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メッセージ - ダビデの死と、そしてダビデの永遠の将来(1列王記2:1-12)

ダビデの死と、そしてダビデの永遠の将来(1列王記2:1-12)

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礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » 1列王記
執筆 : 
pastor 2015-12-7 19:49

ダビデの死と、そしてダビデの永遠の将来(1列王記2:1-12)
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『ダビデの死ぬ日が近づいたので、彼はその子ソロモンに命じて言った、』(1列王記2:1)

ダビデは死を目前に、彼の後継の王であるソロモンに、個人的な指示をする。
その内容は、ソロモンが成功するためのアドバイスと、そして、ある人達をどう扱うべきかの指示であった。

『「わたしは世のすべての人の行く道を行こうとしている。あなたは強く、男らしくなければならない。あなたの神、主のさとしを守り、その道に歩み、その定めと戒めと、おきてとあかしとを、モーセの律法にしるされているとおりに守らなければならない。そうすれば、あなたがするすべての事と、あなたの向かうすべての所で、あなたは栄えるであろう。』(1列王記2:2-3)
まずは、強くあって男らしくせよ(原意:男である事を示せ)と命じている。
それも、神である主のさとし(charge)を守り、その道に歩み、その定め(statutes)と戒め(commandments)と、おきて(judgments)とあかし(testimonies)とを、モーセの律法に従って守れ、と。
これが全ての事、全て所において成功し、栄える秘訣であるからだ。

強さ、男らしさは、御言葉あっての男らしさでなくてはならない。主を恐れる事と御言葉なき「男らしさ」は、野蛮に過ぎない。
かつては野蛮と言われていた国でも、御言葉の福音が入った後は、野蛮さが抜け、秩序的な文明国になって行った例は、世界に沢山ある。(北欧のバイキングなど)
だから私達も、御言葉に基づいて、勇気と力を発揮すべきであり、それを除外した勇気と力は、単なる蛮勇に過ぎないのだ。

『また主がさきにわたしについて語って『もしおまえの子たちが、その道を慎み、心をつくし、精神をつくして真実をもって、わたしの前に歩むならば、おまえに次いでイスラエルの位にのぼる人が、欠けることはなかろう』と言われた言葉を確実にされるであろう。』(1列王記2:4)
主はかつてダビデに、彼の王権は、決して取り去られない、という事を、約束された。(2サムエル記7章)
しかし結論から言えば、王権は確かにダビデからは取り除かれなかったが、ソロモンは人生の後半、父ダビデの命令を守らず、主から離れ、偶像礼拝をし、堕落してしまったため、ソロモンの子孫からは、王権が取り上げられてしまった。
実は、イエス・キリストは、ダビデの血は継いでいても、ソロモンの血は継いでいないのだ。これはどういう事か。

マタイ一章の系図は、ダビデ王族としてのイエスキリストの系図で、ダビデからソロモンが生まれ、その後、しばらく王権は続くが、バビロン捕囚以降、王は立たなくなってしまい、そうしてイエス・キリストの時代まで続いている。
イエス様は、聖霊によってみごもり、処女マリヤから生まれているため、「養父」ヨセフの血を継いでいない。それは、「継いではならない」理由があるからだ。

系図の中、マタイ1:11に、エコニヤの名があるが、彼とその前の王達は、あまりに悪い事をし続けたため、主は以下のように預言している。
「この人を、子なき人として、またその一生のうち、栄えることのない人として記録せよ。その子孫のうち、ひとりも栄えて、ダビデの位にすわり、ユダを治めるものが再び起らないからである。」(エレミヤ22:30)
実際、エコニヤ以降に王は出なかった。

では、イエス様は王族ではないのか?ダビデの子ではないのだろうか?いいや、ダビデの子であり王族である。
実は、ルカの福音書三章に、もう一つの系図がある。
この系図は、マリヤの家系の系図であり、マタイ一章のヨセフ系図では、ダビデの子はソロモンであるが、ルカのマリヤ系図では、ダビデの子はナタン(バテ・シェバの子でソロモンの兄:1歴代3:5)となっており、それ以降のマタイとルカの系図は、分岐している。
つまり、イエスの母マリヤは、歴代の王族の家系ではないものの、れっきとしたダビデの子孫であり、そして、悪に染まった王族の血を、継いでもいない。
つまりイエス様は、法的にはヨセフの子、すなわち、法的には歴代の王族の子であり、そして血筋としては、ソロモン以降の悪しき王達の血を継がない、「純粋なダビデの子孫」なのである。
まことに主は、いかなる歴史を通じても、そしていかに人々が不真実であっても、それでも真実な方であり、正確に義を遂行されるお方である。

