メッセージ - 第二サムエル記概要(2サムエル記1:1)
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『サウルが死んだ後、ダビデはアマレクびとを撃って帰り、ふつかの間チクラグにとどまっていた』(2サムエル記1:1)
第二サムエル記は、サウルの死と、ダビデの勝利で始まる。
第一サムエル記の終盤、サウルも、ダビデも、それぞれ危機的状況にあったが、サウルは乗り越えられず死に、ダビデは信仰によって乗り越えて大逆転した。
サウルは結局、主に求め続けるという事を、最後までしなかった。
彼は人生最大の危機に面した時、久しぶりに主に伺おうとて、夢やウリム、預言者に御心を求めたが主の応えは無く、それでさっさと口寄せへと導きを求めてしまった。
結局、彼の長い”信仰生活”はずっと外見的なままで、彼の心は主から離れていた事が明確にされたのだ。
ダビデも、妻子や財産全てを失い、あわや部下に殺されてしまう、という危機にあったが、彼は信仰を奮い立たせて主に伺い、主の導きに従って追いかけ、全てを取り戻しただけでなく、それ以上を分捕って、このチクラグという所で喜びを噛み締めつつ、お世話になった人達に贈り物を届けた所だった。
第二サムエル記は、このサウル王の悲惨な死とダビデの戦勝の盛りの場面で始まる。
第二サムエル記は、ダビデ王の治世の記録である。
ダビデは第一サムエル記でも登場していたが、そこではあくまでサウル王の下での活躍であった。
この第二サムエル記は、そのサウルの死で初まり、ダビデがますます盛んになり、サウル家がますます没落して行く様が、一章から四章で記されている。
ダビデ自身からは何も仕掛けていないのに、周りの状況があれよあれよと動いて、彼は結局、ほぼ自動的に全イスラエルの王となって行く。
五章以降は、ダビデの王国がさらに確立されて行く様が記されている。
彼はイスラエルの首都をダビデの町・エルサレムと定め、そこに主の契約の箱を運び入れ、そして主から、ダビデの家は永遠に続くという約束をいただく事になる。
事実、彼の王国の永遠は今も続いている。
私達クリスチャンは全て、彼の王国の支配、すなわち、ダビデの子・キリストの王国の支配下にある。
八章は、周辺諸国を平定したダビデ治世の最盛期が記されているが、九章以降、ダビデの失敗も、残らず記録されている。
ダビデは全てがうまく行って最高潮の時、気が緩み、戦争に出ている部下の妻を見初め、身ごもらせ、その夫を戦争の激戦区へ送って殺させる事で、主の御心を損ねてしまった。
この時以降、彼の子供達は次々と血なまぐさい事件を起こして行く。
それが九章以降、二十章までずっと続く。
ダビデといえ、色々の罪や失敗を犯す。
特に、子育ての面で失敗し、気が緩んだ時に間違いを犯す傾向があった。
しかし彼が滅ぼされる事なく、永遠の王権が奪われたなかったのは、彼は事あるごとに主に立ち返り、主に求め、罪を指摘された時は、間髪をいれず悔い改めたからだった。
ダビデとサウルの違いは、日頃主に依り頼むか頼まないか、罪が指摘された時に悔い改めるか悔い改めないか、である。
そのシンプルな違いで、明暗が分かれるのだ。
なお、二十一章から最後の二十四章まではダビデ治世の付録的な記事が記されている。
二十三章にダビデの最後のメッセージが記されているが、二十四章にはダビデのもう一つの失敗・人口調査の過ちが記されていて、必ずしも年代順に記されているわけではない。
第一サムエル記では、神の国における「王」となるための、優良な「帝王学」を学ぶ事が出来た。
この第二サムエル記では、いかに誤りなく「王」としての立ち位置をキープし続けるべきかを学ぶ事が出来る。
私達はキリストにあって、王族の祭司とされた。
主イエスにあって王とされた者として在るべきたしなみを、また、成功と失敗の法則を、そして、万一失敗してしまった場合、いかに信仰者として立ち返るべきかを、この書から学んでいきたい。