メッセージ - 大いなるお門違い者、サタン(ゼカリヤ3:1-5)
大いなるお門違い者、サタン(ゼカリヤ3:1-5)
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週報/メッセージ(説教)概要
悪魔(ディアボロス)は、元々、訴える者・告発・誹謗中傷する者である事を既に学んだが、悪魔のこの訴える性質と、それに対する主の配慮ついて、象徴的に描かれている場面が、ゼカリヤ3章に記されている。
『時に主は大祭司ヨシュアが、主の使の前に立ち、サタンがその右に立って、これを訴えているのをわたしに示された。』(ゼカリヤ3:1) 大祭司ヨシュアは、イスラエルがバビロン捕囚から帰ってきた時の大祭司で、罪ゆえに落ちぶれてしまったイスラエルを、これから再建しようとしている時の中心メンバーの一人である。
ゼカリヤの幻の中でヨシュアがサタンに訴えられているが、実際的に、バビロン捕囚から帰って来たイスラエルの民は神殿を再建している時、雑多な宗教を信じるサマリヤ人達に妬まれ、訴えられ、再建がストップしていた時期があった。(エズラ記4章) 彼らが時の王に訴えるために書いた訴状内容は、イスラエルの民は王に反逆するためにこの事をしている、実際、この町は反逆して来た歴史があり、この町が滅ぼされたのはそのためだ、調べればすぐに分かる、というものだった。(15節)
残念ながら歴史を紐解くと、イスラエルが反逆して来たのは、事実である。預言者エレミヤは、バビロンには手向かわずに、素直に連行されるよう預言したのに、時の王・エホヤキムも、その次のゼデキヤもそれを聞かず、バビロンに反逆し、結果、エルサレムの都は破壊し尽くされてしまった。(2列王記24章)
過去の悪い行いのゆえに、訴えられる口実を受けても、仕方がない、という事はある。謂れなき罪、ではなく、謂れある罪を持ちだされ、尊い礼拝やミニストリーの立直しが邪魔されたり中止してしまったりする事が。
そのような時は、ただ主の前にへりくだって悔い改め、御言葉を開いて導きを求めながら、主の御旨が明らかにされるまで忍耐するしかない。そして、主のゴーサインが出たなら、恐れなく御旨どおり行うべきである。
当時のイスラエルも、預言者ゼカリヤ達を通して「恐れる事なく神殿を再建せよ」という主の御旨が示された時、彼らは時の権力者や妨害者を恐れる事なく再建を始めた。結果、彼らは逆に時の権力者たちに支持され、神殿再建の費用礼拝のための経費も国庫から捻出され、反対者達は恥を見た。(エズラ記5-6章)
ゼカリヤに与えられた幻の中で、大祭司ヨシュアはサタンに訴えられていた。祭司は神と人との間に立っていけにえを捧げ、罪の清めをや執り成しを祈ったりする聖なる職であるが、彼は、よごれた服を着ていた。
人は誰でも、罪のとげが刺さっており、罪を犯しながら生きざるを得ない。それは大祭司も牧師も人間である限り同じであり、そしてもし、何かしらの罪の行いをするなら、訴える者に告発されても仕方がない。
そこで私達は全て、罪の身代わりとなって死んだ小羊キリストの血によって清められ、そのキリストにあって神の御前に立つ事が出来るのだが、ここで一つ、理にかなっていない事を指摘して置かなくてはならない。
なんで神の敵であるサタンが、大祭司ヨシュアを神に訴えようとして、ヨシュアの右に立っているのだろうか。
私達は罪を犯すゆえ、神に訴えられても仕方は無い。しかし、サタンが私達の右に立つような謂れも、サタンに訴えられるような謂れも、無い。主は、人ではなくサタンを訴えて下さる。主の御前にのこのこ出て行って、人をさばいたり、嘲ったり、中傷したりする者に対し、主は、おまえを咎めている!と。(ゼカリヤ3:2)
そもそもの話である。元々罪が無かった人間をそそのかし、人類全体に罪を導入するきっかけを作ったのは、誰だったか?母の胎に宿った時から罪ある者と定めされなくてはならない不条理を人間に導入したのも、神と人との間に立って執り成す祭司が汚れた服を着て御前に立つよう仕向けたのも、誰だったか?
そう、サタンこそ訴えられるべきである。人ではなくサタンを訴えた主は、非常に理に適っておられるのだ。
私達は自分の犯して来た罪や汚さを見て、自分はだめだ、と考えがちだが、本来主は、人を全く罪なく創られた。そこをサタンが壊してしまった。だから神様は、人を贖い救い出すご計画を立てられたのだ。
なぜ神様は、ひとり子イエス様の命を投げ出してまで、人を救おうとされたのか。
それは、神はひとり子をお与えになる程の価値ある存在として、人を創造されたからである。
どういうわけか、ひとり子の命を投げ出すまでの価値ある者として、神は人を、見なしている!
サタンは、大いなるお門違いを要求して来た。本来訴えられるべき加害者のサタンが逆に訴え、被害者であるほうの人間が逆に訴えられている。だから私達は、サタンを、イエス様の名によって訴えるべきだ。
御言葉の真理によって勝利する皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!