主の御名を誤った用い方をしている。彼がこのように、主を軽んじる者だったからこそ、滅びへの街道がまっしぐらだったのだ。

平素は自分の心の赴くままに生きて、死ぬ直前にイエス様の名を呼び求めれば、世の中も好きに生きれて、死んだら天国に行けるのではないか、と思う人がいるが、果たしていざという時、主を呼び求める心を、保ちつづけていられるだろうか。
人はいざという時こそ、普段から頼っているものに心を向け、普段から頼っていないものをすぐに捨てるものである。
だから私達は、普段から、真に油注がれた王であり、まことの預言者、真の大祭司である主キリストを頼りとし、その守りの内を歩んでいくべきだ。

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