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メッセージ - 権力者によって流されて来た血と涙とを覚えておられる主(2サムエル記11:16-27)

権力者によって流されて来た血と涙とを覚えておられる主(2サムエル記11:16-27)

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礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » 2サムエル記
執筆 : 
pastor 2015-8-21 23:50

権力者によって流されて来た血と涙とを覚えておられる主(2サムエル記11:16-27)
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ヨアブが「ウリヤを謀殺せよ」というダビデの手紙を受けた時、彼は特に詮索したり戒めたりする事なく、命令をそのまま実行する。
ヨアブもかつてアブネルを剣で謀殺したので、そのようなはかりごとに対する拒否反応は無かったのだろう。

『ヨアブは町を囲んでいたので、勇士たちがいると知っていた場所にウリヤを置いた。町の人々が出てきてヨアブと戦ったので、民のうち、ダビデの家来たちにも、倒れるものがあり、ヘテびとウリヤも死んだ。』(2サムエル記11:16-17)
あの罪なき誠実な戦士・ウリヤは、死んでしまった。
ウリヤだけでなく、ダビデの家来達の中からも、何名か倒れる者があった。
直接手をかけたのはアモン人であるが、ダビデが指示し、敵の手を利用して、殺させたのだ。
剣を用いる者には剣がつきまとい、罠を張る者は、やがて、自らが張った罠にかかってしまう。

『ヨアブはその使者に命じて言った、「あなたが戦いのことをつぶさに王に語り終ったとき、もし王が怒りを起して、『あなたがたはなぜ戦おうとしてそんなに町に近づいたのか。彼らが城壁の上から射るのを知らなかったのか。』(2サムエル記11:19-20)
ヨアブは、あらかじめダビデが言いそうな事に対してアドバイスをしている。
イスラエルの軍は、敵の城壁に接近し過ぎる事は、禁じ手だった。
その理由は、以下の事があったからだ。
『エルベセテの子アビメレクを撃ったのはだれか。ひとりの女が城壁の上から石うすの上石を投げて彼をテベツで殺したのではなかったか。あなたがたはなぜそんなに城壁に近づいたのか』と言われたならば、その時あなたは、『あなたのしもべ、ヘテびとウリヤもまた死にました』と言いなさい」。』(2サムエル記11:21)

これは士師の時代、エルベセテ(=エルバアル=ギデオン)の子・アビメレクが、敵の城壁に近づいて火をつけている所を、一人の女が彼に石臼を投げ落として頭蓋を割り、それで殺された事に由来する。(士師記9章)
ダビデ自身、戦士であり、聖書にも通じていたので、聖書の記述やイスラエルの歴史を元に、戦いの時はこうしなさい、これはしてはいけない、と、常々指示していたのだろう。
それで、「城壁に近づき過ぎると危険だ」という戦訓は、全兵士が知っている基本中の基本だったのだろう。
聖書の記述を元にして、普段から戦訓や教訓を部下に徹底させる点、ダビデは偉大であるが、今回彼がした事は、決して偉大とは言えない。

『こうして使者は行き、ダビデのもとにきて、ヨアブが言いつかわしたことをことごとく告げた。使者はダビデに言った、「敵はわれわれよりも有利な位置を占め、出てきてわれわれを野で攻めましたが、われわれは町の入口まで彼らを追い返しました。その時、射手どもは城壁からあなたの家来たちを射ましたので、王の家来のある者は死に、また、あなたの家来ヘテびとウリヤも死にました」。』(2サムエル記11:22-24)
この報告から、ウリヤが死んだ時の様子を伺う事ができる。

敵は、城壁の町から出て来て野に出てきた所を、ヨアブたちは迎え打ち、そこで敵が後退して城壁の中に入ろうとした時、ヨアブはウリヤに追い打ちをかけるよう命令し、彼らが城門に近づいた所を、弓で射掛けられてしまい、それでウリヤは討ち死にして、こうして全て、ヨアブの手はず通りに運んだのだろう。
ヨアブは、このようなはかりごとを巡らす点においてはとても聡いが、そのような彼の死に際は、決して平和なものではない。(1列王記2章)

『ダビデは使者に言った、「あなたはヨアブにこう言いなさい、『この事で心配することはない。つるぎはこれをも彼をも同じく滅ぼすからである。強く町を攻めて戦い、それを攻め落しなさい』と。そしてヨアブを励ましなさい」。』(2サムエル記11:25)
ダビデは、ヨアブが予期した通りに責める事はせしなかった。かえって、「励ましなさい」と伝えた。

ダビデは、ウリヤの死を聞いて、ほっとしただろうか。
自分のした悪が公になる事を防げて、ほっとした気持ちもあっただろう。
しかし、それ以上に、罪の責め苦の嵐が吹き荒れていたのではないだろうか。
なぜなら、彼の罪が全て明らかにされた時、彼は『わたしは自分のとがを知っています。わたしの罪はいつもわたしの前にあります。』(詩篇51:3) と、後になって告白している。
また彼は、詩篇32編で次のように書いている。

『わたしが自分の罪を言いあらわさなかった時は、ひねもす苦しみうめいたので、わたしの骨はふるび衰えた。あなたのみ手が昼も夜も、わたしの上に重かったからである。わたしの力は、夏のひでりによって/かれるように、かれ果てた。
わたしは自分の罪をあなたに知らせ、自分の不義を隠さなかった。わたしは言った、「わたしのとがを主に告白しよう」と。その時あなたはわたしの犯した罪をゆるされた。』(詩篇32:3-5)
ダビデは、罪を犯した事を黙っていた時、苦しみ、うめいたようである。
罪を隠し黙っている時、主の御手が重くのりかかり、骨が疲れ果てるような、夏の日照りで渇ききるような変調を、心にも、そして体にも来らせてしまうのだ。
しかし、主に罪を認めそれを告白する時、罪の代価は支払わねばならないが、それらの責め苦からは解き放たれ楽になるのだ。

『ウリヤの妻は夫ウリヤが死んだことを聞いて、夫のために悲しんだ。その喪が過ぎた時、ダビデは人をつかわして彼女を自分の家に召し入れた。彼女は彼の妻となって男の子を産んだ。しかしダビデがしたこの事は主を怒らせた。』(2サムエル記11:26-28)
ダビデは一時、面目を保てたかもしれない。
その罪はうまく隠しおおせて、これから後、覚えられる事は無いと思ったかもしれない。
しかし主は、一人の義人の不当に流された血を覚えておられ、また、それによって流された全ての涙も、覚えておられる。

主は、ウリヤの死とその妻の涙が忘却の闇へと葬り去られて行く事を、許さない。
主は、不当に虐げられ助けを求める人達には救いであるが、彼らを不当に虐げる側にとっては、恐ろしい主である。

ウリヤ。それは、主の光という名である。
主の光がダビデの闇をあばき、そしてこの事は容赦なく明るみに出され、永遠の書物に記され、新約聖書の最初の章・イエス・キリストの系図には堂々と「ウリヤの妻」の表記が記されている。

王が人妻と寝て、その夫を謀殺する。
それは世では決して珍しい事ではなく、あたかも当たり前のように公然と行われ、それで幾多の人々の命と涙が、闇の中へと葬り去られているかのように見えるが、主は、それら一つ一つの流されてきた血潮と、涙とを、覚えておられる。
さばきは、神の家から始まる。だからダビデは、他のどの王も当然しているかのような事でも、真っ先に光を当てられ、「さばかれた」のだ。
そして実は、王や権力者がその力を利用して強奪するあらゆる搾取についても、ただ、さばきが遅らされているだけで、やがては主の正当な主のさばきが行使されるのだ。

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