メッセージ - 石女から宝石のような世代へ(イザヤ54章)
石女から宝石のような世代へ(イザヤ54章)
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週報/メッセージ(説教)概要
『子を産まなかった石女(うまずめ)よ、歌え。産みの苦しみをしなかった者よ、声を放って歌いよばわれ。夫のない者の子は、とついだ者の子よりも多い」と主は言われる。』(イザヤ54:1)
なぜ主は、子を産まない女に「喜べ」と言われるのだろう。聖書は、不妊の女や、生まれる望みのない女に奇跡的に子を与え、その子が時代を変えるようになる記述が多いが、それは、母をうめかせ、祈りへと導き、その祈りとうめきによって御前に飾られた子を、御言葉と信仰によって育て、そして時代を変えるためだ。
主は、ハンナに子を産ませなかった。彼女が「声にならない程のうめきの祈り」を生むまでは。(1サム1章)
主は、その暗黒の時代にサムエルを生み落とすために、ハンナを選び、彼女に声にもならない心からの祈りを引き出すために、石女にしたのであろう。それ程までに、「祈り」と「捧げる心」は重要なのだ。
彼女がこの祈りをした時、生まれてくる子は、主に捧げられ、それによって主は、その子をご自分の御旨どおり用いる「きっかけ」を得、こうして時代の指導者でありキングメーカーであるサムエルが生み出された。
「あなたの子孫はもろもろの国を獲、荒れすたれた町々をも住民で満たす」(3節)と記されている通りである。
子を産まない女、夫のない女は、世間からの恥がつきものだが、主は、主にすがる人々に言われる。
『恐れてはならない。あなたは恥じることがない。あわてふためいてはならない。あなたは、はずかしめられることがない。あなたは若い時の恥を忘れ、寡婦であった時のはずかしめを、再び思い出すことがない。あなたを造られた者はあなたの夫であって、その名は万軍の主。あなたをあがなわれる者は、イスラエルの聖者であって、全地の神ととなえられる。』(4-5節) すなわち、主にすがる全ての人には、主ご自身が夫となり、その子にとって、主が父となり、もはや恥じる事も、はずかしめを受ける事もなくなるのだ。
この女が捨てられて悲しんでいた(6-7節)のは、昔、主から離れて好き勝手に生きていたためかもしれない。あるいはハンナのように、時代を変える子を生むための祈りを引き出すためかもしれない。
最初から主に祈り主に捧げる生活をして苦しみや悲しみを経験しないのがベストだが、たとえその中でも主に捧げ祈るなら、主はやがて悲しむ妻を引き寄せるように慰め、大きな憐れみをもって集められる。
主はノアの時代、前の邪悪なもの達は全て水で洗い流し、その後、二度とそのような裁きはしないと、虹をもって契約されたが、私達も、主イエスにあって新しく生まれ変わり、古い性質を全て洗い流したのであるなら、主の憐れみと慈しみは、二度と奪われる事は無い。たとえ山は移り丘は動いても。(8-10節)
不妊の女「うまずめ」。漢字では石の女と書くが、たとえ私達が石のようであっても、ハンナのように心から主にうめき、主を呼び求めて祈るなら、炭が圧縮されてダイヤモンドとなるように、石は宝石へと変えられる。
『苦しみをうけ、あらしにもてあそばれ、慰めを得ない者(女)よ、見よ、わたしはアンチモニーであなたの石をすえ、サファイヤであなたの基をおき、めのうであなたの尖塔を造り、紅玉であなたの門を造り、あなたの城壁を尽く宝石で造る。あなたの子らはみな主に教をうけ、あなたの子らは大いに栄える。』(11-13節)
不妊の女、石の女、いのちを生み出す事のできなかった女は、ハンナのごとき祈りによって、宝石へと変えられ、宝石へと造り変えられた女は、子をテフィリンし、その子は世を造り変えて行く「宝石」へと育って行く。
たとえ自分の胎で産んだ子でなくても、主の教育によってその子を育てて行くなら、その子は主の前に宝石のような飾りとなる。 『その時あなたは心のうちに言う、『だれがわたしのためにこれらの者を産んだのか。わたしは子を失って、子をもたない。わたしは捕われ、かつ追いやられた。だれがこれらの者を育てたのか。見よ、わたしはひとり残された。これらの者はどこから来たのか』と」。』(イザヤ49:21)
石女ハンナはやがて、宝石のような喜びの賛歌を主に捧げる。イエス様を産んだマリヤの賛歌のような、素晴らしい主への賛美を。私達も彼女達のように、時代を変える世代を産み、宝石のような子達を主に捧げるためには、主にうめきつつ祈る必要がある。この時代のために、この国のために。
ハンナの時代も、マリヤの時代も、暗闇の時代だったが、彼らは宝石のように輝いた。この暗闇の時代、彼女達のように宝石のように御前に輝く皆さんでありますように!イエス様の名前によって祝福します!