メッセージ - チームワークとしての再建のわざ(ネヘミヤ3章)
チームワークとしての再建のわざ(ネヘミヤ3章)
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週報/メッセージ(説教)概要
天声教会の節目にあたる今年に入り、教会設立当初にハガイ書から与えられたビジョンである「礼拝の再建」を中心に学んで来た。神殿の再建が始まって以降、主は祝福を返して下さる事を約束されたが、ハガイの時代、神殿のあるエルサレムの都の城壁は、ネヘミヤの時代まで、破壊されたままだった。
城壁が崩されたまま、という事は、敵は出入りし放題、邪魔され放題、分捕られ放題である。
ネヘミヤはその状態を憂いて悲しみ、主に祈った結果、主は彼の祈りを聞かれ、彼が仕えていたペルシア王を動かし、彼をエルサレムの総督に任命して、城壁を再建する者として遣わされた事を、前々回見た。
私達も立て直す事を決心するなら、もはやそれが阻害されないようにするため、「城壁」を再建する必要がある。今回、再建を始めたネヘミヤ達がどのように仕事を進めて行ったのかを、ネヘミヤ記3章から学び、私達もどのように再建を進めて行くべきかの指針を得たい。
『かくて大祭司エリアシブは、その兄弟である祭司たちと共に立って羊の門を建て、これを聖別してその扉を設け、さらにこれを聖別して、ハンメアの望楼に及ぼし、またハナネルの望楼にまで及ぼした。』(1節)
ネヘミヤの呼びかけに最初に応答して仕事を始めたのは大祭司で、彼らが真っ先に再建したのは「羊の門」、すなわち神殿の間近に位置する所だ。最も優先的にガードすべきは、神殿、すなわち礼拝である。
再建を始める時、敵がほぼ邪魔しに来る事を、前々回学んだが、最も邪魔しようとするのは、礼拝である。
まずは、礼拝を邪魔するあらゆる思いや考え、習慣、あるいはそのような人を取り扱うべきである。
また、この章では合計10の城門があるが、門は出入りする所で、最も攻撃にさらされやすい所である。
神殿、すなわち礼拝の次にガードするべきは、門であり、私達がガードすべき「門」とは、耳、目、口である。
インターネットや人の噂話など、世から聞こえて来るもの、見えてくるものの出入りをしっかり管理するべきであり、人の言葉などにいちいち傷ついたり煩わされたりする事がもはや無いよう、イエスの血を塗って清め、傷つきやすい状態を、修復するのだ。
「人はその口の実によって、幸福に満ち足り、人の手のわざは、その人の身に帰る。」(箴言12:14)とある通り、唇からは悪い言葉を出す事なく、昼も夜も、御言葉を口ずさむべきである。それをするなら、水路のそばに植わった木のように、時が来れば実がなり、しおれる事なく、何をしても栄える。(詩篇1篇)
ネヘミヤ3章は、誰々が何処を修理し、次に誰々が何処を修理した、という記述が続くが、再建のわざは、チームワークである。工事に関わった人達は色々な職種があり、祭司(1)、金細工人(8,31,32)、香料作り(8)、レビ人(17)、商人(31,32)、また、娘達と一緒に建て上げた父親もいた(12)。
力のあるなしに関わらず、実に多彩な人達がこれに当っている。主の働きの建て上げも、同じキリストを頭とする多彩な人達によるものであり、主は彼ら一人ひとりに、異なった賜物を与えられた。(1コリント12章)
彼らは工事については素人ではあったであろうが、エルサレムの城壁は、彼らによって築かれたように、この教会も、工事についてはほぼ素人の、色々な職種の人達と、その娘達による手弁当の工事によって、諸々のものが作られた。人は何かと、自分のプロフェッショナリティや、常識に基いて判断し、自分で限界を設けてしまう所があるが、主の仕事において重要な事は、自分の何かではなく、主からの召命である。
自分にこれこれの準備が整えられたら、これこれの学識や技術を身につけてからにしよう、と思いながら先延ばしにしていると、結局、何も出来ないまま、いたずらに時を過ごしてしまうという事が、ありがちである。
ちょうど、バビロン捕囚から帰還した民が、城壁を建て直しもしないまま、何十年も過ごしてしまったように。
私達は、自分の力や能力に頼って、主のわざを成せるものではない。全てを満たして下さるキリストに繋がってこそ、有益な実りを結ばせられるのだ。(ヨハネ15章) 『教会はキリストのからだであって、すべてのものを、すべてのもののうちに満たしているかたが、満ちみちているものに、ほかならない。』(エペソ1:23)
優れた人になろうとする努力も大事だが、それよりも大事な事は、すべてのものを、全てのものによって満たす御方、キリストにより頼み、彼に求め、聞き従う事である。それをするなら、私達には到底できないような、また、到底考えも及ばなかったような事を、彼にあって、為す事が出来るのだ。私達はキリストのからだ、であり、互いがそれぞれ器官である。私達のかしらであられるキリストに繋がり、互いに建て上げられ、成長し合って行く皆さんであり、そしてこの教会でありますように!イエス様のお名前によって祝福します!