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メッセージ - 失ったもの以上を取り戻す転機(1サムエル記30:9-20)

失ったもの以上を取り戻す転機(1サムエル記30:9-20)

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礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » 1サムエル記
執筆 : 
pastor 2015-7-1 23:50

礼拝説教メッセージ音声:失ったもの以上を取り戻す転機(1サムエル記30:9-20):右クリックで保存

ダビデは主にあって奮い立ち、主に伺い、主から示された言葉どおり追撃を開始した。

一度はダビデを石打ちにして殺そうとした部下達だったが、主によって奮い立ったダビデの信仰に、彼らも触発されたのだろう。
彼らはダビデを石打ちにするのではなく、彼の指示に従った。

私達も、失ったものを惜しみ、奪われた事を悲しんで泣いているだけなら、さらに周りから石を投げられるような事になるものだ。世は、信じたとおりになるものだから。
そのような時こそ私達もダビデのように奮い立って「エポデを持って来なさい」と指示し、主の御前に進み出るべきだ。
その時、その人は威厳をまとい、周りの人も、状況も、動きだすのだから。

『そこでダビデは、一緒にいた六百人の者と共に出立してベソル川へ行ったが、あとに残る者はそこにとどまった。すなわちダビデは四百人と共に追撃をつづけたが、疲れてベソル川を渡れない者二百人はとどまった。』(1サムエル記30:9-10)
彼らはこの時、体力も気力も消耗し切っていたのだろう。この状況での進撃は、かなり厳しかったようである。
それでも600人中、400人は川を渡り、進撃を続けた。
具体的に何をすれば良いのか、どこへ行けば良いのか、分からない中でも、主の「進め」という言葉だけが確かに響いている時、私達の為すべき分はただ一つ、進み続ける事である。
その私達に与えられた「分」を果たすなら、主は助けを送り、次に為すべき事を示されるからだ。

『彼らは野で、ひとりのエジプトびとを見て、それをダビデのもとに引いてきて、パンを食べさせ、水を飲ませた。また彼らはほしいちじくのかたまり一つと、ほしぶどう二ふさを彼に与えた。彼は食べて元気を回復した。彼は三日三夜、パンを食べず、水を飲んでいなかったからである。』(1サムエル記30:11-12)
主が送られた助け人、それは、一介の、行き倒れのエジプト人であった。
一見すると何の役にも立たないような、行き倒れ。
そんな小さな者さえ、ないがしろにせず助けてやる人に、主は、隠されていた「助け」を現して下さる。

『ダビデは彼に言った、「あなたはだれのものか。どこからきたのか」。彼は言った、「わたしはエジプトの若者で、アマレクびとの奴隷です。三日前にわたしが病気になったので、主人はわたしを捨てて行きました。わたしどもは、ケレテびとのネゲブと、ユダに属する地と、カレブのネゲブを襲い、また火でチクラグを焼きはらいました」。
ダビデは彼に言った、「あなたはその軍隊のところへわたしを導き下ってくれるか」。彼は言った、「あなたはわたしを殺さないこと、またわたしを主人の手に渡さないことを、神をさしてわたしに誓ってください。そうすればあなたをその軍隊のところへ導き下りましょう」。』(1サムエル記30:13-15)
この、一介の行き倒れが、ダビデ達、および彼らの妻子達を救いだす、重要なキーパーソンへと”大化け”した。

私達も、日々のちいさな物事、特に、美徳と呼ばれるものを、軽んじるべきではない。(ピリピ4:8)
主は、幻や奇跡といった「非日常」にしか現れないと思ったら大間違いである。むしろ主は日常の内に、盗人のように、思いがけず現れるものだ。(ヘブル13:2)
私達の信仰の父・アブラハムも、世の美徳と呼ばれる事を忠実に行ったから、知らない間に主をもてなし、主からの養いを豊かに受けた。

『彼はダビデを導き下ったが、見よ、彼らはペリシテびとの地とユダの地から奪い取ったさまざまの多くのぶんどり物のゆえに、食い飲み、かつ踊りながら、地のおもてにあまねく散りひろがっていた。』(1サムエル記30:16)
ダビデ達は、丁度良い時間に、丁度良いタイミングで、略奪した者達の所に到着した。
彼らはすっかり油断し、散開してあちこちで飲み食いし、酔っ払い、行動力も判断力も鈍っているような、攻めこまれたらひとたまりもないような状況だった。
主は実に、時間も空間も支配しておられる方だ。

『ダビデは夕ぐれから翌日の夕方まで、彼らを撃ったので、らくだに乗って逃げた四百人の若者たちのほかには、ひとりものがれた者はなかった。こうしてダビデはアマレクびとが奪い取ったものをみな取りもどした。またダビデはそのふたりの妻を救い出した。そして彼らに属するものは、小さいものも大きいものも、むすこも娘もぶんどり物も、アマレクびとが奪い去った物は何をも失わないで、ダビデがみな取りもどした。』(1サムエル記30:17-19)
彼らは四百人で攻め入り、一昼夜激しく打って、らくだに乗ってようやく逃げたミデヤン人も、四百人だった。
ダビデ達はどれ程、大勢のアマレクを撃った事だろう。そして、その分捕りはどれ程多かった事だろう。

いかに疲れている状態でも、主の故に進み出て行く時、主は力を与え、疲れを吹き飛ばさせ、主の大いなる御業を見させて下さるのだ。
ヨシュアの時代、太陽と月が一日同じ位置に留まって、天がヨシュア達を助けた時も、彼らは、休まずの行軍と戦いで疲れていたはずだった。
しかし主が力を与え、大いなる奇跡を起こし、彼らの疲れを吹き飛ばしてくださった。

私達も時に疲れ、「なんでこんな人のために、休まずに働かなくてはならないのか」と思える時も、あるかもしれない。
しかし、今働いている事が御国の働きであり、着実に御霊の実を結び続けているのであるなら、たゆまずそれを続けるべきだ。
それを乗り越えた時こそ、主は偉大な事をされるからだ。

『ダビデはまたすべての羊と牛を取った。人々はこれらの家畜を彼の前に追って行きながら、「これはダビデのぶんどり物だ」と言った。』(1サムエル記30:20)
ダビデは、つい先日までは妻子も財産も奪われ、何もない、すっからかんの状態だったのに、それが一転して、一気に大物持ちになった。

ダビデ達がサウルを避けてペリシテに来たのも、妻子や家財が奪われたのも、ダビデの不信仰や弱さの故だったかもしれない。
しかし、そんな自業自得的な災いの中にあっても、主に立ち返り、信仰によって進み出るなら、主はそれさえ益として造り変えられる。
主はなんと恵み深いお方だろう。

私達も主にあって奮い立ち、サタンに奪われたもは、きっちりと取り戻すべきである。

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