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メッセージ - 神殿について祈ったソロモンの祈りへの、主の応答(1列王記9:1-9)

神殿について祈ったソロモンの祈りへの、主の応答(1列王記9:1-9)

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礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » 1列王記
執筆 : 
pastor 2016-1-28 23:56

神殿について祈ったソロモンの祈りへの、主の応答(1列王記9:1-9)
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『ソロモンが主の宮と王の宮殿およびソロモンが建てようと望んだすべてのものを建て終った時、主はかつてギベオンでソロモンに現れられたように再び現れ』(1列王記9:1-2)

主がかつてギブオンでソロモンに現れた時とは、主がソロモンに「あなたに何を与えようか、求めなさい」と促した、あの時の事だ。
ソロモンはその時、主にシャマーの心(聞いて従う心、わかる心)を求め、その願いが主に喜ばれ、主は彼に大いなる知恵と、栄誉と、富と、その他、あらゆる良きものを与えた。
あれから十数年、ソロモンは神殿を建設し終わり、その神殿について主が格別に目を注いて下さるよう祈り願ったが、主は、その祈りへの返答をされたのである。

『彼に言われた、「あなたが、わたしの前に願った祈と願いとを聞いた(シャマー)。わたしはあなたが建てたこの宮を聖別して、わたしの名を永久にそこに置く。わたしの目と、わたしの心は常にそこにあるであろう。』(1列王記9:3)
主は、ソロモンの願いを確かに聞かれ、そのとおりにされた。
主はその神殿を聖別し、主の御名を永久にそこに置き、いつもそこに目と心を注ぐ、と約束された。

主の目がいつも、その神殿に注視され、主の心がいつもそこに置かれている。何と素晴らしい事だろうか。
その神殿はまさにイスラエルの栄誉であり、ソロモンとしても、何にも増して誇りに思える事だろう。
しかし、いつも主の目が注がれている、という事は、逆に言うなら、それだけ迂闊な事はできないという事でもある。

人間が全能なる神を意識せず、誰にも見られていないと思って、平気で罪を犯し続けるなら、それは、監視カメラを前に盗みを働いているようなものだ。
かと言って、全能なる神の監視の目を気にして、本当はしたい「悪い事」をぐっと我慢して生きている事は、実に悲しい生き方だ。
私達はむしろ、愛と憐れみ、赦しに満ちた主のその眼差しを意識するべきである。

主は、私達の髪の毛の数さえ全てご存知であり、私達が胎児であった時も既に私達を見ておられ(詩篇139篇)、そればかりでなく、私達が生まれるはるか以前から、キリストにあって私達を選び、祝福のご計画を立てておられた。(エペソ1:3-5)
私達が立つのも伏すのも知っており、私達の舌に言葉がのぼる前から、既に、それを読み取っておられる。
愛と憐れみ、赦しに満ちたもう主は、私達の全ての思い煩いも、そして、私達の奥深くにある誰も知り得ないような傷ついた心の深みさえ、全てご存知なのだ。
だからこそ、何もかも打ち明ける事が出来る。
主は、たとえ牢の中にいようと、海深く魚の腹の中にいようと、ただ主に心を向けて祈るだけで、主とのコミュニケーションが繋がり、祈りを聞いて下さるのだ。(ヨナ書2章)
その主にいつも喜び、絶えず祈り、全ての事について感謝する生き方のほうが、断然、得であり、有意義な生き方だ。

『あなたがもし、あなたの父ダビデが歩んだように全き心をもって正しくわたしの前に歩み、すべてわたしが命じたようにおこなって、わたしの定めと、おきてとを守るならば、わたしは、あなたの父ダビデに約束して『イスラエルの王位にのぼる人があなたに欠けることはないであろう』と言ったように、あなたのイスラエルに王たる位をながく確保するであろう。』(1列王記9:4-5)
ここには、3つの動詞が出てくる。すなわち、主の前に「歩み」、主が命じたように全て「行い」、主の定めとおきてとを「守る」事。
これらをするなら、主がダビデに約束して下さった王権を、あなたにも継続させよう、と言うのだ。
私達も全く同じだ。
私達も主の御前に歩み、主の御言葉を守り行うなら、必ず祝福される事が約束されているのだ。

そして主は、ソロモンに、逆の場合についても釘を刺されている。
『しかし、あなたがた、またはあなたがたの子孫がそむいてわたしに従わず、わたしがあなたがたの前に置いた戒めと定めとを守らず、他の神々に行って、それに仕え、それを拝むならば、わたしはイスラエルを、わたしが与えた地のおもてから断つであろう。またわたしの名のために聖別した宮をわたしの前から投げすてるであろう。そしてイスラエルはもろもろの民のうちにことわざとなり、笑い草となるであろう。』(1列王記9:6)
ここにも、3つの事が出てくる。
すなわち、主に「そむいて従わず」「戒めと定めとを守らず」「他の神々に行って、それに仕え、それを拝む」なら、主が御名を置かれたあの特別な神殿さえ、投げ捨ててしまう、というのだ。

私達も全く同じだ。
いかに素晴らしい教会を建てたとしても、主に背き、主の御言葉を守らず、イエス・キリスト以外のものにも救いを求めるとするなら、そのような教会やミニストリーは、御前から投げ捨てられてしまうのだ。

『かつ、この宮は荒塚となり、そのかたわらを過ぎる者は皆驚き、うそぶいて『なにゆえ、主はこの地と、この宮とにこのようにされたのか』と言うであろう。その時人々は答えて『彼らは自分の先祖をエジプトの地から導き出した彼らの神、主を捨てて、他の神々につき従い、それを拝み、それに仕えたために、主はこのすべての災を彼らの上に下したのである』と言うであろう」。』(1列王記9:8-9)
主は、神の民イスラエルに祝福を与える事を通して、異邦人に栄光を表された。
しかし、もし神の民イスラエルが御声に聞き従わない、という事であるなら、彼らに降される大きな災いを通しても、異邦人に栄光をあらわされる。
どちらにしても、ただ主の栄光はあらわれるのだが、主は、人が罪を犯して災いに遭う事を望んではおられない。むしろ祝福され、いのちを獲得する事を望んでおられる。

主は、真実なお方である。
私達は、肉に対して種を蒔くなら肉から滅びを刈り取るが、霊に蒔くならいのちを刈り取る事を、気をつけていなくてはならない。
『わたしは、きょう、天と地を呼んであなたがたに対する証人とする。わたしは命と死および祝福とのろいをあなたの前に置いた。あなたは命を選ばなければならない。そうすればあなたとあなたの子孫は生きながらえることができるであろう。すなわちあなたの神、主を愛して、その声を聞き、主につき従わなければならない。そうすればあなたは命を得、かつ長く命を保つことができ、主が先祖アブラハム、イサク、ヤコブに与えると誓われた地に住むことができるであろう」。』(申命記30:19-20)

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