メッセージ - 時の初まりから用意されていたキリストのおとずれ(ルカ1:67-79)
時の初まりから用意されていたキリストのおとずれ(ルカ1:67-79)
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週報/メッセージ(説教)概要
アドベントもいよいよ第4週となり、4つの火が灯った。アドベントにろうそくを灯すのは、永遠の昔から神によって定められていた「世を照らすまことの光であられるキリスト」を覚えるためだ。今回、神がどれほどの熱心をもって人類を救おうと、そのご計画を立てておられたのか、ヨハネの父ザカリヤの賛歌から見てみたい。
「主なるイスラエルの神は、ほむべきかな。神はその民を顧みてこれをあがない、わたしたちのために救の角を/僕ダビデの家にお立てになった。」(ルカ1:68-69) バプテスマのヨハネの父、祭司ザカリヤは、息子ヨハネが生まれた時、御使いによって閉ざされていた口が開き、聖霊に満たされ、主を喜びたたえた。
この有名な賛歌は「ベネディクトゥス(ラテン語で「祝福があるように」の意)」と言われているが、彼が喜び称えたのは、老齢でやっと子が誕生したからではない。この賛歌の主人公は、神と、救い主キリストである。
なぜ彼は喜び称えたか。それは、神は、その民を「顧み(見舞う、よく探す)」、「あがない(買い戻し)」をして下さったからである。主がその民を顧みて、買い戻しをして下さる事は、遥か昔から預言されていた。
『古くから、聖なる預言者たちの口によってお語りになったように、わたしたちを敵から、またすべてわたしたちを憎む者の手から、救い出すためである。』(70-71) この「古くから(apo aionos)」は「今まで続いている一連の”時”の、一番始まりから」を意味し、主は人類を憎む敵から救い出す事を、時の初まりから、ご計画されていた。まことに神は、天地の造られる前から、私達をキリストにあって選び、御前にきよく傷の無い者となるように、愛をもって、あらかじめ定めておられたのである。(エペソ1:3-5)
私達を憎む敵は、サタンであり、サタンは私達が愛されている事を歯ぎしりして憎み、神から離れさせようと、エデンの園でそそのかし、人類に罪と死を導入させてしまった。
主は、人に罪と死が導入されてしまって以来、人類を贖い出すため、遥か昔から手を打っておられた。
キリストの降誕が、一番最初に預言された箇所はどこか、ご存知だろうか。アダムとエバによって罪と死が人類に導入されたのは創世記3章6節であるが、そこから10節も数えぬ「創世記3章15節」からである。
エバが蛇にそそのかされ、禁じられていた実を食べてしまった時、神が蛇に「お前と女、お前の子孫と女の子孫の間にわたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕きお前は彼のかかとを砕く」と言われた、その所だ。
人類の贖いのために重要なキーパーソンが、賛歌の中で登場する「僕ダビデ」と「父祖アブラハム」である。
主は、人類全体はアブラハムの子孫によって祝福に入る事を約束され(創世記15:1-6)、アブラハムの子孫・イスラエル民族へと託した律法によって、神の基準を明示し、さらに降って、僕ダビデから永遠に続く一つの家、一つの王国を建てる約束を与え(1歴代誌17:4-15)、こうして主は、時代から時代へと、世代から世代へと通して語り継げ、贖いの計画を整え、満を持して、ダビデの末からキリストが生まれたのだ。
『幼な子よ、あなたは、いと高き者の預言者と呼ばれるであろう。主のみまえに先立って行き、その道を備え、罪のゆるしによる救を/その民に知らせるのであるから。』(76-77) ゼカリヤは、老年にしてやっと得た自分の息子に自分の名をつけ自分の思い通りに育てたいとは思わず、主に示された通り「ヨハネ」と名付け、遠大なる主のご計画に従い、彼が主の道を整える事に用いられる事を喜んでいる。 その彼の役割は、悔い改めによって主の道を整え、アダム以来問題であった罪のゆるしによる救いを告げ知らせる事である。
『これはわたしたちの神のあわれみ深いみこころによる。また、そのあわれみによって、日の光が上からわたしたちに臨み、暗黒と死の陰とに住む者を照し、わたしたちの足を平和の道へ導くであろう。』(78-79)
イザヤも告げている。「暗やみの中に歩んでいた民は大いなる光を見た。暗黒の地に住んでいた人々の上に光が照った。・・・ひとりのみどりごがわれわれのために生れた・・・そのまつりごとと平和とは、増し加わって限りなく、ダビデの位に座して、その国を治め・・・万軍の主の熱心がこれをなされる。」(イザ9:2-7)
クリスマスというと、夜、暗闇の中に光がぴかぴかと光るイメージがある。時の初めもまた、暗闇であった。
しかし主が「光よあれ」と言って光を創造し、無味な混沌から、命が輝く秩序へと、創り変えられて行った。
キリストこそ世を贖うまことの光であり、このお方が暗闇の世界にプレゼントされた日を祝うのが、クリスマスである。このクリスマスが救いの喜びに溢れる皆さんでありますように、イエス様の名によって祝福します!