メッセージ - クシュに対する宣告 - 神に伺い出る異邦人への憐れみ(イザヤ18章)
クシュに対する宣告 - 神に伺い出る異邦人への憐れみ(イザヤ18章)
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- 執筆 :
- pastor 2015-9-9 14:58
イザヤ書講解説教メッセージ
クシュに対する宣告 - 神に伺い出る異邦人への憐れみ(イザヤ18章)
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メッセージ音声
【概要】
本日の説教は、イザヤ書18章の預言を中心に、異邦の国々に対する神の愛と裁き、そして混沌の時代にあっても主に信頼し歩む大切さを示しています。神はどんな状況下にあっても、心から祈る者に変わらぬ恵みと救いを与えてくださいます。
【聖書箇所】
・イザヤ18:2-7
・(また、九州やエチオピアへの預言の背景を示す文脈として)イザヤ20章の預言の一部も参照
【慰めの言葉】
主は、灼熱の太陽の下に現れる濃い雲のように、激しい日々の中でも心に涼やかな慰めと安心を与えてくださいます。
【励ましの言葉】
どれほど混乱した世の中であっても、神は常に私たちの傍におられ、信仰を持って祈り続けるならば、その恵みと導きが必ず実を結ぶと励まされています。
【戒めの言葉】
世俗の喧騒や祭りの騒ぎに流されることなく、常に神の声に耳を傾け、自らの心を清めることが求められています。もし神から離れてしまえば、かつてイスラエルや周囲の国々に見られたように、厳しい懲罰が訪れる恐れがあります。
【勧めの言葉】
家庭や教会での礼拝、祈り、賛美を通して、常に神の御顔に触れ、その恵みを受け入れる生活を大切にし、互いに助け合うことが強く勧められています。
【悔い改めの促しの言葉】
もし私たちの心が誤った道に迷い、神から疎遠になっていると感じるならば、深く悔い改め、真摯な心で主の元へ立ち返るよう促されています。
【***詳細***】
本日の御言葉は、まずイザヤ書18章2節から7節の預言の朗読から始まりました。この箇所では、遠い異邦の国―その国は古代において大国として恐れられ、背が高く肌の滑らかな民が住む国―に対して、迅速な使者がパピルスの船に乗り、神の命令を伝える様子が描かれています。ここでの言葉は、ただ単に遠い昔の歴史的事象を記述するのではなく、現代における私たちへの重要な示唆として伝えられているのです。
この異邦の国、後にエチオピアとして呼ばれる国は、その国力の強さと多くの川が流れる肥沃な土地として知られていました。しかしその一方で、周囲を取り巻く強大な国々、特にアッシリアの脅威に晒される中で、神は自らの御計画に従って、この国に特別な役割と祝福を備えられたと預言されています。預言者は、この国の民へ、迅速な使者を送り、神のお告げと共に、彼らが悔い改めと内省、そして徹底した信仰の歩みを進めるよう促しています。
また、預言の中には、激しい太陽が照りつける中で突然現れる濃い雲の比喩が登場します。この比喩は、暑い日に現れる日陰と梅雨のような恵みの雨を想起させ、極めて過酷な環境下でも神がその民に慰めと潤いを与えてくださるという希望を示しています。つまり、どんなに不安定な時代や環境であっても、主は私たちの上に常に御顔を輝かせ、必要とされる恵みを注いで下さるという確固たる保証なのです。
さらに、聖書の中では、エチオピアとユダヤ人以外の民との交わりが強調されています。新約聖書においては、エチオピアの宦官がイエス・キリストの御名に預かり、洗礼を受けた出来事が記されており、これは異邦人に対しても神の御恵みが満ち溢れていることの表れです。エチオピアという遠い国が、古代より神の御心に従い、その歴史の中で祝福を受けたことは、私たちにとっても大きな励ましです。国境や人種、文化の違いを超えて、神の愛と救いは普遍的に与えられているという真理がここにあります。
一方で、預言は厳しい戒めも伴っています。たとえば、かつてイスラエルやその周辺の国々が、神への不従順と誇りによって災いを招いた歴史を思い起こさせます。もし私たちが、家庭や教会での祈りを疎かにし、世俗の誘惑に流されるならば、神の厳しい裁きや懲罰が下される可能性があるのです。これは決して罰としてではなく、真に神との正しい関係を保つための必要な戒めとして示されています。私たちは、日常のあらゆる瞬間において、神の御言葉を心に刻み、互いに励まし合いながら歩むことが求められているのです。
現代においても、世界は依然として戦争や政治的不安、異常気象など多くの試練にさらされています。こうした混乱の中で、私たちは一層、主に信頼し、その御顔を仰ぎ見る必要があります。たとえ外の世界が騒然としていても、家庭や教会という聖なる共同体の中では、神の御恵みと平安が豊かに流れ出しています。私たちが真摯な祈りと賛美に励むならば、どんな苦難も乗り越えることができると、聖書は私たちに教えてくれています。
また、エチオピアやセバの女王が遠い南から知恵を求め、またエチオピアの宦官が信仰によって新たな命を得た出来事は、神が歴史の中でいかに広く恵みを注いできたかを示す象徴です。これにより、私たちも自分自身の立場や背景に関係なく、主の計画に従って歩むことができるという希望を抱かされます。神は常に「悔い改めに立ち返る者」に対して、恵みと祝福を惜しみなく与えてくださるお方であり、それは今を生きる私たちにとっても変わることのない真理です。
そして、説教の終盤に差し掛かるにつれ、私たちは主の祈り―「天にまします我らの父よ…」―の深遠な意味に思いをはせるように促されます。この祈りは、単なる形式的な言葉ではなく、私たち一人ひとりが神との親密な交わりを実感し、絶えず心を新たにするための道しるべとなるものです。祈りを通して、日々の生活の中に神の御顔の光を迎え入れるとき、私たちは確固たる信仰によってその混乱や恐れを打ち破る力を得るのです。
また、教会における礼拝や家庭での小さな祈りの時間が、私たちの心だけでなく、共同体全体に神の恩寵を呼び起こすことを強調されています。互いに励まし合い、助け合うことの大切さは、単に個々の信仰の力を高めるだけでなく、全体としての霊的な強さへと結びついていきます。神が常に私たちに向けられるその慈愛の光を絶やさずに、困難や試練の中でも前向きに歩むことこそ、真に祝福された生き方であると説かれているのです。
最後に、私たちはこの説教から、混沌とする現代の中でも神の御言葉に従い、悔い改めと祈りを通して心を清め、主の御顔に近づくことの重要性を再認識することが求められていると理解します。たとえ外の世界がいかに荒れ狂っていても、神は眠ることなく、常に私たち一人ひとりの上に御顔を照らし、その愛と恵みを注いでくださいます。私たちが真摯な態度で主に仕え、互いに励ましながら日々を送るならば、その祝福は決して尽きることはありません。どうか、私たちがこの御言葉に導かれ、確かな信仰を持って歩む日々を重ねることができますように。
【結論】
結局のところ、私たちは混乱と不安に満ちた時代の中でも、神の御言葉に従い、心から悔い改め、祈りと信頼をもって主の恵みを受けることが最も大切です。エチオピアへの預言とその歴史的証しは、国境や時代を超えて神の愛が広がっていることを示しています。常に主の御顔に近づき、その恵みの中で歩む決意を新たにし、平和と希望を抱いて生きていきましょう。