メッセージ - イスラエル分断の発端(1列王記12:1-20)
イスラエル分断の発端(1列王記12:1-20)
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『レハベアムはシケムへ行った。すべてのイスラエルびとが彼を王にしようとシケムへ行ったからである。』(1列王記12:1)
かつて栄華を極めたソロモンは死に、彼の子・レハブアムの代となった。
彼の代で、イスラエルは北と南に分裂してしまうのだが、そのいきさつが、この章に記されている。
尊い神の民・イスラエルの分断は、実にあっけなく起こり、その原因も、実に下らない事が発端となった。
『ネバテの子ヤラベアムはソロモンを避けてエジプトにのがれ、なおそこにいたが、これを聞いてエジプトから帰ったので、人々は人をつかわして彼を招いた。そしてヤラベアムとイスラエルの会衆は皆レハベアムの所にきて言った、』(1列王記12:2-3)
人々は、ヤロブアムをわざわざエジプトから呼び寄せて、レハブアムに上申させた。
ヤロブアムはよほど手腕家で、人々からの信頼と人気もあったのだろう。
『父上はわれわれのくびきを重くされましたが、今父上のきびしい使役と、父上がわれわれに負わせられた重いくびきとを軽くしてください。そうすればわれわれはあなたに仕えます。』(1列王記12:4)
ソロモンの治世の当初、王宮で日々消費される食料も経費も、元々は莫大であったにもかかわらず、それでも人々は飲み食いを楽めていた。(4章)
全イスラエルの産物は、当初、よほど祝福されていたからであろう。
しかし、治世も後半になって来ると、人々は重税と厳しい使役にあえぎ、苦しんでいた。
という事は、祝福は途中で途絶えてしまったのだろう。
なぜ祝福が途絶えてしまったか。その理由は、明白だ。
ソロモンは、彼を祝福して下さった主を捨て、別の神々に走ってしまったからだ。
実入りが少なくなったのにソロモンは乱費を止めなかったため、民はあえぎ苦しみ、それで人々は、王の代が変わったタイミングで、厳しい税や使役を軽くしてもらおうと、ヤロブアムに直訴してもらったのだろう。
『レハベアムは彼らに言った、「去って、三日過ぎてから、またわたしのところにきなさい」。それで民は立ち去った。レハベアム王は父ソロモンの存命中ソロモンに仕えた老人たちに相談して言った、「この民にどう返答すればよいと思いますか」。彼らはレハベアムに言った、「もし、あなたが、きょう、この民のしもべとなって彼らに仕え、彼らに答えるとき、ねんごろに語られるならば、彼らは永久にあなたのしもべとなるでしょう」。』(1列王記12:5-7)
ソロモンの長老達のこの助言は、実に正しい。
イエス様も同じ事を言っている。
『あなたがたの知っているとおり、異邦人の支配者と見られている人々は、その民を治め、また偉い人たちは、その民の上に権力をふるっている。しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。かえって、あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、すべての人の僕とならねばならない。人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである。』(マルコ10:42-45)
神の民は元々、人間の王を、持つべきではない。なぜなら、神である主こそ、王であるはずだからだ。(1サムエル記8章)
「王」といえども、主から与えられた「働き」の一つに過ぎず、人々を正統に主へと導く働きをする「主のしもべ」なのだ。
しかしレハブアムは、この長老たちの助言を、良しとはしなかった。
『しかし彼は老人たちが与えた勧めを捨てて、自分と一緒に大きくなって自分に仕えている若者たちに相談して、彼らに言った、「この民がわたしにむかって『あなたの父がわれわれに負わせたくびきを軽くしてください』というのに、われわれはなんと返答すればよいと思いますか」。
彼と一緒に大きくなった若者たちは彼に言った、「あなたにむかって『父上はわれわれのくびきを重くされましたが、あなたは、それをわれわれのために軽くしてください』と言うこの民に、こう言いなさい、『わたしの小指は父の腰よりも太い。父はあなたがたに重いくびきを負わせたが、わたしはさらに、あなたがたのくびきを重くしよう。父はむちであなたがたを懲らしたが、わたしはさそりをもってあなたがたを懲らそう』と」。』(1列王記12:8-11)
レハブアムと共に育った若者たちは、長老たちとは真逆の方向性の助言をした。
すなわち、へりくだって仕える姿勢ではなく、大上段から強権的に押しつける態度を貫く方向の。
レハブアムは、若者たちの助言のほうに気を良くしたのだろうか、こちらを採用してしまう。
