メッセージ - 犯してしまった罪の刈り取り(2サムエル記12:7-14)
犯してしまった罪の刈り取り(2サムエル記12:7-14)
Youtube動画
メッセージ音声
『ナタンはダビデに言った、「あなたがその人です。イスラエルの神、主はこう仰せられる、『わたしはあなたに油を注いでイスラエルの王とし、あなたをサウルの手から救いだし、』(2サムエル記12:7)
ダビデは、主に見放されたサウル王がどんな悲惨な軌跡を辿ったのかを見ていたので、預言者から「あなたがその人です」と言われた時、冷水を浴びせられたようにぞっとしただろう。
主がどのようなお方であるかを理解しているならしている程、主の怒りを買う事がいかに恐ろしいかを知っており、自分がそのような状態にある時、心落ち着かないものだ。
主に扱っていただくべき罪や弱さ、至らなさを、いつまでも放置して呻いたまま何ヶ月も何年も過ごすのは、不健康であり、速やかに御前に出て取り扱っていただくべきだ。
『どうしてあなたは主の言葉を軽んじ、その目の前に悪事をおこなったのですか。』(2サムエル記12:9)
もし御言葉に記されている事(例えば、姦淫をしてはならない、殺してはならないという記述)を知りながら、それでもそれを犯すとするなら、御言葉なる主を軽んじ、御言葉なる主の目の前で悪を行っているものである。
警察官を目の前にするなら、誰も万引きはしないであろうが、そのようなレベルの問題ではなく、主のことばによって造られたこの世界の中で、主のことばによって造られた私達は、決して、神の臨在から離れる事は出来ないのものであり、例えば、アダムとエバがいちじくの葉で腰を覆ったり木陰に隠れたりする事は、全く無意味な事なのだ。
『あなたはつるぎをもってヘテびとウリヤを殺し、その妻をとって自分の妻とした。すなわちアンモンの人々のつるぎをもって彼を殺した。あなたがわたしを軽んじてヘテびとウリヤの妻をとり、自分の妻としたので、つるぎはいつまでもあなたの家を離れないであろう』。』(2サムエル記12:9-10)
ダビデは「剣」を用いて罪なき人の血を流した。
それ故今後、剣による災いに悩まされる事になる。
事実、ダビデから生まれた子の内、3人は剣で殺されてしまう。またダビデ自身、将来、剣から逃れなくてはならなくなってしまう。
『主はこう仰せられる、『見よ、わたしはあなたの家からあなたの上に災を起すであろう。わたしはあなたの目の前であなたの妻たちを取って、隣びとに与えるであろう。その人はこの太陽の前で妻たちと一緒に寝るであろう。あなたはひそかにそれをしたが、わたしは全イスラエルの前と、太陽の前にこの事をするのである』」。』(2サムエル記12:11-12)
ダビデはもうひとつ、姦淫という罪を犯した。
それ故、彼は姦淫で「はずかしめられる側」となり、事実この言葉の通り、ダビデの娘タマルは異母兄弟によって辱められ、ダビデの側女もダビデの子アブシャロムによって、白昼公然と辱められてしまう。
『ダビデはナタンに言った、「わたしは主に罪をおかしました」。ナタンはダビデに言った、「主もまたあなたの罪を除かれました。あなたは死ぬことはないでしょう。』(2サムエル記12:13)
ダビデはこの時、王の権威をふるって、耳に痛い事を言う預言者を殺す事もできたであろうが(実際、歴代の王達は預言者を迫害し殺した者も多くいた)、ダビデはそれをせず、正直に罪を認めた。
主は確かにダビデの罪を見過ごして下さった。
しかし、犯罪を犯した人は相応の服役をしなくてはならないように、彼が行った事の報いは、彼自身が受けなくてははらない。
『しかしあなたはこの行いによって大いに主を侮ったので、あなたに生れる子供はかならず死ぬでしょう」。』(2サムエル記12:14)
ダビデが犯した「姦淫」は、いのちの誕生への冒涜行為であり、剣によって罪なき人を殺害するという罪もした。
それ故、ダビデ自身は報いを受けなかったが、彼が産んだいのちが、その報いを受ける事になってしまった。
ダビデは、自分の罪の故に死ぬのではなく、罪を背負い、報いを刈り取りつつ生きなくてはならなくなった。
罪の刈り取りは、必ずある。しかし主は、人が一度罪を犯せば罰の中に永遠に閉じ込めたままにされるお方ではない。
懲らしめられて悔い、主に帰ろうとする人を、主は憐れまずにはいられない。(エレ31:18-22)