メッセージ - イサク - 主と交わり、主と共に歩む祝福の家系(創世記25:19-26)

イサク - 主と交わり、主と共に歩む祝福の家系(創世記25:19-26)

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礼拝メッセージ説教音声配信 » 主日礼拝
執筆 : 
pastor 2015-10-11 16:27

イサク - 主と交わり、主と共に歩む祝福の家系(創世記25:19-26)
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週報/メッセージ(説教)概要

イサクは、祝福が約束されたアブラハムのひとり子である。アブラハムには、子孫が海の砂粒のように、空の星々のように数多くされる、と主から約束されており、イサクのリベカとの結婚についても、主の奇跡的な導きの元に為され、主が明らか共におられる、はずなのに、イサク夫婦には、肝心の子が生まれなかった。
結婚してから5年、10年経っても、15年経っても。主の約束では、子孫が空の星々のように増え広がる筈なのに、イサクが50代後半になっても生まれない。おかしい事である。
結婚20年目に、ようやく子が生まれるのだが、そのきっかけは、イサクが妻のために主に祈願したからだ。
神の民であるキリスト者には、将来と希望の計画が定められおり、この世でも、来るべき世においても、祝福が約束されている。しかし、主との交わりが全く無いなら、天からの祝福は全く滞ったままになってしまう。
天国は、神が人と共に住み、人は神の民となるという、神と人とが永遠に双方向に交わりを持ちつつ生きていく所である。だから、イエス様を信じ救われたなら、もうそれで終わりというものでは、決してない。
神の民とされた人は、主と積極的に交わって生きるべきであり、主と交わるとは、何かにつけ主に祈り、礼拝し、御言葉に書かれてある通りに歩んで行く事である。そのような主とのコミュニケーションを、人が取らなくなってしまったら、主は、人にとって望ましくない事を起こしてでも、コミュニケーションを回復させる。

イサクが主に祈った事によって、ようやく妻リベカは身ごもるのだが、双子の子が胎内で激しくぶつかり合ってしまう。祝福の家系である筈なのに、こんなに激しくぶつかり合う事では、一体どうなるのか。
彼女はすぐに、主の御心を求めに行った所、2つの国が胎内にあり、兄は弟に仕える、という事だった。
最初に出てきた子・エサウは野性的で強く、後に出てきた子は、兄のかかと(アケブ)を掴んで出てきたためヤコブと名付けられた。ヤコブは生まれた時点から、常々、長男の権利と祝福を掴もうと狙って来たが、引き換えエサウは、長男の座に安住し、主に祈る事も、求める事もせず、野の獣を追い回していた。
長男の座に安住し切って油断していたエサウは、やがて、弟ヤコブに長男の祝福を奪われてしまう。
エサウは、長男の権利を、一杯の食物と引き換えに弟に売ってしまう程、聖なる尊いものを、軽んじていた。
彼は後になって祝福を継ぎたいと願ったが拒絶された。『彼はその後、祝福を受け継ごうと願ったけれども、捨てられてしまい、涙を流してそれを求めたが、悔改めの機会を得なかったのである。 』(ヘブル12:17)
ここはKJVでは「for he found no place of repentance」すなわち、彼の心のスペースから、一切「悔い改め」という部分は見つけられなかった、という事だ。彼のように「主に求めない」「聖なるものを軽んじる」「悔い改めない」とするなら、祝福の家系から切り離され、別の者にその座を譲る事になってしまう。(ローマ11:22)

主は、愛する子を、敢えて懲らしめられる(ヘブル12:5-8)。それは、羊飼いが羊達を緑の牧場へと追うように、祝福がもっと植えられている地に行くよう、私達を追いやり、より高い祝福の次元へと登らせるためだ。
自分は祝福の子である、はずなのに、なぜか望ましくない事が起きているという時は、主の御心は何かを求める時である。イサクもリベカも、アブラハムも、望ましくない事が起きた時は、祈った。
『それだから、あなたがたのなえた手と、弱くなっているひざとを、まっすぐにしなさい。』(ヘブル12:12)
手は主の働きをする部位であり、膝は、ひざまずいて祈るために用いる部位であるが、私達は御心を外した事をする時、やること為す事全て健やかではなくなり、手も足も疲れ弱ってしまう。仕事や人生において、実りなき徒労の日々を演じてしまったのは、祈る膝がなく、身勝手な手を動かし続けてしまった故である。
問題が起きた時、主のために働くべき手、祈るべき膝が萎えていないか、点検するべきだ。
『また、足のなえている者が踏みはずすことなく、むしろいやされるように、あなたがたの足のために、まっすぐな道をつくりなさい。』(ヘブル12:13) 信仰者の歩みは、道が真っ直ぐになってから歩み出すのではなく、まず私達の側が、主の通られる道を真っ直ぐにする所から、である。どのようにしてか。
荒野で叫ぶ者・バプテスマのヨハネは「主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ」(マタイ3:3)と叫んだが、彼が説いたように、悔い改める事、以前の自分に死ぬ事(バプテスマ)によって、主の道が整えられる。
天国は、バプテスマのヨハネの時以来、激しく襲われており、激しく襲う者たちが、それを奪い取っている(マタイ11:12)。エサウのように安住して主との交わりを止めたりせず、イサクやヤコブのように祈り、求め、祝福をどんどん奪って行く皆さんでありますように、イエス様のお名前によって祝福します!

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