メッセージ - 主は大いなる事をなされた(詩篇126編)
主は大いなる事をなされた(詩篇126編)
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週報/メッセージ(説教)概要
『主がシオンの「繁栄(原文:囚われ人)」を回復されたとき、われらは夢みる者のようであった。 』(1節)
イスラエルは神を軽んじた故に、捕囚の憂き目に遭った。主が私達を荒野へと導くのは結局は幸いを与えるためである事を前回学んだが、私達の人生も、敢えて荒野を通らされたり、捕囚の憂き目に遭う事がある。
それは私達の罪が原因である事もあるが、主が敢えて私達を鍛えるために、そのようにされる事もある。
そこで強制的に主と主の言葉に向き合わされ、主でないものに頼る事がいかに愚かで、そして主の支配がいかに素晴らしいかを思い知らされ、結局永遠の幸いへと導くためだ。イスラエルに捕囚先から帰って良いと法令を発布したのは、ペルシヤのクロス王であるが、結局は「主が」した事だと1節にある。
主は素晴らしい事をして下さった!主は私達をも罪の捕縛から開放し、自由にして下さった。とても望めなかった事を、主は奇跡的にして下さった。こんな幸せ、こんな素晴らしい事を、自分は受け取ってもいいのだろうか。主を待ち望む人に備えられている喜びは、そんな「夢みる者」のような、うっとりした幸いなのだ。
『その時われらの口は笑いで満たされ、われらの舌は喜びの声で満たされた。その時「主(エホバ)は彼らのために大いなる事をなされた」と/言った者が、もろもろの国民の中にあった。』(2節)
主に信頼し続けるなら、私達神の民は夢をみているかのような喜び笑いで満ち溢れ、そしてその有様を見た、神を知らない人々も「主は大いなる事をされた」と言って主の存在を信じ、主の栄光を褒め称える。
だから私達は普段から、神の民として、キリストを明かしして歩むべきだ。「自分は主にあって歩む者です」と普段から証しているなら主は喜んでと栄光をあらわし恵んで下さるが、そうでない人には現わされない。
『主よ、どうか、われらの「繁栄(原文:囚われ人)」を、ネゲブの川のように回復してください。』(4節)
当時帰って来た捕囚の民は4万人程(エズラ記)、囚われ人はまだまだ残っていた。70年という歳月を捕囚先で過ごし、ある程度の生活が進んでいる。それをいきなり止め、イスラエルに戻るのは大変だろう。
だから祈るのだ。ネゲブの流れ(普段は水が無いが雨季には怒涛の流れになる)のように、捕囚先に残っている彼らを帰らせてください、と。私達も、今まさに捕囚と訓練の中にいる人達の為に、祈るべきだ。
捕囚先から解放され、戻ってきても、やるべき事は尚多く、問題も山積みの状態である。当時帰って来た人々も、エルサレムの城壁は崩されたままで、帰ってきた人々も、いつ以前の邪悪な生活に戻るか分からない霊的状態だった。そこを、ネヘミヤが城壁を再建し、エズラが霊的立て直しを実行した。私達自身、壊されてしまった心や体、家、経済の城壁を、助け主・慰め主なる聖霊が立て直して下さるよう、祈るのだ。
人々は戻って来ても、暫くの間、貧困にあえいでいた。種を蒔いても乏しい収穫にしかあずかれず、穴の空いた財布に入れるような状況だった事が、ハガイ書に記されている。なぜそうだったか。それは、真っ先に建てるべき神の宮をおろそかにしたまま、自分の生活のために奔走していたからだ。(ハガイ1:1-11)
イスラエルの民が戻った当初、確かに笑いで満たされ、国々も、大いなる事をされたと言って、主の栄光を誉めたたえた。しかし、それで終わりではない。肝心なのは、その後、何を優先して立て直すかである。
主の民は、主の国に帰ってきたからには、しっかり主を敬い、礼拝しつつ歩んで行くべきだが、主を礼拝すべき土台を建てずに奔走しても、種を蒔いてもあまり収穫は無く、穴の空いた袋に入れるような状況だ。
『あなたがたはこの日より後、・・・主の宮の基をすえた日から後の事を心にとめるがよい。・・・わたしはこの日から、あなたがたに恵みを与える」。』(ハガイ2:18-19)
『涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る。種を携え、涙を流して出て行く者は、束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう。』(5-6節) 喜びの刈り取りをするために、どこへ種を蒔くべきかが肝心だ。
私達は、世の事柄より、神の国の事柄のほうに優先して蒔くべきである。『自分の肉にまく者は、肉から滅びを刈り取り、霊にまく者は、霊から永遠のいのちを刈り取るであろう。わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてはならない。たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる。』(ガラテヤ6:8-9)
御霊に、御言葉に、主イエスに種をまき、天と地と海と陸とが揺り動かされ、祝福の雨そそがれて、豊かに刈り取る皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!