メッセージ - ツロに対する宣告 - 搾取システムにより富を得た海の商人の災い(イザヤ23:1-9)
ツロに対する宣告 - 搾取システムにより富を得た海の商人の災い(イザヤ23:1-9)
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- 執筆 :
- pastor 2015-11-7 10:37
イザヤ書講解説教メッセージ
ツロに対する宣告 - 搾取システムにより富を得た海の商人の災い(イザヤ23:1-9)
メッセージ音声
AIによる要約
【概要】
本日の御言葉は、イザヤ書23章に記された、海と貿易・権力の交錯の中で神の戒めと救いを語る預言です。聖書の記録を通し、今の社会の中での富や権力の乱用、そして神に全てを委ねる信仰の大切さが説かれています。
【聖書箇所】
・イザヤ23:1-9
・エゼキエル28:16
・第一テモ6:17
・黙示録18:7-13
【戒めの言葉】
・自分の富や権力に誇り、高慢になってはならない。
・人々からの富や利益を不正に得ようとする行為は、神の御心に反する。
【励ましの言葉】
・主に信頼し、御国の価値観に生きる者は、決して飢えることも不足することもない。
・たとえこの世のしくじりであっても、神は真心を尽くす者に恵みと祝福を注がれる。
【悔い改めの促しの言葉】
・今一度、私たち自身が追い求める「楽して得る富」の誘惑から離れ、神に立ち返る心を持つべきです。
・この堕落した取引や不正な経済活動を捨て、神の御前に正しい歩みを示すよう懇願しましょう。
【勧めの言葉】
・日々、神の御言葉を学び、己の心を清める努力を怠らず、真の豊かさを追求しましょう。
・隣人を思いやる実践的な愛のある生き方に回帰し、互いに助け合う社会こそ、神の国の姿です。
【***詳細***】
本日、私たちはイザヤ書23章1節から9節を中心に、海と港を舞台にした古代の貿易の現状と、そこに見られた神の戒めについて学びました。イザヤ書23章では、かつて繁栄した港町、ツロおよびその周辺の地域が栄え、富と権力を背景に商いを行い、多くの民の生活を左右していた現状が語られています。「通路に対する宣告。タルシュの船を泣きわめけ、通路は荒らされて家も港もなくなったと」とあるように、これらの繁栄は決して永続するものではなく、神の定めによって打ち砕かれる運命にあると預言されました。
説教の中盤では、当時の海洋貿易の仕組みについて詳しく触れ、ツロやシドン、さらには地中海沿岸の他の都市が果たしてきた役割が語られました。かつて、遠隔地の珍しい物資―動物、穀物、特産物など―を取り引きし、その富を蓄えた商人たちは、自己の利益のために国家や民衆を犠牲にする存在となりました。しかし、神はこのような不正な商い、自己中心的な富の追求に対して厳しい警告を発されています。実際、この堕落した貿易システムは、単なる経済活動を超えて、国家や政治、さらには宗教の領域にも影響を及ぼし、世の中の不正義に満ちた構造を生み出しました。
さらに、説教では、豊かさを得るために働く者たちの生活や、彼らの生活基盤がどのようにして崩れていくのかも示されました。人は自分自身が労苦して作り上げたものに、自信と誇りを抱くものですが、その裏には神の御摂理に逆らった結果、自己中心的な生き方に陥る危険性が潜んでいます。イザヤ書の預言は、言わばこの現実への戒めであり、単に古代の物語として終わるのではなく、現代の私たちにも多くの示唆を与えています。現代においても、企業や政治家が富や権力を追求するあまり、正しい道から逸れてしまうケースは多々見受けられます。私たちは、そのような時代にあって、いかにして神の御心に沿った行動を取るべきかを問い直さねばなりません。
また、説教の中盤から後半にかけては、エゼキエル書28章の一節(特に16節)や第一テモテ6章17節、そして黙示録18章の記述にも触れています。エゼキエル書28章では、かつて高慢と自己満足に満ちた存在が、いかにして神の裁きを受けるかが描かれています。この預言を通して、誇り高ぶる者は決して神の御前に立つことができず、また、その地位は一時的なものでしかないという真理を告げられています。さらに、第一テモテ6章17節は、お金持ちに対して、どのような態度であってはならないかを具体的に指示しており、神に信頼し、決して富に希望を置かないようにとの戒めが含まれています。
そして、黙示録18章では、堕落と不正に基づいた繁栄が突如として打ち砕かれる様子が鮮明に描かれています。商人たちがかつて享受した繁栄や誇りも、神の正義の前では無価値なものとなり、全世界の権力者たちがその転落を目の当たりにすることになります。これらの聖書箇所は、ただ単に古代の歴史の一片として読むのではなく、現代社会において、道徳的・霊的な価値観の混乱から逃れるための警鐘として受け取るべきです。
さて、説教の中で強調されるのは、我々が単にこの不正な取引や富の追求に染まるのではなく、神の国に基づいた生き方を選ぶことの重要性です。現代社会では、企業が利益追求のために従業員をただの資源と見なす風潮があり、富の偏在が大きな社会問題となっています。このような状況下で、私たちは神から与えられた、本来の豊かさ―すなわち、隣人への愛、互いに助け合う心、そして日々の生活の中にある細やかな恵み―に目を向ける必要があります。
具体的には、私たちは以下の点を心に留めるべきです。まず、自分自身が誇り高ぶり、自己中心的になっていないかを日々省みること。富や成功を得ても、それを神の賜物として受け取り、感謝の心を忘れずにいること。第二に、他者を搾取するような考えや行動に走らないこと。経済活動やビジネスにおいても、真摯な努力と誠実さを持って取り組み、隣人や社会のために貢献することを目指すべきです。そして第三に、もし自分が今までの生き方において誤った方向に向かっていたならば、悔い改め、神に立ち返る決意を新たにすることです。これは、決して恥ずべきことではなく、むしろ神の恵みによって新たな歩みを始める大切な機会なのです。
私たちがこのような神の御言葉に耳を傾け、心から悔い改めるならば、神は必ずや我々を正しい道へと導いてくださいます。実際、多くの信仰者たちは、日々の試練や富の誘惑に打ち勝ち、神への信仰を中心に据えた生活を送っています。これは、単に経済的な成功や社会的地位を超えた、本来の人間の幸福であり、神の国に生きる者の真の豊かさなのです。
最後に、私たちはこの御言葉を胸に刻み、日々の生活の中で実践することの大切さを再認識しましょう。商いによって得られる一時の富に惑わされず、神が与えてくださる実りある愛と恵みに従い、謙虚で正しい道を歩むことが、真の安らぎと幸福へとつながるのです。今一度、私たちはこの戒めと励ましを心に留め、社会の中でどのように生きるべきかを熟考し、それを実践していく責任を持たねばなりません。神の国の価値観に基づき、互いに愛し合い、ともに豊かな実りを結ぶ共同体として生きることが、私たち一人一人に課せられた使命であると信じます。
【結論】
私たちは、古代の預言に示された通路や港の栄光とその崩壊から、富や権力に溺れる危険性と、神への信頼の大切さを学びました。日々の生活の中で、神の御心に従い、謙虚かつ誠実に生きることで、真の祝福と安らぎの中へと歩んでいくよう努めましょう。主イエス・キリストのお名前によって、皆さまが神の恵みと平安に満たされますように。