メッセージ - サウルの死に際とダビデの反応(2サムエル記1:2-12)
礼拝説教メッセージ音声:サウルの死に際とダビデの反応(2サムエル記1:2-12):右クリックで保存
ダビデ達は、アマレクから妻子も家財も全てを奪い返し、家族ともに無事だった事を喜び、お世話になった町々や人々に贈り物を届け、一息ついた所だった。
そんな彼らの所に、一人の若者から、ある知らせが来た。
『三日目となって、ひとりの人が、その着物を裂き、頭に土をかぶって、サウルの陣営からきた。そしてダビデのもとにきて、地に伏して拝した。ダビデは彼に言った、「あなたはどこからきたのか」。彼はダビデに言った、「わたしはイスラエルの陣営から、のがれてきたのです」。』(2サムエル記1:2-3)
着物を裂いて土をかぶるのは、イスラエル流の悲しみの表現である。
イスラエルの陣営から逃れて来た、と言う彼が、着物を裂いて土をかぶっている。
何かよからぬ事がイスラエルの陣営に起きたのだ、と、誰もが思っただろう。
『ダビデは彼に言った、「様子はどうであったか話しなさい」。彼は答えた、「民は戦いから逃げ、民の多くは倒れて死に、サウルとその子ヨナタンもまた死にました」。』(2サムエル記1:4)
あのサウルが、死んだ。
サウルに命を付け狙われ、国外にまで逃げて来た彼らには、衝撃的な知らせだった事に違いはないであろうが、見も知らぬ若者の言葉をそのまま受け入れるのは、早計である。
ダビデは詳細を聞いた。
『彼に話している若者は言った、「わたしは、はからずも、ギルボア山にいましたが、サウルはそのやりによりかかっており、戦車と騎兵とが彼に攻め寄ろうとしていました。その時、彼はうしろを振り向いてわたしを見、わたしを呼びましたので、『ここにいます』とわたしは答えました。彼は『おまえはだれか』と言いましたので、『アマレクびとです』と答えました。』(2サムエル記1:6-8)
普通、戦が真っ最中の戦場には、余程の事情でもない限り、人は近づきたがらないものである。
イスラエル人でもペリシテ人でもない、このアマレクの若者は、なぜ「はからずも」イスラエルとペリシテが戦っている戦場にいたのだろう。
アマレクの性質は、弱いものを襲撃して分捕る事である。
ダビデ達もつい先日、女子供しかいない留守中をアマレクに攻めこまれ、妻子や財産を奪われて、それを取り返したばかりだった。
また、アマレクは出エジプトしたイスラエルの会衆のうち、疲れて弱っている後方の人達を狙い撃ちにして襲った。
このアマレク人もおそらく、戦死者や傷ついて弱っている人から貴重品を掠め奪うために、敢えて、この危険な戦場に居たのではなかろうか。
そのような性質だから、主はアマレクを聖絶するようにモーセに命じ(出エジプト記17:8-16、申命記25:17-19)、サウルの時代、それを実行するようサウルに命じられたのだが(1サムエル記15:1-3)、サウルはそれをしなかった。
それ故サウルは、この事の刈り取りをする事になる。
『彼はまたわたしに言いました、『そばにきて殺してください。わたしは苦しみに耐えない。まだ命があるからです』。そこで、わたしはそのそばにいって彼を殺しました。彼がすでに倒れて、生きることのできないのを知ったからです。そしてわたしは彼の頭にあった冠と、腕につけていた腕輪とを取って、それをわが主のもとに携えてきたのです」。』(2サムエル記1:9-10)
アマレクの若者は、サウルの死んだ時の様をこのように証言し、その証拠として、サウルが身につけていた王冠と腕輪とを取って、ダビデ達に見せた。
ダビデ達は、その物証によって、サウルの死を確実なものとして知った。
サウルが最後にアマレク人に願った言葉は、KJVでは次のように記されている。
『I pray thee, upon me, and slay me: for anguish is come upon me, because my life is yet whole in me. (お願いだ、そばに来て私を殺してくれ、苦痛が来ているのに、私の命は今だに「満ちている(kole:完全な状態)」から。)』
ペリシテの矢を受けても死なず、自分で自分を刺しても、死ねない。