ダビデは続いて、ソロモンに、人間の「仕分け」を命じる。

『またあなたはゼルヤの子ヨアブがわたしにした事、すなわち彼がイスラエルのふたりの軍の長ネルの子アブネルと、エテルの子アマサにした事を知っている。彼はこのふたりを殺して、戦争で流した地を太平の時に報い、罪のない者の血をわたしの腰のまわりの帯と、わたしの足のくつにつけた。それゆえ、あなたの知恵にしたがって事を行い、彼のしらがを安らかに陰府に下らせてはならない。』(1列王記2:5)
ヨアブは度々、自分のやりたい事と、自分のキャリアの保身のために、主君・ダビデの命令に背いて、罪なき人々の血を流し、平和を流血で染めた。
だから彼は、どんなに功績を立てても、ダビデの三十勇士には名が記されなかったし、そして軍団長の地位から降ろされるのだ。

神の国においても同じである。
どんなに功績を上げても、まことの主君・イエス・キリストを軽んじて、不従順を重ね、主の御旨でない者を担ぎ上げてしまうなら、特別な地位から降ろされ、御国のリストから除外され、抹殺されてしまうのだ。

『ただしギレアデびとバルジライの子らには恵みを施し、彼らをあなたの食卓で食事する人々のうちに加えなさい。彼らはわたしがあなたの兄弟アブサロムを避けて逃げた時、わたしを迎えてくれたからである。』(1列王記2:7)
バルジライは、ダビデがアブシャロムのクーデターによって都を追われて本当に困っていた時、バルジライは彼の富を活用し、ダビデと数千人はいる彼の部下たちを助け、クーデターが解決するまで、彼らを養った。
それでダビデは、彼の子孫たちに良くしてやりなさい、と命じたのだ。
私達も、イエス様が真に栄光を受けていない今、むしろこの時代、軽んじられているようなイエス様とそのしもべたちを助けるなら、後には永遠につづく報いが待っているのだ。

『またバホリムのベニヤミンびとゲラの子シメイがあなたと共にいる。彼はわたしがマハナイムへ行った時、激しいのろいの言葉をもってわたしをのろった。しかし彼がヨルダンへ下ってきて、わたしを迎えたので、わたしは主をさして彼に誓い、『わたしはつるぎをもってあなたを殺さない』と言った。しかし彼を罪のない者としてはならない。あなたは知恵のある人であるから、彼になすべき事を知っている。あなたは彼のしらがを血に染めて陰府に下らせなければならない」。』(1列王記2:8-9)
シメイは、ダビデがアブシャロムに追われて本当に困っていた時、ダビデ一行に、さかんに呪いの言葉を浴びせかけ、石を投げつけながら同行した者であったが、ダビデが勝利した時、真っ先にダビデの元に駆けつけて謝罪し、命を拾った者である。
彼は、とてつもなく無礼な事をダビデにしたが、絶妙のタイミングで絶妙の事をしたため、赦され、命は救われたのだ。
しかし彼のような者は、表に出ない所でどんな陰口を流すか分かったものではないし、いつ手のひらを返して裏切るか分からない。

まことに彼は、口先と行動力で上手に世渡りしている者であるが、ダビデが最後にこの指示をしたという事は、やはりシメイは、表向きはダビデを恐れているものの、心の底からダビデを敬う事をして来なかったのを、ダビデは見抜いていたのだろう。
事実シメイは、後の王ソロモンの命令を破り、それが元で、彼自身の破滅を招く事となる。

『ダビデはその先祖と共に眠って、ダビデの町に葬られた。ダビデがイスラエルを治めた日数は四十年であった。すなわちヘブロンで七年、エルサレムで三十三年、王であった。このようにしてソロモンは父ダビデの位に座し、国は堅く定まった。』(1列王記2:10-12)
こうして、1サムエル記から長らく活躍して来たダビデもまた、先祖の列に加えられ、葬られた。
しかし、あまり悲しいものではない。
彼は永遠に滅んだのではなく、必ず復活し、全ての聖徒達と共に、天の王国を共に継ぐのだから。

ダビデは歌っている。
『わたしは常に主をわたしの前に置く。主がわたしの右にいますゆえ、わたしは動かされることはない。このゆえに、わたしの心は楽しみ、わたしの魂は喜ぶ。わたしの身もまた安らかである。
あなたはわたしを陰府に捨ておかれず、あなたの聖者に墓を見させられないからである。あなたはいのちの道をわたしに示される。あなたの前には満ちあふれる喜びがあり、あなたの右には、とこしえにもろもろの楽しみがある。』(詩篇16:8-11)

私達も、死とよみに打ち勝たれた私達の主、イエス・キリストを、自分の前に置くなら、主は私達をよみに捨て置かせず、墓を見させない。
この、死に勝利された主にあって、私達もよみがえらされ、わしのように若くされるのである。

『主はあなたのすべての不義をゆるし、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを墓からあがないいだし、いつくしみと、あわれみとをあなたにこうむらせ、あなたの生きながらえるかぎり、良き物をもってあなたを飽き足らせられる。こうしてあなたは若返って、わしのように新たになる。』(詩篇103:3-5)
まことに主にある者は、老いるにも、死ぬにも、そして復活するにも、栄光に満ちているのだ。

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