メッセージ - 執事シェブナと宮内長官エルヤキム(イザヤ22:15-25)
イザヤ書講解説教メッセージ
執事シェブナと宮内長官エルヤキム(イザヤ22:15-25)
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【概要】
本日のお言葉は、イザヤ書22章15節から25節を中心に、神に完全に信頼する生き方と、世の力に頼ることの儚さを伝えています。神の戒めと慰めの中で、私たち自身の選択が未来を決定するという重いメッセージです。
【聖書箇所】
・イザヤ22:15-25
・イザヤ30:1-3
・イザヤ36:3
・黙示録3:7
【慰めの言葉】
神は、苦難と混乱の中にあっても、心を寄せる者を決して見捨てず、助けと慰めを与えてくださいます。絶望の時にも、その愛は変わらず、私たちを包み込みます。
【励ましの言葉】
どんなに困難な状況でも、主に信頼し歩む者には、希望と力が与えられます。自分の力だけに頼らず、神の助けを受け入れることで、真の安らぎと成長が実現されるのです。
【戒めの言葉】
誇り高く、現実的な力に頼ろうとする者は、神の御前に厳しい戒めを受けます。神のご意志を無視し、自己の利益や人間の知恵だけを信じる行いは、最終的に混乱と破滅を招くことを忘れてはなりません。
【勧めの言葉】
この御言葉は、私たち一人ひとりに、主の道を選び、謙虚に神に頼る生き方を勧めています。世の誇る力に目を奪われるのではなく、日々の信仰生活の中で神の導きを求める大切さを示しています。
【悔い改めの促しの言葉】
もし今まで、己の力や世の知恵に頼って生きてきたなら、今一度、心から悔い改め、主に寄り頼む決意を新たにしてください。神は常に、真に心を改める者に新しい恵みと再生の道を開かれます。
【***詳細***】
本日の説教では、まずイザヤ書22章15節から25節に記された、イスラエルの高官シェブナに対する神の宣告について語られました。神はその誇りに満ちた生き方を厳しく戒め、彼が自分のために高い墓を掘り、自己の地位や権威に誇りを抱いたことを非難されました。神はシェブナに対して、誇り高い行いが全く無意味であり、むしろそれが家の恥と堕落につながると告げます。ここには、どんなに豪勢な建築物や人間の力があっても、神の御心に逆らうならば、結局はその力は打ち砕かれるという厳然たる現実が示されています。
また、説教の中盤では、同じくイザヤ書30章の1節から3節を引用し、エジプトや他の国の力に頼ろうとする者たちへの戒めが語られました。イスラエルの民は、現実的な軍備や人間の知恵を頼りにしようとした結果、真の救いから遠ざかってしまう危険性を持っていることが指摘されました。神は、いかなる強大な世の力にも代えがたい、ただ主に対する信仰こそが確かな救いであると強調されました。実際に、イスラエルはその時代において、エジプトやアシリアといった外敵に頼るよりも、主に心を向けることで救いを得た歴史があるのです。
さらに、イザヤ書36章3節に記されるように、勇敢な士官たちであっても、神の前ではその傲慢さが打ち砕かれる運命にあるという点が示されました。具体的には、シェブナと対照的に、ヒルキヤの子であるエリアキムが神に従い、信仰によって国を支えた姿が描かれています。説教者は、エリアキムの謙虚な態度と、神の命令に忠実な姿勢が、たとえ小さな力でも大いなる結果をもたらすことの象徴だと説きました。
なお、説教の後半では、黙示録3章7節の御言葉が引用され、ダビデの家の鍵の権威についても触れられました。「彼が開くと閉じるものはなく、閉じると開くものはない」という約束は、真に信仰のある者には神の祝福が与えられ、また不信仰に陥れば王国失墜の危機があるという、重大な真理を示しています。ここで語られる「釘」の例えは、どれほど堅固に打ち付けられたものでも、信仰が腐ればそれ自体が脆くなり、支えていた全てのものが崩れてしまうという教訓として、私たちに深く語りかけています。
この説教全体を通しての核となるメッセージは、信仰によって生きることの大切さです。偉大な権威や豊かな物質的安全を誇示しても、もし主への信頼が欠けていれば、その基盤はいつか必ず壊れてしまいます。実際、イスラエルの歴史は、偽りの安全や人間の知恵だけに頼った結果、悲劇や捕囚を経験してきました。対照的に、真に主に信頼する者は、どんな困難な状況にあっても、神の守りと恵みによって守られ、永遠の祝福が約束されるのです。
説教者は、具体例として、古代イスラエルの高官シェブナとエリアキムの対比を取り上げました。シェブナは自らの有り余る権威と豊かな財産に安心を抱いていましたが、その結果、神の怒りを買い、家の栄光を失いました。一方でエリアキムは、たとえ小さな役職であっても、心から主に従い、その従順な信仰により神の恵みを受け、イスラエルの未来に希望を与える存在となったのです。この点は、私たち一人ひとりにも当てはまります。たとえ地上的には小さな立場であっても、主に心を寄せ、その導きに従うならば、真の意味での繁栄と祝福が与えられるのです。
また、説教では現代における「地下シェルター」や「迅速な逃走」といった比喩を用い、私たちが直面する現実の災厄や不安定な状況に対して、物質的な安全策ではなく、信仰に基づく心構えが最も重要であるという教えが説かれました。どれだけ最新の安全設備や防衛力があっても、人間の力に頼る限り、永続的な安心は得られません。むしろ、主にすがり、毎日の祈りと悔い改めを通して神との交わりを深めることこそが、真の守りとなるのです。
最後に、この御言葉は私たちに自由な選択を迫っています。世の中の誇る権力や知恵にとらわれるか、あるいは謙虚に神に従う道を選ぶか。その選択が、私たち自身の未来はもちろん、永遠の行く末をも決定付けるのです。説教者は、集まった皆さんに対し、「私たちは今、この瞬間に、心から神に従う選択をし、主の御名によって生きる決意を新たにしましょう」という強いメッセージを送っています。そして、主の祈りを通して、一人一人が新たな信仰の力を体験し、自らの生活の中で具体的に主の御旨を実現していくことを励ましています。
【結論】
この御言葉は、私たちに誇り高い現実の力に頼るのではなく、謙虚に主に従って生きることの大切さを教えています。シェブナの失墜とエリアキムの栄光を通して、どんな小さな信仰でも主により頼むならば、真の祝福と守りが約束されるのです。私たち一人ひとりが、この真実を心に刻み、日々の生活の中で主の道を選び取るよう、改めて祈り求めましょう。