メッセージ - 悪しき者に占拠された都の中で働く御国のスパイ達(2サムエル記15:24-37)
悪しき者に占拠された都の中で働く御国のスパイ達(2サムエル記15:24-37)
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- 執筆 :
- pastor 2015-9-21 6:13
悪しき者に占拠された都の中で働く御国のスパイ達(2サムエル記15:24-37)
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祭司たちも、契約の箱を担ぎつつ、ダビデに従って来ていた。
『アビヤタルも上ってきた。見よ、ザドクおよび彼と共にいるすべてのレビびともまた、神の契約の箱をかいてきた。彼らは神の箱をおろして、民がことごとく町を出てしまうのを待った。そこで王はザドクに言った、「神の箱を町にかきもどすがよい。もしわたしが主の前に恵みを得るならば、主はわたしを連れ帰って、わたしにその箱とそのすまいとを見させてくださるであろう。』(2サムエル記15:24-25)
かつてダビデは、主を慕い求める心が強かったゆえに、契約の箱を自分の町へと運び込んだものだが、ダビデはそれを、町へ戻すように指示した。
主の箱がダビデと一緒にある、という事は、それもまた「ダビデの側に主がおられる」事のアピールにはなったであろうに、ダビデはそんな事はしなかった。
主は、人の手で造られたものに住むのではなく、全地に主の霊が満ち、主の眼差しは全世界に注がれている事を、ダビデは知っていたのであり、また主の御心であるなら、主はダビデが慕い求める主の家へと再び戻し、再び主を礼拝できる恵みにあずからせてくださる、と、信じていたのだ。
『しかしもし主が、『わたしはおまえを喜ばない』とそう言われるのであれば、どうぞ主が良しと思われることをわたしにしてくださるように。わたしはここにおります」。・・・ ダビデはオリブ山の坂道を登ったが、登る時に泣き、その頭をおおい、はだしで行った。彼と共にいる民もみな頭をおおって登り、泣きながら登った。』(2サムエル記15:26-27)
ダビデは今、涙と悲しみの内にキデロン川を渡り、オリーブ山を登って、主を礼拝する場所へと向かっている。
そして、「主が良しと思われることをしてくださるように」と言って、幸いも災いも、何もかも主に委ねる従順を見せた。
イエス様も全く同じく経験された。オリーブ山の所で、主に祈った。
『イエスは出て、いつものようにオリブ山に行かれると、弟子たちも従って行った。いつもの場所に着いてから、彼らに言われた、「誘惑に陥らないように祈りなさい」。そしてご自分は、石を投げてとどくほど離れたところへ退き、ひざまずいて、祈って言われた、「父よ、みこころならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください」。』(ルカ22:39-42)
まことにダビデは、来るべきメシヤ、ダビデの子孫キリストの雛形である。
『王はまた祭司ザドクに言った、「見よ、あなたもアビヤタルも、ふたりの子たち、すなわちあなたの子アヒマアズとアビヤタルの子ヨナタンを連れて、安らかに町に帰りなさい。わたしはあなたがたから言葉があって知らせをうけるまで、荒野の渡し場にとどまります」。そこでザドクとアビヤタルは神の箱をエルサレムにかきもどり、そこにとどまった。』(2サムエル記15:27-29)
ダビデは祭司たちにエルサレムの動向を知らせる役割を託し、こうして彼らは、神の箱と共にエルサレムへと戻った。
『時に、「アヒトペルがアブサロムと共謀した者のうちにいる」とダビデに告げる人があったのでダビデは言った、「主よ、どうぞアヒトペルの計略を愚かなものにしてください」。』(2サムエル記15:31)
天才的なアドバイザーであるアヒトフェルがアブシャロムと一緒にいる、という状況は、ダビデ達にとって脅威であっただろう。
ダビデは彼の「計略を愚かなものにしてください」と祈ったが、同じように私達も、神の民を陥れるような天才的なたくらみを、無効にして下さい、と、祈る事が出来る。
『すなわち、聖書に、/「わたしは知者の知恵を滅ぼし、/賢い者の賢さをむなしいものにする」/と書いてある。知者はどこにいるか。学者はどこにいるか。この世の論者はどこにいるか。神はこの世の知恵を、愚かにされたではないか。』(1コリント1:19-20)
『兄弟たちよ。あなたがたが召された時のことを考えてみるがよい。人間的には、知恵のある者が多くはなく、権力のある者も多くはなく、身分の高い者も多くはいない。それだのに神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。それは、どんな人間でも、神のみまえに誇ることがないためである。』(1コリント1:26-29)
『ダビデが山の頂にある神を礼拝する場所にきた時、見よ、アルキびとホシャイはその上着を裂き、頭に土をかぶり、来てダビデを迎えた。』(2サムエル記15:32)
ホシャイはダビデの友であり、相談役である。
彼はダビデと行動を共にしたいと願い出たが、ダビデは彼に別の役割を与える。
『ダビデは彼に言った、「もしあなたがわたしと共に進むならば、わたしの重荷となるであろう。しかしもしあなたが町に帰ってアブサロムに向かい、『王よ、わたしはあなたのしもべとなります。わたしがこれまで、あなたの父のしもべであったように、わたしは今あなたのしもべとなります』と言うならば、あなたはわたしのためにアヒトペルの計略を破ることができるであろう。
・・・あなたがたは聞いたことをことごとく彼らの手によってわたしに通報しなさい」。そこでダビデの友ホシャイは町にはいった。その時アブサロムはすでにエルサレムにはいっていた。』(2サムエル記15:33-37)
こうしてダビデは、何名かをスパイとしてエルサレムに留め、またホシャイを”埋伏の毒”として、アブシャロムの所に送った。
エルサレムにはアブシャロムが入ったが、この都の中には何名か、ダビデから遣わされた働き人達、ダビデに報告する人、ダビデのために有利に働く”スパイ達”が入っている。
今私達も、この暗闇の世へとキリストに遣わされて、この世で起きている出来事をキリストへ報告し、キリストのために働く”スパイ達”である。
ダビデはこの時、預言者ナタンを通して主に言われていた通り、まさに剣に追いかけられている状況だ。
ダビデはそれに対し、主にへの100%の従順をもって甘んじて受けている。
聖書が一貫して示している事は、主は、主に忠実な神の民を、いつまでもはずかしめにあわせて置くような事はなさらない事である。
『主のいつくしみは絶えることがなく、そのあわれみは尽きることがない。これは朝ごとに新しく、あなたの真実は大きい。わが魂は言う、「主はわたしの受くべき分である、それゆえ、わたしは彼を待ち望む」と。
主はおのれを待ち望む者と、おのれを尋ね求める者にむかって恵みふかい。主の救を静かに待ち望むことは、良いことである。人が若い時にくびきを負うことは、良いことである。主がこれを負わせられるとき、ひとりすわって黙しているがよい。口をちりにつけよ、あるいはなお望みがあるであろう。おのれを撃つ者にほおを向け、満ち足りるまでに、はずかしめを受けよ。主はとこしえにこのような人を/捨てられないからである。』(哀歌3:22-31)