メッセージ - 平和を流血で塗り替えたヨアブ(2サムエル記3:12-27)
礼拝説教メッセージ音声:平和を流血で塗り替えたヨアブ(2サムエル記3:12-27):右クリックで保存
争っていたサウル家とダビデ家であったが、アブネルの側から和平の申し出がなされた。
『アブネルはヘブロンにいるダビデのもとに使者をつかわして言った、「国はだれのものですか。わたしと契約を結びなさい。わたしはあなたに力添えして、イスラエルをことごとくあなたのものにしましょう」。』(2サムエル記3:12)
両家の争いにダビデは一切登場していなかったが、この、平和の申し出にダビデは答えた。
『ダビデは言った、「よろしい。わたしは、あなたと契約を結びましょう。ただし一つの事をあなたに求めます。あなたがきてわたしの顔を見るとき、まずサウルの娘ミカルを連れて来るのでなければ、わたしの顔を見ることはできません」。それからダビデは使者をサウルの子イシボセテにつかわして言った、「ペリシテびとの陽の皮一百をもってめとったわたしの妻ミカルを引き渡しなさい」。』(2サムエル記3:13-14)
ダビデのつけた条件は、正当なものであり、難しいものでもない。
ミカルはダビデを愛していたのに、父サウルがダビデの命を狙うようになって、ダビデは逃げざるを得なくなり、一人になってしまったミカルを、サウルは勝手にパルテエルという男性に嫁がせてしまったのだから、ダビデがミカルを戻すよう求めるのは、理にかなった事だ。
『そこでイシボセテは人をやって彼女をその夫、ライシの子パルテエルから取ったので、その夫は彼女と共に行き、泣きながら彼女のあとについて、バホリムまで行ったが、アブネルが彼に「帰って行け」と言ったので彼は帰った。』(2サムエル記3:15-16)
ミカルの一時的な夫だったパルテエルが、別れの時に泣き悲しんだ様も、サムエル記の筆者はわざわざ記している。
アブネルは、このパルテエルに声をかけて帰らせたばかりでなく、全イスラエルにも声をかけ、ダビデを王としてイスラエルを統一するために、大小あらゆる折衝をした。
彼は実に有能な働きをする人であることがわかる。
『アブネルはイスラエルの長老たちと協議して言った、「あなたがたは以前からダビデをあなたがたの王とすることを求めていましたが、今それをしなさい。主がダビデについて、『わたしのしもべダビデの手によって、わたしの民イスラエルをペリシテびとの手、およびもろもろの敵の手から救い出すであろう』と言われたからです」。アブネルはまたベニヤミンにも語った。そしてアブネルは、イスラエルとベニヤミンの全家が良いと思うことをみな、ヘブロンでダビデに告げようとして出発した。』(2サムエル記3:17-19)
アブネルは言った。イスラエルも、そしてサウルの同族・ベニヤミンも、ダビデが治める事を「以前から(直訳:昨日も一昨日も)」求めて来た、と。
そう、ダビデが王になる事は、主の御心であり、民意でもあったのだ。
『アブネルが二十人を従えてヘブロンにいるダビデのもとに行った時、ダビデはアブネルと彼に従っている従者たちのために酒宴を設けた。アブネルはダビデに言った、「わたしは立って行き、イスラエルをことごとく、わが主、王のもとに集めて、あなたと契約を結ばせ、あなたの望むものをことごとく治められるようにいたしましょう」。こうしてダビデはアブネルを送り帰らせたので彼は安全に去って行った。』(2サムエル記3:20-21)
このように、全てが平和の内に、全イスラエルの王権がダビデへと移ろうとしていた。
人々も皆、全てが平和に事が進んだと喜んだ事だろう。
しかし、この平和の雰囲気は、一人の男によってひっくり返されてしまう。
『ちょうどその時、ダビデの家来たちはヨアブと共に多くのぶんどり物を携えて略奪から帰ってきた。しかしアブネルはヘブロンのダビデのもとにはいなかった。ダビデが彼を帰らせて彼が安全に去ったからである。ヨアブおよび彼と共にいた軍勢がみな帰ってきたとき、人々はヨアブに言った、「ネルの子アブネルが王のもとにきたが、王が彼を帰らせたので彼は安全に去った」。』(2サムエル記3:22-23)
ヨアブは、かの一連の出来事を知らなかった。略奪に行っていたからである。
ダビデは、略奪に出かけている彼の所に急使を送って、アブネルたちがいつ、どんな目的で来る、という事を、伝える事も可能ではあっただろう。
しかしそれをしなかったのは、ヨアブが平和な性格ではないからだと思われる。
『そこでヨアブは王のもとに行って言った、「あなたは何をなさったのですか。アブネルがあなたの所にきたのに、あなたはどうして、彼を返し去らせられたのですか。ネルの子アブネルがあなたを欺くためにきたこと、そしてあなたの出入りを知り、またあなたのなさっていることを、ことごとく知るためにきたことをあなたはごぞんじです」。』(2サムエル記3:24-25)
ヨアブの血気盛んさが、よくわかる。
彼は、平和で物事が解決しようとしている所に、疑いを掻き立てさせ、いらぬ焦燥感を吹き入れた。
そして、ダビデがそれに乗らない、と見て取ると、彼は主君ダビデには黙って行動を起こす。
『ヨアブはダビデの所から出てきて、使者をつかわし、アブネルを追わせたので、彼らはシラの井戸から彼を連れて帰った。しかしダビデはその事を知らなかった。アブネルがヘブロンに帰ってきたとき、ヨアブはひそかに語ろうといって彼を門のうちに連れて行き、その所で彼の腹を刺して死なせ、自分の兄弟アサヘルの血を報いた。』(2サムエル記3:26-27)なんと彼は、全てを平和裏に進めていたアブネルを、卑劣なやり方で殺害してしまった。
その動機は、「自分の兄弟アサヘルの血を報い」るために。
私怨を晴らすために、全イスラエルが平和に動こうとしているのを、彼は覆してしまったのだ。
ずっと後、ソロモンは言っている。『主はまたヨアブが血を流した行為を、彼自身のこうべに報いられるであろう。これは彼が自分よりも正しいすぐれたふたりの人、すなわちイスラエルの軍の長ネルの子アブネルと、ユダの軍の長エテルの子アマサを、つるぎをもって撃ち殺し、わたしの父ダビデのあずかり知らない事をしたからである。』(1列王記2:32)
ヨアブは、彼のキャリアの中で「自分よりも正しく優れた人」を2人も殺した、という事は、彼は自分の地位が脅かされないため、自分よりも出来る人を排除したかった、というのも動機としてあったのかもしれない。
イエス様は言われた。剣を取る者は、剣で滅びる、と。
私達は、ヨアブのような怒りと流血によって滅びる者ではなく、ダビデのように平和をつくる者、柔和な者として地を相続する者でありたい。