メッセージ - ダビデ契約(2サムエル記7:1-16)
ダビデ契約(2サムエル記7:1-16)
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『さて、王が自分の家に住み、また主が周囲の敵をことごとく打ち退けて彼に安息を賜わった時、王は預言者ナタンに言った、「見よ、今わたしは、香柏の家に住んでいるが、神の箱はなお幕屋のうちにある」。ナタンは王に言った、「主があなたと共におられますから、行って、すべてあなたの心にあるところを行いなさい」。』(2サムエル記7:1-3)
自分はここまで快適で豪勢に暮らしているというのに、主の箱は相変わらず粗末な環境にある、とダビデは思ったのかもしれない。
それをダビデは預言者ナタンに相談し、ナタンも最初は「あなたの心にある所を行いなさい」と言ったのだが、その夜、主は意外な事を告げられる。
『「行って、わたしのしもべダビデに言いなさい、『主はこう仰せられる。あなたはわたしの住む家を建てようとするのか。わたしはイスラエルの人々をエジプトから導き出した日から今日まで、家に住まわず、天幕をすまいとして歩んできた。わたしがイスラエルのすべての人々と共に歩んだすべての所で、わたしがわたしの民イスラエルを牧することを命じたイスラエルのさばきづかさのひとりに、ひと言でも「どうしてあなたがたはわたしのために香柏の家を建てないのか」と、言ったことがあるであろうか』。』(2サムエル記7:4-7)
主は天にも地にも満ちておられ、まどろむ事も眠る事も無く、疲れる事もたゆむ事も無いお方である。
だから、主の箱が幕屋から香木の家などに入った所で、主は安息や快適さを覚えられるような事はない。
『いと高き者は、手で造った家の内にはお住みにならない。預言者が言っているとおりである、『主が仰せられる、/どんな家をわたしのために建てるのか。わたしのいこいの場所は、どれか。天はわたしの王座、/地はわたしの足台である。これは皆わたしの手が造ったものではないか』。』(使徒7:48-50)
そもそも、幕屋や契約の箱はこれこれの寸法と材料で造りなさい、と、事細かく指示されたのは、主である。
その主が定めた事を、人はとやかく申し出る事などできないのだ。
ただ、ダビデとしては、主を愛するが故に、主に何かしたかったのだろう。
ちょうど、子供が親のために何かしたいと思って何かしても、その内容は幼稚で、意味が無く見えるように。
しかし親は、そんな子供を愛おしく思うものである。
主もダビデを愛おしく思ったのだろう、さらに大いなる名誉を与えようと約束される。
『主はまた「あなたのために家を造る」と仰せられる。あなたが日が満ちて、先祖たちと共に眠る時、わたしはあなたの身から出る子を、あなたのあとに立てて、その王国を堅くするであろう。彼はわたしの名のために家を建てる。わたしは長くその国の位を堅くしよう。わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となるであろう。もし彼が罪を犯すならば、わたしは人のつえと人の子のむちをもって彼を懲らす。』(2サムエル記7:11-14)
主のための家を建てたいと願っていたダビデだが、なんと主は、ダビデのために永遠に堅く続く家をたてる、と言われたのだ。
永遠の王が、ダビデの家系から誕生する、と。
もっとも、ダビデの次のソロモンは、王となった当初は良かったものの、繁栄するにつれ堕落し、彼に続く王達も主から離れ罪を犯すようになり、「もし彼が罪を犯すならば、わたしは人のつえと人の子のむちをもって彼を懲らす」の言葉どおりになってしまい、ついにはアッシリヤやバビロンという「つえ(イザヤ10:5)」によって、散らされてしまった。
しかし主は、ダビデの家に対する憐れみを忘れない。
『しかしわたしはわたしのいつくしみを、わたしがあなたの前から除いたサウルから取り去ったように、彼からは取り去らない。あなたの家と王国はわたしの前に長く保つであろう。あなたの位は長く堅うせられる』」。』(2サムエル記7:15-16)
主は、堕落してしまったダビデ王家を懲らしたが、ダビデに約束されていた通り王権はダビデの家から離れること無く、イエス・キリストによって「位は長く堅うせられる」の預言は成就したのだ。
この、永遠の王メシヤ、すなわちイエス・キリストが、ダビデの子孫から生まれるという約束を「ダビデ契約」と言う。
それでユダヤ人達は、メシヤを「ダビデの子」と呼んで待ち望んだ。
だから、新契約聖書の最初、イエス・キリストの福音書のはじめは、アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図で始まるのである。(マタイ1:1)