メッセージ - 長年出来なかった再建を開始するために(ネヘミヤ1-2章)
長年出来なかった再建を開始するために(ネヘミヤ1-2章)
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週報/メッセージ(説教)概要
天声教会設立のビジョンが与えらて15年、この会堂での礼拝が始まって10年目、当教会にとって節目にあたる今年、当初のビジョンに帰り、再建すべき礼拝とは何であるのかを、今年に入ってから学んでいる。
前回はハガイ書2章から、神殿の礎を据えた日、すなわち礼拝を中心とする生活を決心した日から後をよく考えよ、その日の前はどうだったか、それに比べ、その日以降はどうなったか、カレンダーに印をつけて比較せよ、という事を、示された。皆さんは、礼拝を中心とした日々をキープできているだろうか?
せっかく悔い改め、心を入れ替えて新しく生きようと決心しても、一日、二日経つ内に決心が薄れ、三日目で怠けてしまい、それ以降は怠け癖がついてしまって、1週間後には、完全に前の生活、前の生き方に戻ってしまっている、という事が、霊的生活では、ありがちである。
この「怠け癖」が身に沁みてしまっている人、思慮に欠けてしまっている人の畑は、いばらが一面に生え、いらくさが地面をおおい、その石垣はこわれている状態だ。(箴言24:30-31)
分かってはいても、染みこんでしまった怠け癖や思慮の無さから脱出する事は、困難である。そこで今回、長年出来なかった礼拝の再建を開始する術を、城壁を立て直す名人・ネヘミヤから学びたい。
ネヘミヤの名の意味は「主の慰め」である。彼はハガイと同じく、バビロン捕囚後のイスラエル再建に貢献した。彼は元々、ペルシア王アルタシャスタに仕える献酌官だったが、エルサレム城壁が崩されたままである事を聞いた時、彼は憂いて泣き、主に憐れみを祈った。(ネヘミヤ1章) 彼が祈った所、主の憐れみを受け、王の許しと援助を得て総督となった。彼こそ、エルサレム城壁の再建を指揮し、建て直した人である。
彼が総督に任命されて帰国の許可を得たのは、紀元前445年と言われている。バビロン捕囚が終わったのは紀元前537年なので、捕囚が終わって後の92年、誰も城壁を建て直す人がいなかった、という事だ。
誰かがいつかしてくれるだろう、と誰もが思っていて、結局92年も、城壁は放ったらかしにされていた、という事だ。まさに次の状態である。『「しばらく眠り、しばらくまどろみ、手をこまぬいて、またしばらく休む」。それ故、貧しさは盗びとのようにあなたに来、乏しさはつわもののように、あなたに来る。』(箴言24:33-34)
城壁とは、身を守る防護壁であり、自分の領域と外との境界線である。皆さんの人生の城壁はどうだろう。
人生の城壁が崩されてしまった人の特徴は一言、「受け身」であり、悪しき者が出入りし放題でも、なされるがまま、嘲られ、卑しめられ、ぶん取られても、それが悪い状態だと気づかず、むしろ自分はお人好しな、善良な人であるかのように勘違いしている人もある。主の尊い器が蹂躙されている状態は、全く良いものではない。まさに箴言24:30以降にある通り、いらくさやあざみに覆われ、石垣は崩されてしまった状態だ。
建て直しはまず、ネヘミヤのように、そのような状態を悲しみ、祈る感性を持つ所からである。
長年崩されていた石垣を建て直そうとする時、大体、それを邪魔する者が現れる。(ネヘミヤ2:10)
それは、城壁が崩されたままの方が、分捕り放題出来て、都合良しとする「外部の敵」であり、あるいは内部の、特に現状のままのほうが善良であるかのように意見し反対する人である。なぜ彼らが反対するか。
それは、建て直しをしてしまったら今までそれをしなかった自分の怠慢さが浮き彫りにされてしまうからだ。
だからネヘミヤは事を起こす時まで、ごく一部の人を除いて誰にも公開せず、密かに行動した。(11-16節)
そうして全てを裏で整えてから、皆に再建に取り掛かる事をあかし、また、王の後ろ盾もある事もその時明かし、皆を奮い立たせたため、誰からも反対を受けずに、皆で仕事に取り掛かる事が出来た。
『ところがホロニびとサンバラテ、アンモンびと奴隷トビヤおよびアラビヤびとガシムがこれを聞いて、我々をあざけり、われわれを侮って言った、「あなたがたは何をするのか、王に反逆しようとするのか」。』(19節)
外部の敵は、あたかも、再建が悪い事であるかのように言う。あたかも自分達が違反しているかのように。
しかしその時、神の国の価値観に立つべきだ。神の国の価値観は、いのちの建て上げを良しとし、礼拝の建て上げを良しとする。それに反する事の方が、永遠なる御方に背く事なのだ。ネヘミヤは御国の価値観に立って、堂々と言った。「天の神がわれわれを恵まれるので、そのしもべであるわれわれは奮い立って築くのである。しかしあなたがたはエルサレムに何の分もなく、権利もなく、記念もない。」(ネヘミヤ2:20)
私達も彼のように、いのちのために、礼拝のために、天の神である主を後ろ盾につけて、宣言するのだ。
そしてもはや、長年留まっていた荒れ放題の様から脱却し、人生と礼拝の再建を開始するべきだ。