メッセージ - 名も知れぬ知恵深い女とヨアブ(2サムエル記20:14-26)
名も知れぬ知恵深い女とヨアブ(2サムエル記20:14-26)
- カテゴリ :
- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » 2サムエル記
- 執筆 :
- pastor 2015-10-19 23:34
名も知れぬ知恵深い女とヨアブ(2サムエル記20:14-26)
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将軍の地位から降ろされヨアブは、新しい将軍であり上司であるアマサを殺してしまい、彼自身の強烈な指導力を発揮させ、たちまちにして人々をまとめて反乱者シバを追いかけた。
『シバはイスラエルのすべての部族のうちを通ってベテマアカのアベルにきた。ビクリびとは皆、集まってきて彼に従った。そこでヨアブと共にいたすべての人々がきて、彼をベテマアカのアベルに囲み、町に向かって土塁を築いた。それはとりでに向かって立てられた。こうして彼らは城壁をくずそうとしてこれを撃った。』(2サムエル記20:14)
ベテマアカのアベルは、ガリラヤ湖の北、イスラエルの最北端に近い町である。シバと彼に従う者達は、そこに入った。
ヨアブはそこに到着次第、力づくで崩そうとしたが、一人の賢い女が、話し合いで解決を図ろうとする。
『昔、人々はいつも、『アベルで尋ねなさい』と言って、事を定めました。わたしはイスラエルのうちの平和な、忠誠な者です。そうであるのに、あなたはイスラエルのうちで母ともいうべき町を滅ぼそうとしておられます。どうして主の嗣業を、のみ尽そうとされるのですか」。』(2サムエル記20:18-19)
アベルの町は、周囲で何か問題が起きた時には、知恵と平和による解決を尋ねに来られた「母ともいうべき町」だったようである。
彼女はヨアブに、そのような平和な町をなぜ滅ぼそうとするのか、と問いかけた。
『ヨアブは答えた、「いいえ、決してそうではなく、わたしが、のみ尽したり、滅ぼしたりすることはありません。事実はそうではなく、エフライムの山地の人ビクリの子、名をシバという者が手をあげて王ダビデにそむいたのです。あなたがたが彼ひとりを渡すならば、わたしはこの町を去ります」。女はヨアブに言った、「彼の首は城壁の上からあなたの所へ投げられるでしょう」。こうしてこの女が知恵をもって、すべての民の所に行ったので、彼らはビクリの子シバの首をはねてヨアブの所へ投げ出した。』(2サムエル記20:20-22)
こうして、シェバの反乱は三日天下で終わり、アベルの町もこの名も無き女の知恵によって救われ、多くの人の血が流されずに済んだ。
これら全ての手柄は、ヨアブの独占状態となる。
『そこでヨアブはラッパを吹きならしたので、人々は散って町を去り、おのおの家に帰った。ヨアブはエルサレムにいる王のもとに帰った。ヨアブはイスラエルの全軍の長であった。』(2サムエル記20:22-23)
結局、ダビデの決定した人事をあざわらうかのように、ヨアブは、腕づくで元の地位に復帰してしまった。
ダビデの治世の間、彼自身の力と剣によって、そして、多くの血を流しながら、ヨアブは自分の地位を守り続けていたが、やがては彼がした事全ての報いを受ける時が来る。
よこしまな男・シバは、野心を燃やしてイスラエルに災いを振りまいて成り上がろうとしたが、結局、その災いは、彼自身の頭上に返ってしまったように。
今回、名も記されていない知恵ある女が出てきた。
元々、シバを打ち取ったのは、彼女の知恵によるものだったが、ヨアブは彼女に何か報いたような事は記されていない。
彼女のその後も、その名も、記されずじまいである。
ソロモンは言う。
『ここに一つの小さい町があって、そこに住む人は少なかったが、大いなる王が攻めて来て、これを囲み、これに向かって大きな雲梯を建てた。しかし、町のうちにひとりの貧しい知恵のある人がいて、その知恵をもって町を救った。ところがだれひとり、その貧しい人を記憶する者がなかった。そこでわたしは言う、「知恵は力にまさる。しかしかの貧しい人の知恵は軽んぜられ、その言葉は聞かれなかった」。』(伝道者の書9:14-16)
ソロモンは、平和の偉業を為したこの人は「記憶する者がなかった」と、あたかも、虚しい事のように評価している。
人の目から見るなら、ヨアブのように手柄を独占したり、ソロモンのように偉大な知恵が賞賛されたりする人が幸いで、彼女のように、手柄も名も残らなかった人は、何か虚しいかのように見えるかもしれない。
しかし、天の評価は違う。
『自分の義を、見られるために人の前で行わないように、注意しなさい。もし、そうしないと、天にいますあなたがたの父から報いを受けることがないであろう。・・・隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。』(マタイ6:1-4)
天の査定は、この世で人から賞賛を受けたり褒められたりしたら、天では報いは残っていないが、人目に隠れて行った良い行いは、全て、隠れた所で見ておられる天の父が報いて下さる、というものだ。
シバにしても、ヨアブにしても、ソロモンにしても、彼らの知恵、力、出世力は、彼らを永遠のいのちへと導く事は出来なかった。
彼らのように、多くの人々の血や税金、労苦の上に成り立っているような、地位や名誉、財をこの世で受けるよりも、主のまなざしと、御言葉の確信と、天において用意されている報いの希望によって成り立っている「平和の土台」に立てられた道を歩む者でありたい。