『王は荒々しく民に答え、老人たちが与えた勧めを捨てて、若者たちの勧めに従い、彼らに告げて言った、「父はあなたがたのくびきを重くしたが、わたしはあなたがたのくびきを、さらに重くしよう。父はむちであなたがたを懲らしたが、わたしはさそりをもってあなたがたを懲らそう」。』(1列王記12:13-14)
彼は、新しい王として、荒々しく大上段から言い放った瞬間は、さぞやスカッとしただろう。
しかし、その一瞬のスカッとする爽快感を採用してしまうような人は、大事な人から逃げられてしまい、長年築き上げて来た大切なものを一瞬にして破壊してしまうものだ。
『このように王は民の言うことを聞きいれなかった。これはかつて主がシロびとアヒヤによって、ネバテの子ヤラベアムに言われた言葉を成就するために、主が仕向けられた事であった。』(1列王記12:15)
このような破壊的な言葉を、彼をして言わしめたのは、主である。
主は、欲望を遂げるために人を何とも思わないような人を、また、忠告を何度しても聞かないような人に対しては、さらに良くない思いへと引き渡し、自滅して行くに任せられる。
『彼らは神を認めることを正しいとしなかったので、神は彼らを正しからぬ思いにわたし、なすべからざる事をなすに任せられた。すなわち、彼らは、あらゆる不義と悪と貪欲と悪意とにあふれ、ねたみと殺意と争いと詐欺と悪念とに満ち、また、ざん言する者、そしる者、神を憎む者、不遜な者、高慢な者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者となり、無知、不誠実、無情、無慈悲な者となっている。』(ローマ1:28-31)
これら、邪悪な性質の者のリストを見ていると、実にレハブアムが当てはまり、エジプトのパロや、ギデオンの子孫達を殺したアビメレク達に当てはまる。
彼らは皆、その道を行って、主から心頑なにされ、滅びへと導かれて行った者達である。
『イスラエルの人々は皆、王が自分たちの言うことを聞きいれないのを見たので、民は王に答えて言った、/「われわれはダビデのうちに何の分があろうか、/エッサイの子のうちに嗣業がない。イスラエルよ、あなたがたの天幕へ帰れ。ダビデよ、今自分の家の事を見よ」。そしてイスラエルはその天幕へ去っていった。しかしレハベアムはユダの町々に住んでいるイスラエルの人々を治めた。』(1列王記12:16-17)
人々は、レハブアムの、ふにゃふにゃの権威を振り回す様を見て、もうだめだこの人、と思ったのだろう。
こんな器の者に、王として治めてもらう謂れはもはや無いと、レハブアムを見限り、それぞれ自分の所に帰って行った。
『レハベアム王は徴募の監督であったアドラムをつかわしたが、イスラエルが皆、彼を石で撃ち殺したので、レハベアム王は急いで車に乗り、エルサレムへ逃げた。12:19 こうしてイスラエルはダビデの家にそむいて今日に至った。イスラエルは皆ヤラベアムの帰ってきたのを聞き、人をつかわして彼を集会に招き、イスラエルの全家の上に王とした。ユダの部族のほかはダビデの家に従う者がなかった。』(1列王記12:18-19)
こうして、神の民・イスラエルは、実にあっけなく分断し、21世紀の今に至っている。
そしてその発端をつくった人々の動機は、実に下らないものだった。
そうなってしまった根本原因は、ソロモンに帰するのであろう。
しかし、人を大上段に威圧してコントロールしようとする人は、大事な人達に逃げられてしまい、自分の家族や集いを破綻させ、長年築き上げて来た尊いものを一瞬にして破壊してしまうものである。
キリストにあって神の子とされた私達は、この世のもろもろを、正当に統治する事が、主から求められている。
それを忘れて権威を振りかざし、威圧的な態度や脅迫めいた言葉、執拗な嫌味などの”死に属する手段”を用いて物事を支配しようとするなら、自分自身ばかりでなく、周囲をも死へと巻き込んで行ってしまう。
私達は、そのような事を、妻に対し、夫に対し、子供に対し、部下に対して遂行していないだろうか。
それによって、逆に蔑まれたり、避けられたり、逃げられたり、していないだろうか。
主から求められている事は、全く、以下の御言葉の通りである。
『あなたがたの知っているとおり、異邦人の支配者と見られている人々は、その民を治め、また偉い人たちは、その民の上に権力をふるっている。しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。かえって、あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、すべての人の僕とならねばならない。人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである。』(マルコ10:42-45)