ものすごく痛くて苦しくて、すぐにでも死にたいのに、なぜか死ねずにいた、その所に、たまたまアマレク人が来て、彼に願って殺してもらった。
主の御声に背いてアマレクを生かしておいたサウルに、相応しい最後とも言える。
ところで、アマレク人が証言したこのサウルの最後の様子は、第一サムエル記31章のそれとは違う。
第一サムエル記では、サウルは矢傷を受けて敵が迫っているのに、従者に介錯してもらえず、やむなく、自ら自害した、というものだった。
このアマレク人が褒美欲しさに偽りを言ったのか、それとも本当を言ったのか、断定はできないが、いずれにせよ、サウルの死にアマレク人が関わった事は確かであり、サウルの王冠と腕輪はアマレク人に奪われ、それはダビデへと渡されたのだ。
将来サウルに取って代わって王となる、と言われていたダビデは、アマレクの手から王冠を受け取った時、どのような心境だっただろう。
ダビデ達としては、自分達を長年追っていたサウルが死んだ、という「意味」においては、「良い知らせ」だったかもしれない。
実際、アマレクの若者も、自分では「良い知らせ」を持ってきた、と思っていた。(2サムエル記4:10)
しかし、ダビデの反応はどうだったか。
『そのときダビデは自分の着物をつかんでそれを裂き、彼と共にいた人々も皆同じようにした。彼らはサウルのため、またその子ヨナタンのため、また主の民のため、またイスラエルの家のために悲しみ泣いて、夕暮まで食を断った。それは彼らがつるぎに倒れたからである。』(2サムエル記1:11-12)
ダビデの反応は、これだった。
果たして彼は、実は両手放しで喜びたい所を、ぐっとこらえたのだろうか?
サウルが死んで喜ぶ姿を皆に見せるのは良くない、むしろ悲しむ素振りをした方が、これからの身の振り上、よろしいだろう、そのような事を一瞬で思いついて一瞬で行動に移したのだろうか。
いや、彼は心底、サウルが、ヨナタンが、そして神の民イスラエルが多くが倒れた事に、ショックを受け、心乱され、悲しんだのではなかろうか。
私達も、自分たちに悪いことをし続けたクリスチャンの兄弟姉妹が、一族郎党、悲惨な死に方をした、という知らせ聞いたとするなら、果たして両手放しで喜べるだろうか。
むしろ、主にある兄弟姉妹がそのような死に方をした事を悲しみ、主の峻厳さを恐れるのではなかろうか。
ダビデ達がイスラエルを離れていたばかりに、イスラエルの多くの人達が倒れ、そして主に油注がれたサウルさえ倒れた。
しかも彼らは、あわや、ペリシテ軍の一員として神の民の血を流す側として、サウル達イスラエルに刃を向け、殺めていた所だったのだ。
ダビデは、一歩間違えれば、自分たちこそサウルのようになってしまっていた、と、震えおののいただろう。
ダビデはこの後、色々の失敗も犯すが、彼はその都度、すぐに自分の罪を告白して悔い改める性質を身につけ、主に滅ぼされる事なく、安泰の内にその生涯を全うする。
彼はこの時の経験を戒めとして受け取り、いつも主を恐れ、サウルの二の鉄を踏まないように、気をつけたのだろう。
ダビデは、知っていた。
自分がいかに罪にまみれているかを。
『神よ、あなたのいつくしみによって、わたしをあわれみ、あなたの豊かなあわれみによって、わたしのもろもろのとがをぬぐい去ってください。わたしの不義をことごとく洗い去り、わたしの罪からわたしを清めてください。わたしは自分のとがを知っています。わたしの罪はいつもわたしの前にあります。わたしはあなたにむかい、ただあなたに罪を犯し、あなたの前に悪い事を行いました。それゆえ、あなたが宣告をお与えになるときは正しく、あなたが人をさばかれるときは誤りがありません。』(詩篇51:1-4)
それなのに、彼は赦され、むしろ自分には到底相応しくない栄誉と成功が与えられた。
この主の憐れみと赦しを、彼はどれ程、感謝した事だろう。
私達も、自分の犯してきた罪や過ちから勘案するなら、到底相応しからぬ栄誉と祝福を得ている。
その事を、ダビデのように感謝しているだろうか。罪に走らないよう常日頃気をつけているだろうか。
私達もこの第二サムエル記から、ダビデにならい、王としてのたしなみを学び身に着けて行きたい。