メッセージ - ソロモンの時代の終焉と共に暗転するイスラエルの歴史(1列王記11:37-43)
ソロモンの時代の終焉と共に暗転するイスラエルの歴史(1列王記11:37-43)
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- 執筆 :
- pastor 2016-2-12 23:40
ソロモンの時代の終焉と共に暗転するイスラエルの歴史(1列王記11:37-43)
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主は、ヤロブアムをソロモンを打つ杖として、またイスラエルの残り10部族を治める王として召しだし、その役割を与えられた。
『わたしがあなたを選び、「あなたはすべて心の望むところを治めて(KJV: thou shalt reign according to all that thy soul desireth)」、イスラエルの上に王となるであろう。』(1列王記11:37)
主はこの時、ヤロブアムに「すべて心の望むところ」と、自由裁量を与えられている。
主が特別な任に召しだされる時は、主は、それを遂行するに必要な能力(賜物)は既に与えられ、また、全て必要な手はずも整えられており、その人は、与えられた能力と自由裁量に従って、御旨を遂行していくものだ。
しかし、その自由裁量の中で、与えられた能力や手はずを、主のためではなく、自分の欲望を満たすためにのみ用いて事を選択し続けるならば、主から特別扱いされているだけに、ペナルティもまた特別である。
それは、ヤロブアムがこの後、どう歩み、その結果どうなってしまうのかを見て行くとわかる。
『もし、あなたが、わたしの命じるすべての事を聞いて、わたしの道に歩み、わたしの目にかなう事を行い、わたしのしもべダビデがしたように、わたしの定めと戒めとを守るならば、わたしはあなたと共にいて、わたしがダビデのために建てたように、あなたのために堅固な家を建てて、イスラエルをあなたに与えよう。わたしはこのためにダビデの子孫を苦しめる。しかし永久にではない』」。』(1列王記11:38-39)
なんと主は、このヤロブアムに、ダビデのように、長く続く堅固な家を立てる、と、ダビデに準じるような約束を与えられている。
ヤロブアムには、これ程の約束が与えられている、というのに、彼の名を知らないクリスチャンは、多いと思う。
なぜなら、彼の家は長くは続かず、わずか二代で断たれてしまったからだ。
なぜなら彼は、祝福の条件である次の言葉、「もし、あなたが、わたしの命じるすべての事を聞いて、わたしの道に歩み、わたしの目にかなう事を行い、わたしのしもべダビデがしたように、わたしの定めと戒めとを守るならば」、という点を全く守らず、警告を受けても改めなかったからだ。
彼にしても、ソロモンにしても、そしてダビデにしても、主を恐れ敬い、主の御言葉に従って歩むという「祝福の条件」を満たす人には、主は大いに報い、祝福を下さるが、その逆の道を歩むなら、その人には約束の祝福は成就しないばかりか、悲惨な目に遭ってしまう。
歴史に「もし」は禁句だが、もしヤロブアムが主の命令に聞き従い、主の目にかなう事を行っていたのなら、ヤロブアムの名は、ダビデに次ぐ栄光の名前になっていた可能性も有り得たわけであり、もし、ダビデが戒めを受けてもなお心頑なにし罪を犯し続けていたなら、彼の名はここまで大きくはならなかったろう。
私達にも全く同様である。
主から素晴らしい祝福の約束をいただき、預言の御言葉をいただいているにもかかわらず、主を軽んじ、御言葉に反して身勝手に生きるなら、主は警告を与え、それでも聞かないなら、与えようとしていた祝福も取り上げられ、それでも悔い改めないなら、聖書の中でそのように歩んだ人達の末路のようになってしまう。
一体、幾人の人達が、主からの素晴らしい召命をいただいておきながら、不従順によってその特別な地位を逃し、歴史の闇へと消えて行ってしまったのだろう。
『ソロモンはヤラベアムを殺そうとしたが、ヤラベアムは立ってエジプトにのがれ、エジプト王シシャクのところへ行って、ソロモンの死ぬまでエジプトにいた。』(1列王記11:40)ソロモンは、主に対して不実だった自分を悔い改める事なく、また、その結果もたらされた「新展開」を素直に受け入れず、自分の王権の脅威と見たヤロブアムを、抹殺しようとした。
しかし、彼の計らいは叶わなかった。
主の御旨に従わない悪い王が、主の御旨に適う新しい王が誕生したのを聞いた時、悪い王は、その新しい王を殺そうとするも、それは叶わず、彼にはエジプトへ逃げられてしまう。
どこかで聞いたことのある話である。
イエス様が誕生された時、ちょうど同じ事が起きた。
当時、ユダヤを治めていた悪い王・ヘロデは、ユダヤの新しい王が誕生したうわさを聞いた時、その赤子を殺害しようとしたが、主はその子をエジプトへ逃れさせ、ヘロデ王が死ぬまで、エジプトでかくまわれた。(マタイ2章)
ソロモンがヘロデ王と同じ行動を取ったのは、情けない話であるが、主がひと度「成す」と定められた事には、いかに強い王が権力を駆使して抹殺しようとしても、無駄なのだ。
『ソロモンのそのほかの事績と、彼がしたすべての事およびその知恵は、ソロモンの事績の書にしるされているではないか。ソロモンがエルサレムでイスラエルの全地を治めた日は四十年であった。ソロモンはその先祖と共に眠って、父ダビデの町に葬られ、その子レハベアムが代って王となった。』(1列王記11:41-43)
こうして、ソロモンの時代は終わった。
列王記はこの章を境に暗転する。
王国は北と南に分裂し、悪い王と良い王の交錯する混乱した時代へと突入する。
そして、その中で一貫して貫かれている法則は、主に従う王は栄え、主に従わない王は災いに満ちている、という点だ。
人はみな、罪があり、間違った方向へ行く事もある。
そんな自分の罪を悲しみ、悔い改めて主に立ち返る人に対して、主は憐れみ深く赦して下さるが、指摘された自分の罪を悲しまずに、むしろ楽しみ、主から戒められても、なお改めないなら、災いに満ちてしまう。
私達はダビデのように、素直に悔い改める性質でありたい。
彼はそのような性質だったからこそ、大いなる栄誉が与えられたのだ。