メッセージ - 天声とは(2ペテロ1:16-21)
天声とは(2ペテロ1:16-21)
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週報/メッセージ(説教)概要
天声キリスト教会設立のビジョンが与えらて15年目、この会堂での礼拝が始まって10年目、この教会にとって節目にあたる今年に入って以来、設立当初に与えられたビジョンについて見ているが、今回はこの教会の名前である「天声」とは、いかなる意味であるのか、について見ていきたい。
今までホームページに記して来た通り、天からの声とは、父なる神の御声、すなわち御言葉、それは「ことばは人となって私達の内に宿った」(ヨハネ1:14)という、御言葉なるキリストであり、三位一体の主である。
聖書には、天から声がした事の記事が幾つか示されているが、いずれの場合も、ある特別な人だけが聞くような、出処元の分からないものではなく、その声を聞いた誰もが「天」からのものとハッキリ分かる「神の声」であり、その内容はイエス・キリストこそ救い主であり、生ける神の御子である事を明示するものである。
例えば、イエス様がバプテスマを受けられた場面では「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」(マタイ3:17)と言っている。 また、イエス様が弟子達の前で栄光の姿に変わった場面では、天の声は「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。これに聞け」(同17:4)と言っている。だから私達は、その天の声に従い、御言葉なるキリストに「そのまま聞く」教会として今日まで歩み続けているのだ。
聖書の時代、天の声は、その場で聞いた人の誰もが、出処元が神である事がハッキリ分かったが、現在、神の言葉は「聖書」として、誰もが手にする事が出来、信じる・信じないは別として、出処元が神である事は、誰もが聞いている所だ。では、その天の声である御言葉に対し、私達はどのように接するべきなのか。
第二ペテロの手紙で、ペテロはイエス様が栄光の姿になられた場面を述懐し(1:16-18)、この天の声により、預言の言葉は一層、確実なものになった、と言った。「夜が明け、明星がのぼって、あなたがたの心の中を照すまで、この預言の言葉を暗やみに輝くともしびとして、それに目をとめているがよい。聖書の預言はすべて、自分勝手に解釈すべきでないことを、まず第一に知るべきである。」と言っている。(同19-20)
私達は、聖書のことばは、分からない事だらけだ。もし聖書は全部分かる、などと言う人がいれば、ちょっと疑ったほうが良い。聖書の言葉は霊の書物であり、わからない人には、とことん分からない。
使徒パウロが、主からの召命を受ける場面では、パウロは、天からの声の内容は明確に理解できたのに、同行していた人達は、「声(フォネー:ノイズとも訳せる)」は聞こえても内容は理解できなかった。(使徒9:7)
福音も聖書の言葉も、ある人にとっては救いをもたらす神の力だが、ある人にはノイズに過ぎないのだ。
では、その分からない聖書と、どう付き合えば良いのだろう。どうすれば「わかる」のだろう。まず、聖書の言葉が分からない時に、「してはならない事」は、「自分勝手に解釈」する事だ。聖書の言葉は「心の中を照す」ものであり、その時まで「目を留めている」事が、御言葉への正しい作法である。(2ペテロ1:19)
御言葉が心を照らす時、不安だった心に、決して揺るがない平安が与えられ、心配だった将来に希望がもたらされる。例えば、聖書の「恐れるな」という言葉を聞いてもなお恐れがあるなら、光は照らされていない状態であり、その言葉を受けて、恐れが消えた、というなら、光が照らした、という事だ。
これは人の理屈や、たくみに考え出されたものでもない。ただ上から与えられ、照らされたもの、すなわち、聖霊によって運ばれて来たものである。『なぜなら、預言は決して人間の意志から出たものではなく、人々が聖霊に「感じ(φερομενοι:運ばれ;担がれ)」、神によって語ったものだからである。 』(21節) つまり預言は、人の解釈や人の定めた一定法則に拠ってはならず、聖霊の促しによって読み解くものだと書いてある。
では聖霊とは何だろう。それは、イエスを証し(ヨハネ15:26)、イエスを栄光化する霊である。(同16:14)
霊の声を聞いて啓示を受けた、と言う人がいる場合、その霊をためすと良い。人となって来たイエス・キリストを告白する霊は神からのものであるが、イエスを告白しない霊はどれ一つとして神から出たものではなく、それこそ反キリストの霊である(1ヨハネ4:1-3)。預言の霊は、イエスのあかしである。(黙示録19:10)
御言葉を開く時、旧約も、新約も、私達を救う主・イエス・キリスト、この御方を中心に据えて読む時、分からないものが見えて来る。律法も預言書も、全てイエスについて書かれてあるからだ。(ルカ24:25-44)
だから、この天声キリスト教会は、ホームページも、礼拝も、どこを切っても、御言葉とイエス様しか出てこないのであり、人間的ビジョンは一切見出だせないのだ。この天の声すなわち父なる神の御声、御言葉なるキリスト、聖霊によって導かれ歩み続ける皆さんでありますように!イエス様の名前によって祝福します!