メッセージ - 聖なる器を担う働き人としての整え(イザヤ52:1-3)
聖なる器を担う働き人としての整え(イザヤ52:1-3)
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今年に入って以来、天声は新しい局面に入っており、より前進した働きをするよう、主から促されている。
より前進した働きとは、より優良ないのちのことば(愛、憐れみ、信仰を息吹いた御言葉:レーマ)を、より多くの人々に、特に、幼い命たちや救いを必要としている人たちに届けるための働きである。
その、いのちを届ける「働き人」に必要なエッセンスを、イザヤ52章から学びたい。
『シオンよ、さめよ、さめよ、力を着よ。聖なる都エルサレムよ、美しい衣を着よ。割礼を受けない者および汚れた者は、もはやあなたのところに、はいることがないからだ。 』(イザヤ52:1)
主は「シオンよ」「聖なる都エルサレムよ」と、呼びかけている。シオンは神殿のある丘、主を礼拝する所で、「聖なる都エルサレム」の中にある。よく「シオンの娘」と、主の花嫁として呼びかけられるが、いのちを届ける働き人が持つべきアイデンティティは「聖なる者」「主を礼拝する民」、そして「キリストの花嫁」である。
主はシオンに「覚めよ(覚醒せよ、奮い立て)」と、2度も、呼びかけている。どうしたら覚める事が出来るか。
聖書の言葉を取り入れるなら、頭脳を、そして霊を覚醒させる事が出来、真理が、また物事の本質が分かるようになり、社会においても、霊的な活動においても、先んじる事が出来ると、以前学んだ通りである。
続いて主は、力を着よ、美しい衣を着よ、と言われる。それを着るためにはどうすれば良いか、エペソ書に記されている。 『以前の生活に属する、情欲に迷って滅び行く古き人を脱ぎ捨て、心の深みまで新たにされて、真の義と聖とをそなえた神にかたどって造られた新しき人を着るべきである。』(エペソ4:22-24)
そうするならば割礼を受けない者、汚れた者、暴力的に力で奪い取る者は、もはや入る事は無い。
『捕われたエルサレムよ、あなたの身からちりを振り落せ、起きよ。捕われたシオンの娘よ、あなたの首のなわを解きすてよ。 』(イザヤ52:2) なぜエルサレムは捕われ、首に縄が掛かっているのか。
それは「罪」を続けた結果だ。罪(ハマルティア)とはそもそも「的を外す」事だが、御言葉の「こうしなさい」を退け、自分の「こうしたい」を採用する時、的を外してしまう事となる。私達が、神様のガイドラインである「御言葉」を採用して行動する時、的を射た者となり、ユダヤ人のように栄える事が出来る。
かつてのイスラエルは、御言葉を退け、自分勝手な歩みを続け、どんどん、あさっての方向へ行ってしまったため、異邦の国に負け、捕らえられ、首に縄をかけられ、連れて行かれてしまったのだ。
今、世界各国が、そのように御言葉に背く方向に傾いているが、私達が御言葉にとどまり、書かれてある事に心を留め、その通り行う事なら、捕われの身であったとしても、解放される事ができる。
『主はこう言われる、「あなたがたは、ただで売られた。金を出さずにあがなわれる」。 』(イザヤ52:3)
人類は皆、ただで売られた。サタンに売られ、罪の下にいる。あの使徒パウロでさえ言っている。
『私は罪ある人間であり、売られて罪の下にある者です。』(ローマ7:21) 生まれた子供は、誰からも教えてもらわないのに、言葉を覚えた当初から、嘘をついたり、罪を他人になすりつけたり、盗んだりするため、先生や大人に「だめだよ」と言われて、本当は嘘をつきたいのに我慢する事を覚えて行く。このように人は罪を犯すのには何の苦労もしないが、「良い事を行う・悪い事をしない」には苦労する。罪が内在するからだ。
この、罪の下から、義の下へと買い戻されるためには、お金は必要ない。何によって買い戻されるのか。
『あなたがたが先祖伝来の空疎な生活からあがない出されたのは、銀や金のような朽ちる物によったのではなく、 きずも、しみもない小羊のようなキリストの尊い血によったのである。 』(1ペテロ1:18-19)
アダムの子孫は皆、生まれながらに罪を持っており、死という刑罰を受ける必要があった。しかし、借金を抱えた人が困っているのを、身代わり支払ってくれた人がいて自由になったように、イエス様は私達の身代わりに刑罰を受けて下さり、私達を永遠のいのちを生きる者に変えてくださった。このイエス様を、自分の救い主と信じる時、救われ、赦され、永遠に生きられるようになる。次のように書かれてある事は真実だ。
『あなたがたは、このキリストによって、彼を死人の中からよみがえらせて、栄光をお与えになった神を信じる者となったのであり、従って、あなたがたの信仰と望みとは、神にかかっているのである。』(同1:20-21)
罪赦され、捕われの身から解放され、覚めて奮い立ち、美しい衣を着せられ、聖なる器を運ぶ者として、良き報せを伝える者として整えられる皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!